MirrorLabyrinth

 

 第6話

 
 でも、どうしたら良いのかな。
 探してみるって言ったけど、真一郎はどこにいるんだろう。
 そもそもいるかどうかも判らないのに……。
「眠れない?」
 私が呆然と天井を見上げていたら横から静かな声がかかった。
「うん……」
「そりゃそうだよね。こんな状況で中々眠れないよね」
「小鳥さん……」
「ん、なに?」
 衣擦れの音がして、隣で寝ていた小鳥さんがこちらに向き直ったのがわかる。
「小鳥さんと真一郎は元々幼馴染なんでしょ?」
「……う、うん。真くんとは幼馴染だよ」
「恋人になるのって難しくなかった?」
「うーん。そうだね、きっと、何も無かったら私達付き合ってなかったね」
「どうして付き合えたの?」
「……どうしてかな? 考えた事無かったよ。あの時はただ、私は一生懸命にせめて幼馴染のままでいたいって思ってたから」
「それだけ好きだったの?」
「うん、それだけは間違い無いよ。私は真くんの事が好きだった。だから、真くんが励ましてくれて、自分に少しは自信が持てて、その後も色んな事教わった……」
「今は?」
「……当然好きだよ。でも、前よりもっと好きかな。きっと、真くんがいなかったら今の自分はいないよ」
「……そう」
「あ、ごめんね」
 小鳥さんは困ったような哀しそうな顔をした。
 私から見ても可愛らしい。
「なんで謝るの?」
「だって、七瀬さんは側にいられないんだものね」
 私、そんなに哀しそうな顔しちゃったのかな。
 吹っ切ってるつもりなんだけど……な。
「気にしないで良いよ。どうせ私から聞いた事だし。それに、そんなに悲観してたら、私きっとここにはいないよ。もう、とっくに……死んじゃってるよ」
 小鳥さんはますます申し訳なさそうに目を閉じた。
「うん、でも、やっぱり悪かったと思うよ。ごめんね。七瀬さんの真くんが見つかると良いね」
「……小鳥さんは、嫉妬する気持ちは無いの?」
「嫉妬?」
「うん、だって私が探してるのは真一郎なんだよ?」
 そう言うと小鳥さんはくすっと笑った。
「なんだ、そんな事か」
「そんな事って……」
「ううん、確かに、最初真くんに抱きついてる時ちょっとだけ、どう言う関係なのかなって少しだけ思ったけど。今は、嫉妬する理由なんか無いよ」
「なんで?」
「だって、私と真くんが結ばれたのは結果だもの。あくまで今がそうだってだけだし、きっと、七瀬さんの世界では私は私なりに真くんへの気持ちを見つけてるだろうから」
「真一郎への気持ち?」
「うん、元々幼馴染だったし。それでも良いやって、何度も自分に言い聞かせてた時もあったから」
「諦めたって事?」
「そうなるのかな? でも今では付き合ってるんだし。結局ずっと苦しんでも捨てられなかったんだなって思うけど……」
「じゃあ、やっぱり」
「大丈夫だよ、私が好きなのは七瀬さんの世界の真くんじゃないもの」
 言い諭すように小鳥さんはゆっくりと私の顔を覗き込んだ。
「この世界で、ずっと私と幼馴染だった、少し前から恋人になって……今までをいっしょに過ごしてきた。その真くんが今の私は好きなんだよ」
 ……っ!
 なんだか、小鳥さんの顔を見ているのが辛かった。
「凄い……な」
「え?」
「私、そんな事考えたこと無かったから……」
「……私だって、今初めてだよ、こんな事考えたのは」
「私はでも、そんな事思えそうにないから……」
「じゃあ、私の真くん好きになれる?」
「え……?」
 あの真一郎を……好きに?
 …………それは。
「出来ないよ……だって、あの真一郎は……」
「ごめんね、また辛い事聞いちゃったね。でも、そう言う事だよ。あなたにはあなたの、真くんがいるんだもん。その人以外の真くんなんて要らないでしょう?」
「うん……そうだね。ありがとう」
「あ、え? い、嫌だなあ、私なんにもしてないよ」
「ううん。なんか大事な事を教えてもらったような気がするから」
「はやや、照れ照れ」
 小鳥さんが少し恥ずかしそうに笑った。
 気持ちが暖かくなる――。
「おやすみなさい、小鳥さん」
「うん、おやすみなさい七瀬さん」
 今度は眠れると思った。
 
