4 試行錯誤

「……教会ではあれが妖魔だったという発表を。決して本物の竜族などと言わないように」
 衣を着替え沐浴を終えたエストは矢継ぎ早に戦後処理の指示を出していた。
 そこへ、取り次ぎ役の少年がシグラムートの来訪を告げる。時間を作って欲しいとの事だった。
「謁見の間に来ているのか?」
「はい、返事をいただけたらこの場は帰ると申しておりました」
 考え込むエストに少年が敬愛の視線を注ぐ。
「よし、今会おう。私室で待つとそう伝えなさい。レイラグ卿、後の指示頼めますね?」
 畏まった顔で礼をする家臣を、実は見もせずにエストは玉座を立った。
 私室はあの騒ぎで竜に壊されたので、父の私室を使うことにしていた。
 エストが部屋に入ってものの数分と経たずにシグラムートが通された。
「シグラムート。用件は何です?」
「オルデフィアムの魔道書の解読にいくらかですが成功しました。その中で二つ、報告に耐え得るものを見付けましたので参上した次第です」
「一つはジルギールの事ですね? そちらは良いからもう一方を報告しなさい」
 覗き込むように見て、シグラムートが話し始める。
「いえ、ジルギールの信憑性を考えると、とても報告に耐え得るものではありません。ただし、この書の中で見付けたものの中では、最も状況の打開に適したものですが」
 少し興味を引かれてエストが初めて振り返る。
「では、探しても見つからない可能性が高いと?」
「いえ、そうは申してはおりません。この書が真、オルデフィアムの魔道書ならば、確かに存在するはずのもの。そしてそれならば必ずガルディスは見付け出して来るでしょう。ジルギールは一振りで世界を破壊し尽くすとも、新たなる世界を創造するとも書かれています。もちろんこれは誇張でしょうが、先人達にも理解できぬ程の魔力を秘めた物質であることは間違いないようです」
 エストは思わずめまいを覚えた。
 それだけの力を持ったものがこの世に存在していたのだ。シグラムートはその力に多少懐疑的だが、エストにはそれが言葉通りの代物では無いかと言う直感が有った。
 しかし、その力をたった一人の人間が握っても良いものなのだろうか……?
「だからこそ、ガルディス以上の適任はいない。と思いますが」
 エストの心を読んだようにシグラムートは答えた。
「それに、私もそこまでのものだとはガルディスに教えていません。……信用とは別に、我々の肩には人類の未来がかかっていますからね」
 ふぅ……と溜息をつく。正直言ってエストはもうたくさんだと思った。
 空々しい仮面の女王。
 けれど、それは今や引き離すことはできないのだ。身に潜む『魔竜』と共に。
「報告を致しましょう。一つはこの剣です」
 そう言うと、懐から何の変哲もない剣を取り出して見せた。
「これが……?」
「竜の鱗も切り裂く、魔刻剣セル・デュートと呼ばれるものです。また妖魔に対しては最もその力を発揮すると言われています。これの量産が可能です。原理さえ知れば、下級魔術師達にも簡単に作り出せます。また、技術的な説明は省きますが、弓矢や果ては板金鎧等にも応用できます。これがあれば戦局がかなり明るくなることでしょう」
 確かに、魔刻剣と言えばかなり有名な剣だ。
 それが量産できれば、かなりの戦力につながる。一流を冠する者ならば竜と一騎打ちで渡り合えるかもしれない。
 だが……。
「……確かに、一般の兵士ではセル・デュートで完全武装しても竜とは勝負になりませんな」
「ええ」
 エストの表情は苦い。
 せっかくの朗報だが、今王都には強者たちがいないから。
 ここのところ激しかった妖魔の各地での横行を鎮めるために出払っていたのだった。
“これも、『魔竜』の計算の内だろうか?”
