暗闇の中で、女の子が泣いていた。
私も、良く知ってる子だった。
その子が、私に顔を向けた。
「なんで? なんで、私……忘れてるのよ?」
絶望の響きで声を絞り出したその子は、私と同じ顔をしていた。
こいごころ
「……なんだろ、今の夢」
胸が押しつぶされそうなぐらい、痛くて悲しかった。
でも、その夢がどんどん薄れて思い出せなくなっていくことが、また余計に悲しかった。
「あー、考えてても仕方ないかぁ」
涙が出そうな、それぐらい昂ぶっているのに、眠気はかなりきつい。体が、まだ起ききっていないみたいだ。
私、朝弱いからなあ。
「んー」
しゃっきりさせようと、とりあえず布団をはいでのそのそと這い出してみる。
髪の毛がぼさぼさだった。
私はいつものように、20分をかけてヘアースタイルを整える。
そうして今日もそれなりに退屈で、でもそれなりに満足してる一日が始まった。
学校に行き、席に座ると同時に、希望から声をかけられる。
「あ、八重ちゃんおはよー」
「おはよ、希望」
なんてことは無い普通の挨拶。続けて、テレビの話題だとか、近くの喫茶店の新メニューだとか、いかにも年頃の女子高生の話題に移っていく。
こういう話をしていると気分が落ち着く。
まじめに何かやりたいって気力が最近とみに乏しい。ともすれば、こうして何気ない会話で笑っている最中にでも空しさを感じてしまう事がある。
なんでだろ、私らしくもない。
「そう言えばさくっちがさ……」
そんなときに、聞きなれない単語が耳に飛び込んできた。
「さくっち?」
まただ。
「うん、さくっちがね」
希望は、さも当然のことと言うように、特に説明を加えもせず話を続ける。
だけど、私は、さくっちって言うのが誰だかわからない。
“おっかしいなあ、どっかで、確かに聞いたことあるんだけど……”
そう思う私は、罪悪感みたいなものを感じて、嬉しそうにそのさくっちとやらから聞いた話を続けている希望にそれ以上聞き返すことが出来なかった。
なんだか、無性に恐ろしくて。
放課後、誰かと遊ぶ約束も無く、家に向かう途中、不意に紅い輝きが目に入った。
「あ……」
夕焼けを眺めていたら、何かが頭の中に浮かびそうになる。
綺麗な夕日、どこかで見た事のある。
当たり前、夕日なんて毎日のように見てるじゃない。
そう思う声もあるのに、私の中では、何かが違うそうじゃ無いって叫んでた。
頭がぼうっとする。
何かが、喉の奥に使えているような、とても言いたいことがあるのに言葉にならなくて。それは私の胸を痛めつけてるだけだった。
「くっ……」
眩暈がして、思わず私はうめく。
気がついたら目の前に誰かが居た。
地面にぺたって座り込んで泣いている、ショートカットの女の子。
「誰よ、あんた」
でも、それが誰かなんて事、わかってた。
毎日見てる私の顔、それを涙でくしゃくしゃにして女の子がこちらを向いた。
「なんで、あんた泣いてんのよ」
『私』に向かってそう言う。なんでだか、酷く腹立たしかった。ううん、苛立たしかった。
でも本当は、今の自分に対して、とても苛立たしかった。
「だって、忘れちゃって。私、あんなこと言ったのに」
女の子が呟いた、その声も私の声だ。
やめてよ、私こんなに情けなくない。
「何よ、何を忘れたって?」
だからどんどん苛立つ。でも……。
「……好きな気持ち」
口にするのを恥ずかしがるように、だけど、きっぱりした言葉で『私』はそう言った。
「はぁ?」
思わず、素っ頓狂な声が出た。って、あー、大体私がここに居るのに目の前に私が居るわけ無いよね。いつの間に私、眠ったんかな?
「舞人の事大好きな気持ち。こんなに、今でも大好きなのに。私、どうして!!」
ち、ちょっと待って、夢でもなんでも良いけど。信じらんない、私が誰かの事好き?