 
 ……
 …………
 夢。
 夢だってわかってるのに。
 どうして目覚める事が出来ないんだろう。
 
 さくらが真一郎の前に立っていた。
 なんだか、思いつめた表情だ。
「どうしたのさくらちゃん?」
「先輩、七瀬先輩に会いたいですか?」
 意味を理解するのに少し時間がかかった。
「何言ってるんだよ。変だよ、さくらちゃん」
 真一郎は平静を装ったつもりだけど、自信はなかった。
「今、会う事が出来るとしたら……」
「やめてくれ!! 何故だい? 今になって急にそんな事言うのは、一体どうしてなんだ」
「それは……」
 さくらは困った泣き笑いのような顔で口篭もった。
「俺と七瀬が一緒にいられないことを解らせて、引き離したのは君じゃないか? 辛い記憶は想い出にして引き出しにしまっておくと良いって言ったのは君じゃないか……ようやく、そうなりつつあったのに……」
「私だって辛かったですよ……ずっとじゃないけど先輩と会う時は時折思い出して、少しだけ後悔してました」
「さくら……ちゃん」
「なんで私、こんな事してるんだろうって。先輩と他の出会いをしてたら良かったかな……って」
 下唇を噛んださくらの姿はとても辛そうだった。
「……今更ですよね、確かに。私らしくなかったな……」
「俺は……さくらちゃん……」
 さくらは首を振った。
 その先は口にしちゃ駄目だって言ってるみたいだった。
「本当を言えば七瀬先輩に会わせたいわけじゃないんです。でも、先輩がいつだってそれを望んでいる事を知っているから」
「本当に会えるの?」
 真一郎は自分でも口から出た台詞に驚いていた。
“さくらの事想いやりたいって、思ってるのに。でも……”
「! …………はい」
 さくらの顔に刹那に浮かんだ表情。
 微かな衝撃と、やっぱり……という諦め。
「そう、考える時間を貰えないかな?」
 自分の気持ちに答えを出せなくて、真一郎が二の足を踏む。
「それは、駄目なんです。もしかすると私は、もうすぐ先輩の前から姿を消さなきゃならないから」
「どういう事?」
「……私が、人間じゃないからって事です……」
 さくらの真一郎に向けられた微笑みは、哀しくそしてわずかに自嘲じみていた。
 
 いつまで、いつまで続くの?
 この哀しい夢は……。
 答えられるはずの無い疑問に、答える声がした。
『あなたが、忘れている事に気づくまで……』
 …………
 ……
 
 

 第7話

 
 ちゅんちゅん、ちちちちち。
 あ、朝か……。
 湿気が強くて蒸し暑い……。
 もう少し寝ていたいけど、すぱっと起きちゃおうかな。
 あれ? 良い匂いがする。
 お母さんが、帰ってきてるのかな。
 …………。
 違う。
 私何を寝ぼけてんだろ。
 ここは、私の家なんかじゃないんだ。
 私は真一郎を追いかけてきて、何もかも置いてきちゃったんだ。
 ……辛い。
 お母さん、心配してるかな?
 心配してるよね……ごめんね。
「あれ、起こしちゃった?」
 満面に浮かべられた笑み。
 少しだけ励まされる。
「うん、良い匂いしたから」
「そう? 美味しいか保証は出来ないけど、朝食出きるからすぐに」
 そう言ってキッチンに戻っていこうとして、思い出したように降り返る。
「あ、七瀬さん朝はパンの方が好きな人?」
「え、私は……一応、御飯かな。私、前世の記憶があるからね、あんまりパン食って合わないんだ」
「良かった、たまたま、今日は御飯にするつもりでお味噌汁作っちゃってたし、パンだったらどうしようかって思っちゃったよ」
「あはは、でも、小鳥さんの作る美味しい朝御飯なら朝はパンって決めてる人もきっと喜んで食べるよ」
「そ、そうかなあ。なんだか照れるよう」
「真一郎の料理のお師匠様だものね。それだけの価値はあるよ」
「もう、そんなに誉められると恥ずかしいよ」
「くすす、可愛い」
「あう〜私のほうが年上なのに〜」
 その様子に私はひとしきり笑った。
 その間すねたように小鳥さんは私を睨んでいた。
 
