レビュー52 



その66 『有吉弘行 初の単独シークレットライブ Part1』
       〜折れ線グラフに見る私の芸能人生〜
 (高田馬場アートボックスホール)2007/10/26(金)17:00-18:30


 『内村さまぁ〜ず』(ミランカ PC-TV)収録
 出演 有吉弘行 内村光良 さまぁ〜ず
 ・猫男爵の前説
 ・有吉弘行 初の単独シークレットライブ(啓蒙セミナー)
  1 折れ線グラフに見る私の芸能人生
  2 今を生き抜くビジネス講座
   (一発屋芸人にならないための10の格言)
 ・有吉脳内メーカー
 ・さまぁ〜ずvs有吉 大喜利対決
 ・一発ギャグ


(舞台、上に大きな横書きの看板 『有吉弘行 初の単独シークレットライブ』)
(上手に「めくり」があり、「演目」と書かれている)


◇前説 猫男爵
 (猫メイク、肌色のパンツ)

「どうもよろしくお願いします!ニャー!ポーツマス、ポーツマスということで、前説を務めさせていただきます猫男爵こと猫男爵でございます」(拍手)

「本日、有吉さんのライブということで、わたくし前説で少々注意事項のほうを、みなさんに、先ほどやったようなんですけども、もう一度、前説のほうをやらせていただきたいと思っております。ニャンとも。ライブ中の携帯電話のご使用、ビデオ撮影、録画、録音などの行為は、厳しくお断りしております」

「ほんとに少ないお客さんでございますが、しっかり拍手、笑い声、歓声など、有吉さんにやっていただけると、よろしいかなというふうに思っております。ほんとに素晴らしい、かわいいお客さんばっかりで、ネズミみたいなね、食べてしまいたくなります」

「さあ!そろそろ有吉さん出番の時間となってまいりました。それでは有吉さん登場まで今しばらくお待ち下さい。拍手!どうも!」


◇有吉登場
 (白い柔道着、黒帯、裸足)

「どうもよろしくお願いします!(拍手) どうも!あらためまして、有吉でございます、よろしくお願いします!(拍手) 今日はほんとに非常にお足元の悪い中、みなさま、こうやってわざわざ足を運んでいただきまして、まことにありがとうございます」

「わたくし今回、パソコンという無機質な機械を通しまして、こういうふうなお客さんに呼びかけをさしていただきまして、この人間関係希薄な現代社会におきまして、非常にこういう暖かい人と人とのつながりができたことを今、万感胸に…きております」

「なぜ今回、わたくしがこのような初の単独シークレットライブを行ったかについて、しばしお時間をいただきたいと思います」

「わたくしの今の現状を見る限り、単独ライブをやるということは、非常に生意気なことでございます。しかし、今のこの現状に何も動かず、甘んじていていいものであろうかというふうに、わたくし胸に思ったわけです。そして今やらなければ、恥をかいてもいいじゃないか。ねっ。(拍手) ありがとうございます」

「そこで、わたくし今回このようなライブを開かせていただいたわけでございます。40人のかたを対象にしまして、パソコン上から呼びかけましたが、やはり40人とのつながりは持てなかった…(欠席者が出たため)。それはやはり、この現代社会の厳しさというものをひしひしと感じておりますが、わたくしごとき一、三流芸人のために、このような、多くの人が来ていただいたことを、わたくし非常に感謝します。今日はどうぞよろしくお願いいたします」(拍手)

「さて、本日のライブを始めさせていただこうと思いますけれども、今回いくつかの演目がございます。そしてみなさんに、ちょっとやっぱり最初に注意しとかなきゃいけないのが、ライブだというふうに告知してしまいましたので、若干、コントがあるんじゃないかとか、漫談があるんじゃないかとかいうふうに、勘違いされているかたもいらっしゃると思いますが、本日は基本的には、『啓蒙セミナー』であるというふうに考えていただけると、簡単かなと思います」


(以下、大きなボードを使って説明。次々と紙をめくってトークを展開)