「な、なんの事、それに、舞人って……。あー、桜井くん?」
その名前で一人だけ引っかかる奴が居た、同じクラスに確か居た変な奴。でも、どんな奴だっけ?
「なんで覚えてないのよ! 忘れちゃったの、本当に!? 夢の中でしか覚えて、居られないの? 今度は、私から、付き合って、って言うつもりだったはずだろ、私! 八重樫つばさ!!」
目の前で今度は『私』が怒ってた。泣いている時は苛立ったけど、怒られると戸惑いがうまれた。
「何、馬鹿なこと……私が誰か好きになんてなるわけ」
「好きになったよ。どうしようもないくらい」
私に最後まで言わせないうちに答えが返ってくる。
「でも、あんたも私ならわかるっしょ。そんなこと信じられると思う?」
「信じられないよ、私だって信じられない、でも、嘘じゃない」
『私』が私を見た。自分でも見たことが無いくらい、真剣な表情だった。
ああ、私こんな顔も出来るんだ。涙でくしゃくしゃになっているのに、その顔はひどく魅力的で、なんだか羨ましいなんて思ってしまう。
「思い出せば、思い出せるはずだよ。私はこんなに切ないんだから」
『私』は私よりもっと、いらついているみたいだった。悲しくて泣いてるんじゃない、悔しくて泣いてるんだ、そんな気がした。
「海に行ったあの時。文化祭の後で二人で祝杯をあげたあの時。二人で歩いた、帰り道。もう、好きって気持ちが抑えられなくて、無理やり舞人を引っ張り込んだホテルの部屋」
「あ……」
思い出せるはずがない、そんな無かったはずの出来事。
なのに、どうして、その場面場面が克明に浮かんでくるんだろう。感情という色のついた想い出が。
暖かくて、つい、頬が緩んでしまう嬉しい気持ち、幸せすぎて不安だった気持ち、認められなくて、でも、諦めきれない切ない大切な気持ち。
そのどれもが、色褪せずに自分の中に蘇ってくる。
「私が、舞人の事誰よりも好きになるんだって決めたその時」
私にも伝染した。目の前の『私』の熱が、涙が、込み上げてくる想いが。
「……覚えてるよ!」
叫ばずにはいられなかった。
どうして、どうしてこんなに好きなのに、忘れていられたんだろう。そう、決心したはずなのに。
ううん、そんな事どうでも良い。
すぐに舞人に会いたかった。こんなにも長い間彼なしで居られたのが信じられないぐらい、もう、1分1秒も離れていられなかった。
でも、私は立ち止まって、『私』に尋ねた。
「あんた、いったい誰?」
「私は、貴方の一部。ずっと、舞人のこと好きで居つづけてる、その私」
誇らしげな笑みに、私も嬉しくなった。
「……サンキュ。さすが私」
舞人に会う。私はもう立ち止まらなかった。
「私が出来るのはここまで、貴方は一つになれますか?」
どこかから、物悲しい少女の声が聞こえたような気がした。
がらりと、教室の戸を開ける。
舞人が、私の大好きなヤツが、私に本当の恋ってものがどんなものなのか教えてくれた人が、そこにいた。
どっ、と。一目見た瞬間に、心臓の鼓動と共に溢れ出す、暖かな気持ち。
そんな気配を悟られないように軽い声で言った。
「ちゃーっす」
「……忘れ物か?」
舞人には、ばれてない、と思う。
だけど、胸の奥が熱い。
「ん、ま、そんなとこ」
「なんだ?」
なんで、こんなに好きになっちゃったんだろう。
「あー……」
もう留め様の無い想い。
私は、舞人に声をかける。
「面白いジョークを思い出した」
照れくさくて、どうしても照れ隠しが混じってしまうけど。
大切な言葉を交わすために。
この胸の素直な気持ちに、恋心と言う名前を与えるために。
「風が吹けば、小さな火は消えるけど大きな炎はより燃え上がるのだね」
舞人がびっくりした顔をしていた――。
END
BACK