「美味しかった……」
「良かった、お口に合ったみたいで」
「あ〜あ。私も小鳥さんに料理教えてもらおうかな」
「やってみる?」
「うん、真一郎をみつけたら、美味しい料理食べさせてやるんだ……」
「そうだね、じゃあ夜になったらお勉強しよう?」
「ありがとう」
 小鳥さんは嬉しそうだった。
 どうして人の事でこんなに喜べるのかな、とっても羨ましい。この人の才能なんだな。
「でも、七瀬さんの真くんはどうしてこっちに来たんだろうね。何か目的があったのかな?」
 こちらを気遣うように、遠慮しながら小鳥さんは疑問を口にした。
「……わかんない。実際、私達は上手くやってるはずだったし、あの日までは真一郎何も変わった事はなかったもの」
 答えていると、そんな幸せの日々を思い出して胸が痛んだ。
「もし、迷い込んでるんだったら、真くん必ず私達に会いに来ると思うよ」
「そっか……そうだよね」
「そうでないなら、きっと七瀬さんを探しにいくはずだよ」
「私を?」
「だって、そうでしょ。七瀬さんの真くんにとって一番大事なのは七瀬さんなんだもの」
「でも、じゃあ花摘は……」
「そっか、真くんに頼まれて探しに来たんだよね……じゃあ、どこかで真くんはやっぱり七瀬さんの事待ってるんだよ」
「どこかでって……どこなのかな」
「う、そこまでは私にはわからないよ……。でも、待つんだったらきっと、七瀬さんとの思い出の場所とかじゃないかなあ。ああ見えて真くん結構ロマンチストだし……」
 思い出の場所……。
 真一郎なら、どこで……。
「あ、ちょっと」
 そう言って、小鳥さんが席をはずす。
 どうやら洗面所に行っただけみたい。
 それより真一郎は、たくさんある想い出のどの場所に……。
 うーん、難しいかも。
 ……じりじり。
 …………じりじり。
 大体、今日は暑すぎるのよ。
 私が出てきたときはまだ春先だったのに……。
 カレンダーは7月だ。
「暑いわけよね……7月に冬服着てたら」
「ごめんね、私の服じゃ小さくて着れないもんね」
「あ、良いよ。それは仕方ないし……大丈夫?」
 降り返って見た小鳥さんは少し顔色が悪かった。
「平気平気、大丈夫だから」
 私は少し心配だったけど、気にしない事にした……。
「服買った方が良いね」
「でも、私……」
 お金あったかな……たしか財布の中にひいふうみい……駄目だ、買えないや。
 これから何に必要になるか解らないし……裸でないだけましだって思わなくちゃね。
「大丈夫だよ。私から服のプレゼントぐらいさせてよ、ね?」
「……ありがとう、何から何までお世話になっちゃって」
 今の私には、プライドがどうこう言っている余裕はないんだ。
 だから……今は。
 