「もう一つの報告を済ませましょう。こちらは強力な呪文です。現状の打破に用いることは適いませんが、使って損のない策かと」
 あまり期待を持てずにエストは先を促す。
「異界への扉、ゲートの呪文です。あまり取りたくない道ですが、この逼迫した状況を打開するのはもはや不可能でしょう。それに、犠牲になる一般市民を逃がすことができます。また、消極的ですが異界で竜が滅ぶまで待ち、また戻って来て妖魔とだけ雌雄を決することもできます」
「それは、できないわ。そのゲートがどの程度の物なのか知らないけど、全世界の人間をすべて他世界に送り込むのは無理でしょう」 シグラムートがいつになく厳しい瞳でエストを見た。
「女王。生き残るためです。我々は一番にそれを考えなくてはなりません。人間が滅んでしまっては何もかもおしまいです。我々は、未来を与えなくてはならないのです」
 ようやく、エストの中でも何かがふっきれた。
「そうだったわね。……その呪文に何か必要な物はある?」
 シグラムートが微笑みを見せて胸に手を当てた。
「この呪文は儀式を必要とします。二十人ばかり、腕よりも意志力の強い魔術師を。また、この呪文は完成に一日。そして中心となる施術者の精神のもつ限りゲートを開かせられます。これは私がやることになるでしょうが、もって二日でしょう。そして、至急国内外へ知らせを」
「あと、竜族の足止めが必要ですね。知られないのが一番ですが。……良いでしょう。全て手配しておきます」
「セル・デュートはサイモンに話をしておきました。女王より下知あればすぐにも生産できる筈です」
「ありがとうシグラムート。でも、本当に私達は生き残れるかしら……」
 エストは微かに微笑みを見せ、シグラムートを見遣った。
「必ず、生き残りましょう」
 シグラムートは真っすぐにエストの瞳を見詰めていた。
 
 どうしたものだろうとガルディスは悩まずにいられなかった。
 目指すオルデフィアムはまだ遥かに遠いはずだ。
 だが、問題は距離だけではなかった。
 今朝、王都を元の姿に戻ったウィンザーの背に乗って、ガルディスは旅立った。
 最初、旅は順調に見えた。ウィンザー達は一日に軽く千里を飛ぶ、その背に乗って二日も飛べばオルデフィアムまで着くはずだった。
 しかし、あろうことかウィンザーは日も暮れかかるまで飛んでから、オルデフィアムに連れて行くことはできないと言った。
 困惑するガルディスを尻目に、ウィンザーは南へ向かって飛び去った。
 そうして森の側の夜営地でガルディスは真剣に考え込む羽目になった。
 もともと、ウィンザーに対しての依頼心は余りなかったが、場所も分からぬ場所に一人残され、少なからず気分は高揚しなかった。
 それよりも一日中竜の背にまたがっていたからだろうか、体の節々がぎしぎしと痛んだ。
 人が乗るようにはできていない背だ、しかもあれだけの速さで飛んだのだから痛むのは当然のことだろう。
「祈るのは、オルデフィアムと反対の方向に連れて来られてないことだな」
 幸い気候はウィンフィアと同じように温暖だった。これなら今日の疲れを明日に残さず眠れるだろう。
 とにかく寝ようと思って体を毛布の上に横たえたガルディスの耳に、何やら人の声が聞こえて来た。
 はっとして起き上がったガルディスは森の中へと目を凝らすが何も見えなかった。
 妙だ――何かがガルディスの警戒心を呼びさます。
“そうか、何も見えないのがおかしいのだ。この時間、明かりも持たずに森の中に入る人間がいる訳がない。すると妖の存在か?”
 緊張するガルディスの耳に更に言葉が入って来る、どうやら何かの歌のようだ。
 それも人々の間で歌われるような……童謡だろうか。
 
 ……青い青い シュリの実一つ
   まだまだ渋くて食べられぬ
   赤い赤い シュリの実一つ
   食べると甘いがもの足りぬ
   茶色い茶色い シュリの実一つ
   堅くてとっても食べられぬ
   けれども奇麗だ どうしよう
   そうだ 素敵なあの人に
   たくさん集めたシュリの実で
   作ってあげよう 首飾り
 
 ガルディスは驚いて、もう少しで叫びをあげるところだった。
 小さな声は続ける。
「シュリってドーザの事だよね。ドーザに貰って来ようか」
「もう茶色っぽくて食べらんないよ」
「いいんだ。歌を教えてくれた代わりに持って行ってあげるの」
 そこまで話すと小さな声はさんざめく笑い声と変わる。
“ドーザ? 何のことだろう”