◇折れ線グラフに見るわたしの芸能人生

「わたくし、今まで生きてきた、いろいろな経験を元に今日、お話をたくさんさせていただきます。ぜひみなさん、ここから帰るときは啓蒙されて、しっかり帰ってほしいなと思います。では早速、演目のほうに行きたいと思います。まず、はじめての演目は、こちらでございます!」

「『折れ線グラフに見るわたくしの芸能人生』(拍手)。さあ!さあこちらが芸能生活13年、いや15年ですね、15年にも及びます、わたくしの芸能人生の折れ線グラフでございます。一見すると、セミの一生のようにも思えるかもしれませんが、これよく見ていただくとわかるんですけど、セミの一生っていうのは、この前の段階が7年ぐらいあるわけでして、ここで華やかに散っていくわけで、わたしの場合はもう、すぐ成虫になって、あとはもう死んでるという。こういうわたしの人生なんですね」

「これ普通の人だとね、もう、とてもとても耐えられるようなものじゃありません。あのー、ほんとにこのグラフ、今から説明していきますけども、僕がわかってほしいのは、僕がいかに精神的にタフな人間なのか。さらには、わたしの、どうしてもこの醸し出す哀愁というのは、どっから来ているのか。というものをすべて知っていただきたいなというふうに思っております。ねっ。さあ、それでは早速見ていきましょう」

「1974年、広島県に生まれます。このへんはずっと普通です。普通の生活をしていきます。オヤジが泥棒をやったりとか、このへんは少し波がありますけど、それは、ま、ここには入らないぐらいのものでございます。取るに足らないことです。ねっ」

「そしてここですね。1993年、4年あたりですね。ここでひとつ、人生の転機を迎えるわけですね。それがこちらでございます。芸能界デビュー! わたくし有吉は小学校3年生のときから、この芸能界にあこがれておりまして、そのために、コツコツ、コツコツと努力を重ね、やってまいりました。その小学校3年生時代から思っていた夢を叶えるわけです」

「これはオール巨人師匠の弟子と。いう、これは一歩なわけでございますね。これはね、もうほんとに夢のようでした。『EXテレビ』という有名なテレビ番組に出演しまして、そこでのナマ公開オーディションで弟子に選ばれるという、まさにこれは、もう吉本の弟子の世界でもサラブレットのような扱いを受けまして、大物弟子現る!というふうに話題になる感じの時代なんですね」

「しかし、この巨人師匠の弟子時代は、わずか半年で終わりになってしまうと。数々の失敗を繰り広げていくわけですね。巨人師匠の高級外車BMWの助手席にガムが付いていたと。さあ、このガムは誰が付けたんだと、犯人探しが行われまして、明らかに僕だろうということで、『有吉、左足を見せて見ろ』と。しかし僕は自信をもって、『巨人師匠、付いていません』と、足を見せました。巨人師匠は『右も見せろ』と言いました。僕、自信をもって右を見せました。ガムは付いてないんです。しかし、犬のフンが付いていたのです(笑)。というわけで、最悪な弟子生活を送るのち、わずか半年でクビになり、ここに至ります」

「さあ、なんでしょう。ねえ。大変なんです。ここから上京後に野宿。これはどん底に近いんですけども、ここで何があったかというと、弟子をクビになりまして、1回大阪から都落ちいたします。広島に帰ります。そして、1年間のコンビニバイト生活が送られるわけですね。この時代もなかなか冬の時代でして、あれだけ華々しくテレビに出て、弟子になって、さあ将来有望だと言われてたのに、半年後にはまた広島に戻って、コンビニでバイトをしていると。この時代の蔑まれ方といえばもう、ほんとにいま思い出しても、僕はツライものがあります。ということで、この上京後、野宿。森脇さんと一緒に来るわけですけども、家もなく、東京ドームの周辺に野宿をしてたんですね」