「この服も可愛いよ」
「あの、もう良いよ……なんか楽しんでない?」
 小鳥さんはとっても可愛い服を選んでくれるけど……なんだか私には合ってない気が……まあ、こういうひらひらの服着るのも憧れだったけど(幽霊の時には)。
「うん、ちょっとだけね。大体、普通に着る服は決まってるし。この辺集めておいたから」
 そう言って、小鳥さんは籠の中を指し示す。ブラウスに……ズボン、ハーフパンツ、その他もろもろ……。
 うん、一通りそろってるみたい。
「下着は、ちゃんとした店で買った方が良いし、私が適当にサイズとか選べないからね」
 それはそうだね。
「それでね、これが本命なんだけど、どうかな。七瀬さんには似合うと思うんだよ」
 そう言って淡いオリーブグリーンのサマーセーターと、デニムのスカートを取り出してくれた。
「へえ……」
「良い色でしょ。前から目をつけてたんだけど、私じゃ似合わないからね」
 小鳥さんはじっと私を見る。
「な、なに?」
「スタイル良いなあって……あはは」
「小鳥さんだって……えっと……」
「う、良いよ気使わなくて……」
「ごめんなさい」
「ううん、それより早く着て見せてよ」
「うん、着てみるね」
 制服を脱いで、サマーセーターとセミロングのスカートを身につける。
 しっくり来る。まるでずっと私が着ていたものみたいに……。
 ……あれ、そう言えば……この服……。
 似たような服を見たことがある。
 あれも、暑い夏の日だった。
 真一郎と……海に行ったっけ……。
 そこで転生してから初めてキスしてもらったんだっけ。
 それまでずっとせがんでて……それなのにしてくれなくて。
 すねちゃって、私中学の友達と一緒に海行ったんだ……。
「わあっ、良く似合ってるよ。本当七瀬さんぴったりだよ、それ」
「ありがとう……小鳥さん。それで、私ちょっと出かけてきたいんだ」
「え、お出かけ?」
「うん、真一郎を探しに行ってくる……」
「あ、そうだよね。でも、急にどうしたの?」
「うん、ちょっと……」
 すぐにでも行きたい。
 真一郎との思い出の場所。
 もしかしたら真一郎が待ってるかもしれない場所。
「解った。服は全部家に持っていっておくからね。その服はそのまま着て行っちゃう?」
「ごめんなさい。……私、凄い我侭で……」
 謝りながら、それでも心はもうあの場所に飛んでた。
 本当にすまないって思ってるのに。
「良いよ、いいから。早く行ってきなよ。真くんが居そうな場所、思いついたんでしょ」
「ありがとう」
 私は会計を済ませるとその足で駅に向かった。
 
 
 一人ぼっちで海辺に座って、みんなが遊ぶの見てたっけ。
 せっかく買った水着にも着替えないで、ビーチマットの上に座ってた。
 あの時はみんなと海に来てしまった事を心底後悔してた。
 家で寝てれば良かったって。
 前日から急に生理が始まってしまって、海に入れなくなっちゃったのに。
 なんとなく真一郎と喧嘩したばかりだったから、会いたくなくって。
 当てつけてやるつもりで出てきたのに。
 結局一人で考える事といったら真一郎の事ばっかり。
 泊まりだったから、みんな遅くまで遊んでて。私は上がってきた友達に話しかけたりするだけで一日過ぎちゃって、そのままぶらぶらしてたんだよね。
 そうしたら……。
『七瀬……』
『真一郎、どうして? 海来れないんじゃなかったの』
『ああ、仕事あるから……また、帰らなくちゃいけないんだけど』
 真一郎はスーツのままだったけど、襟に細かい砂が付いてた。
 長い間私を探して海岸を歩いていたのかもしれない。
『じゃあ、帰りなよ。仕事、大事でしょ?』
 嬉しいのに、心にも無い事言ってた。
『少し、時間あるかな?』
『私は……そりゃ、少しだったら……あるけど』
『じゃあ、ちょっと付き合ってくれる?』
『……解った』
 ついた場所は、海岸線が一望に出来るところだった。
『で、真一郎ここにきて何かあるの?』
『いや、別に何かあるわけじゃないよ。ただ、今の七瀬と少しでも多く思い出を作っておきたかったから、来ただけだよ』
 私が黙っていると真一郎は続けて言った。
『喧嘩した事も少し気になってたし……』
『……もう、怒ってないよ。私が色々困らせちゃっただけだし……不安だったから』
『不安?』
『うん、やっぱり真一郎は他に好きな子が居るんじゃないかなって。だから私に手を出さないんじゃないかなって』
『だったら、こんなところに連れてこないよ……』
『え?』
『ここはね、とっても綺麗な夕焼けが見えるところなんだよ。そのせいで、恋人達にはキスの名所として有名な場所なんだ』
『あ、本当だ……』
 じんわりと夕日がにじむ空。
 海全体がその色に染め上げられていく様はとても素敵だった。
『七瀬、好きだよ』
 振り向いた私を優しい眼で見ている真一郎が居た。
 ……凄く嬉しかった。
 真一郎に好きだって言われた事と、求めてくれたって事が。
 自然に肩を抱かれて……唇を奪われた……。
 その強引さも嬉しかった。
 その夜は、眠れなかったっけ…………。
 