 そのときほんの一瞬だけ小さな小さな光がガルディスの目の前をよぎった。
「妖精!」
 驚いてガルディスは今度こそ叫びを上げてしまった。
 こんなにいたのかと驚くほどの淡い光が飛び散り、消えて行く。
 なんとも幻想的な風景だった。殺伐とした争いが今にも始まろうとするのが嘘のようだ。
 この景色が世界のすべてだったら、世界のすべてを象徴しているようであれば……。
「エステリーカ」
 そうガルディスはつぶやくと、妖精に目に砂でもかけられたか眠り込んでしまった。
 朝目覚めると、しっかりと毛布にくるまってガルディスは寝ていた。
 昨日の事は夢だったように思う。
 大体において妖精がいる訳がない。
 すみかである森を妖魔と人間の戦いによって追われ、その多くが命を落とした。
 そして、二十年も前に死んだ妖精が発見されたきりだったのだ。
「しかし、もしも夢でないとしたら、俺は大変な所にいるぞ。シュリの実があるってことはここは故郷に程近いところに違いない。とすると、真っすぐ南へ向かわなければ行けないはずが東の方へ連れて来られてしまったらしいな」
 口で言いながら自分の状況を確認する。
「とは言え、まずは町か何かを探さないとな。こっちは荒野だったし、森を越えなけりゃならんか」
 鬱蒼として繁る森は旅人を拒むように暗く、威圧的だった。
 進むほどにガルディスには方向の感覚が失せて行く。
 仕方なしに昇った木の上は驚くべき光景だった。
 森に踏み込んでから一時間と経っていないはずなのに、見渡す限りに森がその緑の絨毯を広げていた。
「そんな馬鹿な!」
 しかし、ガルディスは利口ではないが、愚かでもない。
 すぐに自分が何らかのぺてんにかけられていることに気付く。
 考えられるとすれば、昨日の妖精たちだが。
「おーい、俺は別に危害を加えるつもりはない。頼むからここから出してくれないか。先を急ぐ旅なんだ。大切なものを捜し出さなければならないんだよ」
 森の奥に響き渡って行くガルディスの声に反応するものは何もなかった。
 それを確認すると肩を落とし、次いで小さく吐き捨てると大股で歩き出す。
 三時間程経っただろうか、森の中は蒸風呂のように暑くなってきた。昼になったのだろう。上からじりじりと熱気がやって来る。
 そのとき風のそよめきを右の頬に感じたガルディスはとっさにそれを捕まえていた。
「やっぱりいたな」
 捕まえられた妖精はその姿を現し、泣き出した。
「痛いよーっ。羽根が裂けちゃうよぉ」
 虫のような羽根がガルディスの手の中で曲がって折れそうになっていた。
「す、すまない」
 その火の付いたような泣き方に慌ててガルディスは手を放す。ところがその途端、再び妖精は姿を消す。
「あっ。騙したな」
「ごめんなさい。でもまだ先なの」
「何が先だ。俺をとっととこの森から出せ。こら、妖精聞いてるのか」
 暑さでいらいらの募っているガルディスは叫び回るが、もう妖精は声を返さない。
「くそっ」
 小さく毒づいて、ガルディスは再び前進を開始する。
 ……と、その耳に何かの物音が聞こえて来た。
 変化を求めてその方向に足を向けたガルディスは、思いがけないものを見付けることになった。
 樹木が折り重なるように倒れたその先に、魔獣が唸り声をあげていた。
 魔獣というのは、基本的には妖魔と大差が無いが、こちらは全くと言っていいほど、思考能力に欠ける。
 要するに、妖魔の成り損ないである。
 ガルディスが魔獣を見付けるより早く、魔獣の方ではガルディスに気がついていたようだった。
 唸りを上げ、ガルディスが剣も抜かぬうちに襲い掛かって来た。
「おいおい」
 そう言いながら背中の荷袋を魔獣にたたき付け、その隙にガルディスは剣を抜く。勿論、シグラムートが持たせてくれたセル・デュートだ。
「妖精達、俺にこいつを退治させるつもりなんだな。なんか気に食わないが、良いだろう。ただし、終わったらとっととこの森から出してくれよな」
 ガルディスがその言葉を言い終わるか終わらないうちに、セル・デュートは魔獣の腹を捕えていた。
 そのまま宙に飛ばすほどの力で真っ二つに断ち切る。
 叫びを上げる事も出来ずに、魔獣はそのまま息絶えた。
「ふう」
 ガルディスが息をついていると、すぐそばに妖精がまた現れた。
「御免なさい。騙してしまって。でももう一つだけお願いがあるの」
 見ると、妖精の羽根は折れ曲がったままだった。飛び方もしっかり定まっていない。
「乗り掛かった船だ。分かったよ。何をすればいいんだ」