「そして、ここが一大転機になるわけございます。さあ、みなさん!これはご存知の、一世風靡をしました、こちらでございます。ユーラシア大陸横断ヒッチハイクと!(拍手) これはもう、まだ記憶に新しいところでございます。まさに一世風靡をしたと。今までのお笑い芸人の中で、これだけ多くの人の心をつかんだ芸人というのは過去、存在しません。お笑いファンだけではなく、おじいちゃん、おばあちゃん、お子さん、ねっ、日本国民がわたしを好きであったという、素晴らしく輝かしい人生でございます。この絶頂時代ですね。この絶頂時代は、しかし、わずか1年と。しかしこの1年というのは、大変濃密な時期でありまして、そんじょそこらの芸人ふぜいが、経験できるような体験ではございません。ここをもっと詳しく見ていくと、この絶頂時代にもいろんな波がございます」

「これをちょっと今、出します。この平坦に見える状態の中にも、これだけの山があり、谷があるわけです。これはもうほんとに、知らない人から見れば、ずっと山じゃないかと思われますけれども、ここにはやはりスーパースターがゆえの苦悩が存在するわけでございます。その苦悩を次々と見ていきたいと思います」

「まず、この上がってる途中ですね。この上がってる途中、何があったか。これはゴールです。ねっ、ゴール。これはもういちばんの名場面。視聴率もおそろしい数を取りました。しかし、ここでわたしは少し後悔してます。ゴールのシーンで泣けなかった。やはりもう単純にイヤだったんでしょうね。ほんとに心底、イヤだった。スタッフが憎い。森脇が足手まといだ。いろいろな思いがあって、そしてゴールにはきっとサンプラザ中野がいるだろうと。もう旅の途中でかなり屈折をしておりますので、すべてが想像できたと。あまり涙は出なかったと。後悔の念もありますけども」

「ここの頂点の部分はなんでしょうか。ファーストシングル『白い雲のように』発売。これはなんと120万枚という売り上げを売り上げまして、(拍手) あのチェッカーズ時代、人気絶頂であった藤井フミヤ、藤井尚之兄弟が、『ぜひ曲を書かせて下さい』というふうに頭を下げられ、出した歌なわけなんですね。確かにこの歌は非常に売れました。120万枚というのは、年間でも3位の枚数を売り上げております。しかし、オリコンでは3位どまり。安室ちゃんの生涯一のヒット曲『キャンユーセレブレイト』が出たり、B‘zの新曲が出たり、いまいち頂点にはのぼれない、という気持ちもありながらも、しかし、僕らごときの人間が、ね、歌を出して、このように多くの、120万人というかたに買っていただいた幸せ、ね、これはわたくし非常に嬉しく感じておりました」

「さ、そしてここですね、次の、1回落ちます、そしてね。これ落ちるのはやっぱりあれですね、なんとなく森脇のほうが歌がうまいんだと。レコード会社のほうから、『有吉さんは口パクでお願いします』と強く希望されたりしますので、ちょっとこの有頂天の気分は、すぐ下がってしまいます」

「しかし、次の新たな山が来ます。さ、これは『いいとも』レギュラー。そして、セカンドシングル『ツキ』ということですね。この『いいとも』レギュラーというのは、やはり芸人としては、ひとつのぼり詰めた感がある番組でございます。いちばん人気のある、旬であり、みなさま、お茶の間に愛される人たちが出る番組でございます。その番組に出れたと、しかもレギュラーだということで、わたしの気持ちはやはりここ、のぼってくるわけですね」

「そして、セカンドシングル『ツキ』。これもみなさんご存知ではないと思いますが、これもなんと80万枚売ってます。劇団ひとりの本が50万部ですごいすごいと言ってますけども、俺は2枚目で80万部売ってます。そりゃ俺のほうがすごいんです。ね。しかし…お気づきでしょうかね、この山の頂点はじょじょに下がってきてます。ここです。サードシングル『コンビニ』。フォースシングル『君の青空』と。1ヵ月に1回ペースで出すことになってきます。これは秋元康の陰謀でございます(笑)」