 
 そこへついた時は、ちょうど日が沈むところだった。
 夕焼け空……綺麗。
 あの時と同じ空……。
 こっちでも、空の美しさは変わらないんだね……。
 でも、どこか違う。
 胸を打つ、そんな感じがしない。
 それはきっと、真一郎がそばに居ないから?
 考えてしまう、ポロリと涙が溢れそうになる。
 だめっ!
 ……泣くもんか、泣くもんか……
 もう、真一郎に会えるまで……
 ……
 ……泣くのなんか、嫌だよぉ…… 
 
 
 プァアーン。
 ガタン、ゴトン……。
 電車に揺られていると、なんだか自分がどんどん小さくなっていってしまうような気がした……。
 
 

 第8話

 
「七瀬さん!」
 気がつくと、目の前に小鳥さんが居て、立ったまま肩を揺さぶられていた。
「あ……え……?」
「心配したよ。……ずいぶん遅かったから」
 小鳥さんはじんわりと涙を目の端に溜めていた。
「他に行くところがあるなんて考えられなかったし、何か変な事にでもあったんじゃないかって……」
「ごめん……なさい……でも、ほら大丈夫だって。私、こう見えても強いし、そんなに簡単に死んじゃったりしないから」
「うん、無事ならそれで良いよ」
「うん……全然平気」
 その一言で、小鳥さんは大体何があったのかわかってしまったらしい。
「……七瀬さんは、本当に強いね」
 そう言って、小鳥さんは私の背中に手を回してくれた。
 背が少し足りなかったけど……。
 その時の私が一番嬉しいものを小鳥さんはくれた。
 
「あ、そうだ。真くんも七瀬さんを探してくれてるんだよ」
「真一郎が?」
「うん、だから、見つかったって連絡入れないと」
 電話ボックスを見つけて、小鳥さんがカードを入れた。
「うん、うん。大丈夫見つかったから……真くんは良いの。もう。……うん。ごめんね……あはは、ありがと」
 少しだけやり取りがあって、小鳥さんが出てきた。
「真くん、凄く心配してたよ……」
「そう……」
「だからね、今度は出来る限り連絡、してね。どこへ行ったか教えて欲しいの……でも、七瀬さんも大人だし迷惑かな?」
「ううん。嬉しいよ。自分の事気にかけてくれる人が居るのは。良く考えたら、私はこっちでは一人ぼっちなんだものね」
「大丈夫だよ。きっと真くん見つかるよ。そうしたら、七瀬さんの世界に帰れるんだよ。ちょっぴり寂しいけど……」
「ありがとう。小鳥さんにはどれだけ感謝しても、し足りないね」
「何言ってんの……私がお節介なだけだよ。本当に迷惑じゃないよね」
「うん」
 私は頷いて、小鳥さんの横を歩き始めた。
 くすっ。
 小鳥さんが少し楽しそうに笑った。
「どうしたの?」
「うん、あのね、七瀬さんには悪いんだけど、子供が居たらこんな感じなのかなって」
「え……?」
「こうやって、一緒に帰りながらお話したり、居なくなったら真くんと一生懸命心配して探して……」
 小鳥さんは、そんな未来を夢想しているんだろうか。でも、時折何か不安そうに小鳥さんは目を泳がせる。
「……わかんないよ。私だってまだ子供いないもん」
「あ、あはは。そうだよね。私ったら、何言ってんだろうね。ごめんね忘れて?」
 もしかして、小鳥さん……。
「子供、出来たんですか?」
 こっちがびっくりするぐらいの反応だった。
「な、なんでそれを……!」
「やっぱり……なんとなくそう思っただけなんだけど」
「あははは……うん。子供が私のお腹に居るんだ」
 そう言った小鳥さんの表情は複雑だった。
「良かったね」
「う……うん。そうだね」
「真一郎は知ってるの?」
「真くんは……知らないよ」
「それじゃあ、教えて上げたら真一郎喜ぶよきっと」
「駄目っ!!……あ、ご、ごめん」
 瞬間、小鳥さんは私がびっくりするような声で叫んだ。
「……どうしたの?」
 その後、それを恥じたように下を向いた小鳥さんは搾り出すような声を出した。
「……真くん、本当に喜んでくれると思う?」
「え……?」
 私は何が言いたいのかちっとも解らなかった。
「私達、まだ学生なんだよ。真くんだって収入があるわけじゃないんだし。子供育てるなんて……無理だよ」
 少しだけ、私は胸が苦しくなった。子供なのかなと自分で思ったけど、なんだか嫌だった。
「小鳥さん……」
 さっき子供の事を語っている小鳥さんは本当に嬉しそうだったのに……。
「あ、なんか落ち込んじゃったね。ごめんね」
 小鳥さんは無理して笑ってた。それは、本当の小鳥さんの笑顔に比べたらとっても悲しい笑いだった。
「でも、真一郎には……」
「うん、七瀬さんは気にしないで。私ちゃんとするから……」
 