「ありがとう。その木をどかして欲しいの。あなたには見えないかも知れないけど、仲間が下敷になってるの。助けて!」
「なんだって!」
 ガルディスは驚いて折り重なった樹木に手をかけた。
「違うわ。そこじゃない、その横の小さな木よ」
 妖精の指さす先を見ると確かに若木が一本倒れている。
 これは、妖精の大きさを考えに入れていなかったガルディスが悪いのかもしれない。
 ばつの悪い表情をしたガルディスはひょいと若木を持ち上げてやる。
「ありがとう」
「魔獣を倒してくれて」
「仲間を助けてくれて」
「ほんとにありがとう」
 途端に鈴の鳴るような声で、辺り一面から感謝の声が上がった。 そして若木の倒れていた場所ではよろよろと妖精がガルディスに向かってお辞儀をしていた。
「お礼にリンフィアの花をあげる」
「カティムの実をあげる。甘くておいしいよ」
「歌ってあげる!」
「踊るわ」
 圧倒されるガルディスを尻目にその騒ぎが最高潮に達しようとした時、凛とした声が響き渡った。
「あなた達、お止めなさい。人間の方が困っていらっしゃるわ」
 現れたのはまるで幻のように実在感のない女性だった。
「あなたは……?」
「女王様!」
 元気良く答えたのはガルディスに羽根を折られた妖精だ。
 その様子だとたいしてひどい怪我でもないらしい。ガルディスはほっと胸を撫で下ろした。
「私はこの子たちの意識を少しずつ集めた、幻なのです。けれど、全員分の知恵をもっていますから大きな決断は私がします。この子たちではあなたとのお話も不都合が多いはず。何はともあれ仲間を救っていただき、本当にありがとうございました。仲間を代表して改めてお礼を申し上げます」
 ガルディスは困って髪をかきあげる。
「感謝されるのは良いが、俺は急いでるんだ。できれば早々にこの森から発ちたいんだが」
「ええ、分かっております。早速魔法を解きますわ。ところでどこまでお急ぎなのですか」
 言うべきか一瞬迷ったが、言って何も損な事は無かろうと昨日のウィンザーの一件をすっかり忘れて答えた。
「オルデフィアム! 今でも覚えている方がいらしたのですね。でも、良かった。それならお役にたてそうですわ。うまくすれば今日中にたどり着けるはずです」
「どういうことだ?」
 妖精の女王の顔に喜びが咲く。
「それは、迎えに来てくれる方がいるからです」
「誰だ?」
“オルデフィアムに人なんていたのか? 確かシグラムートの話じゃ、神に滅ぼされた町とかなんとか言ってたような気がしたが……?”
「クロノドラゴンという方をご存じですか? 彼は最も旧き時代から生き続けている竜族の最長老なのです。彼はあるものを守護するために長い間オルデフィアムに住んでいるのです」
「それじゃあ、そのクロノドラゴンとかいう奴がここに来るって言うのか。……ところで、あんたらとどういう関係なんだ?」
 その質問に女王は瞳をかげらせる。
「クロノドラゴン様は、あなた達人間と妖魔との争いに巻き込まれないよう、便宜を図って下さったのです。この森ごと、十五年ずつ未来へと送って下さるのです。我々が安心して暮らせるようになるまで」
 これには深く物事を考えたりしないガルディスもうつむいてしまった。
「そうか」と一言言って黙った。
 話すきっかけがガルディスにはつかめず気まずい沈黙が続く。
「申し訳ありません。そんなことを言うつもりじゃなかったんです」
 慌てて女王がそう言って笑いかけるが、ガルディスには笑い返すことはできなかった。
 妖精達のことではなくエストの事を考えていたのだ。
 何となくこの女王にエストの姿が重なって見えたからかもしれない。
「哀しい顔をなさるんですね」
 その言葉にガルディスははっとする。
「笑って下さい。希望を信じなければ未来は生まれません。偶然では、世界は成り立たないのです。強い願いが無ければ……」
「良く、分からん」
 だが、必死な顔でそう言う妖精の女王がおかしくてガルディスは軽く笑った。
「ありがとう。人の笑みは私達にとっても楽しいもの。ここでクロノドラゴン様を待ちましょう。宴でも開きながら……何と言っても私達は遊び好きの妖精ですから」
 そう言って妖精の女王は照れ臭そうに笑った。
“ありがとうと言うべきなのは俺のほうだ”と心で微かに思っていた。
「ところでドーザってなんなんだ?」
 
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