「それで、どんどんどんどん歌を出しますから、歌の質もどんどんどんどん下がっていきます。ね。というわけで、売り上げがどんどんどんどん下がっていきます。ま、それはCDを出したときは、テレビ番組にも出れます。歌番組にも出れます。ということで、気持ちは上がりますけども、この当初のころの気持ちよさからは、少しずつ衰退していくという、ね」

「そしてこのへんから、売り上げがやはり落ちていきます。そうすると、レコード会社の人が知らず知らずのうちにクビになっていったり、するわけです。そうすると、やはり人間です。悲しいでしょう。それがやっぱり人間の気持ちというものですよ。自分がよければいいのか?そういうことではない。周りのスタッフあっての、わたくしごとき。いいですか?(笑)」

「そして、そのへんのこともありますけれども、もう一度、大きな山、それがこっちのアルバム『まぐれ』と。『まぐれ』発売。ここでひとつのピークを迎えまして、しかしこのアルバム、よく売れましたけれども、1位にはなれず。8年ぶりぐらいに出た長渕剛さんのアルバムと重なるというひどい状況があります。そして下がっていきます」

「このへんはなんでしょう? さ、主演映画公開、いいとも…あれ!?…めくりをちょっと間違えました。このへんもね、紅白出場をのがす、レコード大賞最優秀新人賞のがす、すべてのがします!(笑) このへん紅白出場をのがしまして、レコード大賞最優秀新人賞はこの年、知念里奈でございます。そして有線放送大賞新人賞、こちらも、のがします。この有線放送大賞新人賞を受賞したのはSHAZNAでございます。その現状から考えると、わたくしはまだがんばっているのではないかと、いうふうに思いつつも、ここで恐ろしいことが起こります」

「『いいとも』卒業と。卒業という名を借りてはいますけど、これは明らかにクビでございます。(笑) これもうほんとに『いいとも』をクビになってしまいますと、全国民の人が、終わったなという感が出てきますので、非常にキツイわけですね。そして、これアルバムは『まぐれ』ですね。そして主演映画のタイトルは『一生遊んで暮らしたい』と。(笑) 常にそういう感じがつきまとう初主演でございます」

「さあ次いきましょう。そして、この絶頂時代を1年で終え、一気にこの芸能界最底辺、どん底に向かいます! その理由はこちらです。じょじょに飽きられる。仕事が激減と。ね、これやはり、ここで何をやってたかっていったら、素人考えで歌うたってみたり、ね、生意気なおしゃべりをしてみたりしてるだけですから、なんの芸もございません、わたし。ですから、それ、一通りの有名番組出たら、もう終わりですよ。もう出してくれる番組は。そしたら、もう仕事ないです!仕事激減でどん底時代が、ずっと2003年まで続きます」

「しかし、ここでひとつ、この死に体のわたしに山が来ます。これはなんだ。『内P』に出始める。これは僕はほんとに、涙なくは語れないんですけれども、やはりここは、僕はこれですから、もうこれは仕事やめなきゃいけないというふうに思っておりました。しかし、ここで『内P』で内村さんに拾われるわけですね。そこから少し波が来ます。なんにもしません、『内P』に出ても。(笑) しかし、根気よく使っていただきます。このへん、やはり、でも自画自賛でもないんですけど、わたくしのやっぱり人間性ではないかと。みなさんもそうなんですけど、人間性は大事にしてほしいなということは、非常にございます。そしてここで短いんですけど、これぐらいの、まあ、どん底には近いんですけど、こんな状態から、ここ『内P』終了と。(笑) これで、どん底ですね。この時期は『内P』しか仕事していません、僕。はい」

「そしてそのへんはこういう感じになるんですね。このへんはあんまり波はないんです。どん底ですから、あんまりないんですけれども、2点だけ、どん底なのにさらに落ちる事件が2つ含まれているんです。その事件というのが、1つはこちらです。手裏剣トリオに改名。(笑) これは、にっちもさっちも行かなくなりまして、さまぁ〜ずさん、くりぃむしちゅーさんの改名ブームにのっとって、名前変えてやれと。安易な考えで、手裏剣トリオに変えれば、1年とは言わない、1ヵ月ぐらいは仕事が増えるんじゃないだろうかと。そういう目論見のもと、やったんですけれども、何をやってんだと。二番煎じ、三番煎じ、ふざけんじゃない、なんの芸もないのに、名前だけ変えて仕事が増えるわけないぞということで、こういうふうに落ちてしまいます」