 
 そう言われても、気にしないでいられるわけ無かった。
 そんな私の雰囲気を感じ取ったのか、家に帰って、約束通り料理を少し教わったあと、小鳥さんは独り言みたいに話し出した。
「本当はね……怖いんだ」
「何が?」
 話自体は唐突だったから私はなんのことだか良く解らなかった。
「子供を産むのが……ううん、違う。お母さんになるのが……」
「どうして?」
「ふふふ、私ね、お母さんに捨てられたんだ」
「捨てられたって……」
「捨て子とかじゃないんだよ。私がまだ小学生の時にね、お父さんと私を置いて、お母さん蒸発しちゃったんだよ」
 淡々として、小鳥さんは表情を変えないで喋っていた。
「悲しくって、寂しくって……だから憎んでしまう事でそんな自分の気持ちをごまかしてた。自分でもそうだって気づかないぐらいに……」
 少しだけ、ここで小鳥さんは微笑んだ。
「でも、真君が恋人になってくれて、そんな私の気持ちを少しだけ穏やかにしてくれたんだ」
「真一郎らしいな」
「うん、だからね、今ではお母さんの事恨んでないよ。でも、でもね。自分が同じ事をしてしまうような気がして怖いの」
「同じって?」
「私がお母さんと同じ事をするんじゃないかって事……」
 深刻な表情だった。私が見ていたくないそんな辛い表情だった。
「大丈夫だよ小鳥さんは、そのお母さんとは違うじゃない。その悲しさと寂しさを知ってるんだから」
「でも、幼い頃母親の愛情を受けて育たなかった子は大きくなって同じ事を子供にすることが多いんだって」
「そんなの、単なる統計じゃない。おかしいよそんなの」
「おかしくないよ、きっと私はやりかねないよ」
「なんでそんなに自信が持てないの?」
「だって……」
 悲しくて悲しくて、私は腹が立ってきた。
「昨日、私に話してくれたことは、みんな嘘?」
「え?」
「真一郎をとっても愛してる自分まで否定しちゃうの?」
 だから、私の言葉はきっと少し強かったんだろうと思う。
「違うよ、小鳥さん、それは。……逃げてるだけだよ」
 びくっと小鳥さんが震えた。
「それに、その小鳥さんのお腹にいる子供は、真一郎の子でもあるんだよ。小鳥さんが辛い時は真一郎がきっと助けてくれるよ!! それとも、真一郎まで信じられない?」
 私の言葉に驚いたような顔。
 何か言いたそうにしている。途端に私の口から抑えていた感情がほとばしっていた。
「……羨ましいんだよ。私なんかどんなに頑張ったって逃げる事すら出来ないんだから……」
 そう言うと、自分の境遇を思い出して涙を抑えるのはとっても難しかった……。
「ごめんね、七瀬さん、私、弱気になってたみたいだね」
 小鳥さんは、私に抱きついて頭を抱え込んでそう言った。
「良いよ。私も言い過ぎたし、私のことなんて関係ないもんね」
「そんな事無いよ。ありがとう。まだ、正直怖いけどでも、そんな私にも真君を信じる事は出来ると思う。ううん、きっと出来る。だから、私真くんに話してみるね」
「うん、それが良いよ」
「あ……そう言えば、私元々昨日その話をするために真くんを招待したんだった」
「え? じゃあ、もしかしたら私が邪魔したの?」
「ううん違うよ。私きっと真くんの前でも同じ事を言ってたに違いないから。もしかしたら、逆に真くんに甘えちゃって、だから、降ろすなんてことにしてたかも……」
「役にたったって事なのかな……?」
「うん、そうだと思うよ」
 小鳥さんはようやく本物の笑顔で私に笑いかけてくれた。
 
 

 第9話

 
 ……
 …………
 聞こえる……。
 ……誰?
 私を呼ぶのは……。
 
「なな……七瀬……七瀬……」
 
 真一郎?
 うそ……?
 真一郎だ。
 真一郎だ!
 
「七瀬! 七瀬! 七瀬っ! 七瀬ぇっ!」
 必死になって私を呼んでいる真一郎。
 その顔は不安と、恐怖でいっぱい。
 声はずっと叫びつづけていたのか、枯れてがらがらだ……。
 真一郎、どうしたの?
 私はここにいるよ。
 真一郎……!
 
 駄目だ、聞こえてない。私の姿は目に入らないみたい……。
 もう少し、もう少し、近寄れれば……。
 
『どうしてここに居る。何故だ?』
 
 その時、突然に恐ろしい声が空間に響き渡った。
 四肢を萎縮させるような体の奥底を揺さぶる声だった。
 
 誰?
 恐る恐る私はその声に問い掛ける。
 本当はすぐにでも逃げたかったけど、体が動かなかった。
 
『誰でも良い、忘れりゃ。この事は……あの男の呼び声は聞かなかったのだ』
 
 何故、あなたは一体……。
 
『あの男と会わせるわけにはいかんのだから』
 
 そんな……。
 いやだ。助けて、真一郎!
 
『さあ、忘れりゃ!! 』
 
 …………
 ……
 
 
「いやあああああああああ!!」
 怖い、いやだ、そんな、まって、まだ、痛いよ、悲しい、いやだ、来ないで、真一郎、怖いよ、駄目、いやだよ!!!!
「どうしたの七瀬さん?」
 怖くてがたがた震えていた私の肩に小さな手が添えられた。
「はあ、はあ、はあ、ああ、あああ。……え?」
「どうしたの、急に、怖い夢でも見た?」
 びっくりして、私は小鳥さんの瞳を覗き込む。
 そして、自分が今どうしているかが解って少しだけほっとした。
「夢……見ていたような気がする。真一郎が出てきたような……」
 あれ、私何を怖がってたんだっけ……。
 私、何をそんなに……
「覚えてないの?」
「……だめ、全然思い出せないよ。とっても大事な夢だったような気がするのに!」
 頭の中身が、引き出せて調べられたら良いのに。
 駄目だ、忘れちゃいけないのに!
 なんだっけ。
 なんだっけ?
 いやだよ、真一郎。
 いやだよ、忘れちゃいけないんだ!
「ち、ちょっと七瀬さん駄目だよ、やめなよ。七瀬さん、七瀬さんってば!」
 腕に絡みついてくる小鳥さんに、私はようやく我に帰った……。
 指にごっそりと抜けた髪の毛が絡みついていた……。
 頭がズクン、ズクンと脈打っている。
「あ……」
「駄目だよ、せっかく綺麗な髪の毛なのに……」
 私の狂乱ぶりに小鳥さんは涙ぐんでいた。
 そっと、ガーゼを持ってきて頭に当ててくれる。
 ほんの少し、血が出ただけだから、実際の怪我の程度はたいしたこと無い。
 でも、小鳥さんは心配そうだった。
 