「しかし、それはまあ、ほんとのどん底ですから盛り返しまして、次のどん底が来ます。これが、猿岩石に戻す。(笑) えーと、ぼんやり戻しちゃったんです。約半年ぐらいで手裏剣トリオっていうのが恥ずかしくなって、なんでこんな名前にしたのかっという理由も、いちいち言うのも面倒くさくなって、ぼんやり猿岩石に戻すと。はい」

「そしてこのへんが『内P』時代です。このグッと上がるね。これが猿岩石解散。解散でグッと上がります。(笑) 意外だと思われるんですけども、これ、猿岩石、1回ちょっとやっぱり伸びるんです、人気が。というのも、どうも『猿岩石です』っていう自己紹介に、自分の中で古さを感じてまして、『猿岩石って言いたくないな』っていう気持ちが常にありましたし、森脇がもう完全に副業に走ってまして、完全にやめる気だなっていうふうな…まんまんだったもんですから、このイライラ、イライラしてたものが、不安ではあれこそ、なんかフッと抜けたような、束縛からの解放、というような感じを受け、ちょっと気持ち的に、これ伸びます」

「しかし、またすぐにどん底はやってまいります。ここ、ここがね、もうほんとに底も底。太田プロの有吉さん給料ゼロ円。プライスレスですね。(笑) これがひと月だけなんですけれども、給料が全く無いんです。ゼロ円。僕の事務所は、給料日に現金払いですから、お給料取りに行かなきゃいけないんですけども、事務所から電話かかってきまして、『有吉さん、あした事務所いらっしゃらなくて結構です」と。『どうしてですか?』って聞くと、『給料が無いからです』。という、これはほんとにもう絶望でした。給料がゼロ円ですから、もうこれは自殺するしかないなと、いうふうにまで追い込まれまして、ノイローゼがほんとに激しくなります。これ、極度のノイローゼです」

「しかし、そんなプライスレスの太田プロの有吉さん、これグッときます。これ何があったか。これ、猫男爵初登場。『内村プロデュース』で猫男爵をやらさしてもらって、そこからなんか急にメキメキと人気が出るんですね。下がる理由は、『内P』がないときです。で、また上がる。これは猫男爵はねる。そしてこれは『内P』がないとき。このへんはだから『内P』しか仕事してないんです」

「ここは、猫男爵一人歩き。これは大変困ったんですけれども、猫男爵っていうのは基本的に、先ほどの前説見てわかるように、キャッツのメイクしてるだけで、特に別に芸も何もなくて。このへん見たらわかるんですけども、基本的には誰かの家のシャワーを浴びているというだけでして、このへんもお風呂に入っていたりだとか、なんにもしてないんですけれども、意外とネット上とかで、『猫男爵、猫男爵』という声が増えてきます。それで、あらゆる番組から、有吉さんちょっと猫男爵をひとつお願いしますと(笑)いうふうにオファーが意外と来るんですけれども、わたくし恥ずかしながら、あのメイクさえも自分でできないと。そして僕はやっぱりこの『内P』にお世話になってるもんですから、猫男爵の権利関係は『内P』にあるんじゃないかなというふうに思っていたもんですから、一人歩きが嬉しいと言えば嬉しいんですけど、戸惑った時期ではありました。そして、これ、『内P』は終了と」

「そして、ここ休みで、また…猫男爵一人歩きほどは行きませんけれども、これ来ます。下ネタダジャレがはねる。これは猫男爵も含め、なんですけど、たまたま、スタッフさんのご好意で、わたくしの得意な感じの問題が出たんでしょう。これも人柄だと思います。ここで下ネタダジャレですか、『アーナルデシメツケネッカー』であるとか、『クワエテンタランチンコ』であるとか、ま、男性ファン中心に、今までなかった男性ファンの人気をこのへんでつかんでいくんですね、意外と。はい。そして、これ『内P』終了。結局、『内P』しかやってないですから、仕事を。『内P』にすべて左右された、この1年。2、3年ですかね」

「そしてこちらですね。上がります。パチンコ番組のオファー殺到! これは僕の中で、ちょっと春ですね。これはなぜかちょっとわかりませんけども、パチンコ番組に出ると、僕のリアクションがいいと、意外と。僕、普段パチンコ全くやらないので。ほんとにかわいいリアクションをしてくれると、有吉くんは。ほんとに悔しがるし、喜ぶし、パチンコをやらすといちばんだと、パチンコ番組のオファーが殺到いたします」

「そして、このへんめくっちゃっていいんですよね。さあこれ最大の!これ普通超えてます!パーティグッズのキャラクターに大抜擢! これはみなさん、ご存知ないと思うんですけれども、わたくし、この10月、先週ぐらいに、なんとですね、ロフトとか東急ハンズ、ドンキホーテなんかに売ってる、ウンコのかぶりものであるとか、全身タイツ、ヨッ大統領のこういうヤツとか、モデルに(笑)…。2年契約をいただきました!(拍手・歓声) これがおそらくわたしの人生の頂点じゃないかというふうに思っておりますが」

「さあ、このへんの状況を見ていくと、このへんがボヤボヤしてます。ボヤボヤしてる間に何があったか?あまりに暇なので、暇を理由にブログを始める。もうほんとに仕事がないもんですから、事務所にも行きませんし、芸人さんとも会いませんし、スタッフさんとも会いませんから、人とのつながりがもう全くのゼロになります!そこで何か人との触れ合いを持ちたいなと、いう理由で、このブログを始めることになります。しかし、このブログがね、いちいち気にします。書き込みが少ないなとか、多いなとか、イヤなこと書くヤツがいるなとか、打っても響かないなとか、紆余曲折ありながらも、こういう状態で、しかし、ここブログを始めたのがひとつのキッカケで、こういうライブを持てたということは、幸せなんではないかと思います」

「そして、パチンコ番組のオファーが殺到したあとですが、これグンと下がります。これは何があったか? 腰痛です。(笑) あのー、パチンコ番組が多すぎたためにですね、新幹線移動がもう尋常じゃないと。各地方のパチンコホールさんに行きますので、もう尋常じゃない移動、プラスパチンコ番組3時間ぐらいずっと座りっぱなしですから、極度の腰痛になりまして。これがもうほんとにパチンコ番組を断る理由のひとつではあったんですけれども、ここがまあ、ひとつグッと下がりますが、またグッと上がります!」

「それは何か?というと、上島竜兵と兄弟のサカズキを交わす。これは、内村さんには僕は感謝しても感謝しきれないんですけれども、これはもうひとり、上島竜兵さんにもお世話になっておりまして、ま、兄弟のサカズキといっても、正確には五分の兄弟。俺が姉貴で、お前は兄貴と。(笑) ちょっと兄弟サカズキありまして。これはね、ひとつ大きいですね」

「この人を中心に、太田プロの何人かの芸人さん、竜兵会と呼ばれる芸人さん、売れてる芸人さんですね、土田さん、竹山さんであったり、劇団ひとり、肥後さんなんかを中心として、NPO法人、有吉バンクというのができます。これは、有吉が経済的な理由をもって芸能界をやめるのだけは防ごうという慈善団体でございまして、これは僕はだから、今後、ダラダラダラダラ生活して、仕事がなくなって、プライスレスになろうとも、僕はある一定の保証はあるわけです。ですから、ついついダラダラしがちですから、気をつけようと思っております」

「しかし、このパーティグッズがありますから、わたくしはそこそこの収入が今後2年間は保証されます。そんな輝かしいわたくしの芸能人生、聞いていただけました? どうもありがとうございます」(拍手)



(2007/12/03記)


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