 結局、病院に行って処置してもらった。
 保険証なんかあるわけ無いから結構高くついたみたいだ。
「ごめんなさい」
 近くの公園の中を歩きながら私は小鳥さんに謝った。
「ううん。良いんだよ、それよりあんまり気にしちゃ駄目だよ」
「うん」
 そうは言ったけど心の中でずっと何かが抗っているみたいに、嫌な気持ちは抜けていかなかった。
「七瀬さんは子供って好き?」
 唐突に小鳥さんが尋ねてくる。なんだか楽しそうだ。
「私は……好きかな一応」
「私は好きだなあ。子供達が遊んでいるのを見るのってとっても好きなんだ」
「きっと、自分の子供だったらもっと可愛いよ」
「……困ったなあ。私産むのやめようかな」
「え、また……」
「だって、他の人の子でもこんなに可愛いのに、きっと自分の子供だったら私どうにかなっちゃうよ」
 小鳥さんは茶目っ気たっぷりにそう言って笑った。
「もう!」
「あははは」
 小鳥さんが走って逃げ出す。
「ありがとね。七瀬さん」
「なに? 感謝するんだったら私のほうでしょ」
「ううん、やっぱり、私一人だったらどんどん悪い方に物を考えちゃったと思うから」
「私、そんなにたいした事してないよ。私はただ、真一郎が悲しむんじゃないかなって思っただけ。それに……」
「それに?」
「……秘密!」
「あ、ずるいよ。教えてよ〜」
「秘密ったら秘密」
 悔しくって言えるわけない。
 小鳥さんみたいに真一郎に寄り添うのがとっても羨ましいから。
 だからそんな理想の人には、強く居て欲しかったなんて……言えないよ。
 私だって、真一郎をとっても大好きなんだから。
 
 
「今ごろ、真一郎と小鳥さんは話し合ってる頃だな……」
 小鳥さんはなんだか居て欲しがったけど、これは私の問題じゃない。小鳥さん達が解決しなくちゃならない問題だよね。
 だから、私は真一郎を探すっていう名目で抜け出してきた。
 子供……か。
 良いなあ……真一郎と子供の手を取って歩くなんて結構良いだろうなあ。
 そう言えば、今年は……だから、今ごろ私はまだ幼稚園にも入ってないわね。
 一度覗きにでも行ってみようかな……。
 え?
 ちょっと待ってよ?
 この世界は私と真一郎が出会わなかった世界……なんでしょ?
 だったら、だったら私はまだあの辛く悲しく寂しい場所に一人でいるんだろうか。
 そうよ、なんで私想い出の場所を考えた時に真っ先にあそこが思い浮かんでこなかったんだろう。
 きっと、無意識のうちにあそこに行きたくなかったんだ。
 悲しみだけの積もるあの場所に。
 それに、あそこには、あれが。『鏡』がある。
 ……怖い。
 でも、真一郎に会えたのもあの場所なら、居なくなったのもあの場所。
 真一郎が待っているとしたらきっとあそこに違いない。
 ……行ってみる?
 
 
 空はかんかん照りだ。
 汗がセーターの色を変えていく。
 こんな暑い日にも、それを感じすにこの世界の私は誰かが来るのを待ちつづけているんだろうか。
 この旧校舎で。
 中は案外ひんやりしていた。
 人気は無い。
 当たり前か。
 こんな夏休み真っ最中に学校のしかも旧校舎にいるとしたら、それは、私ぐらいだものね。
 真一郎は、居ないかな?
 すい……。
 あれ、今の……影。
 ちょっと待って、私?
「あなたは……?」
 声は後ろからかけられた。
 ついびっくりしてしまう。前で見たのにって……。
 でも、する事無いから、こういうコトするの好きだったものね、私。
 振り帰るとそこには案の定懐かしい自分が佇んでいた。
 その真っ黒なセーラー服も涙が出そうなほど懐かしい。
「やっぱり、ここに居るんだね……」
 私の言葉を聞いた瞬間、『私』の表情が変化した。
「ようやく来てくれた」
 能面のような、感情を無くした怖い表情だった。
 胃がきゅうっと、縮み上がる。
「え? なんの事?」
「代わりに来てくれたんでしょ」
 にっこりと頬を吊り上げる。
 それが、私の恐怖を増大させた。
「わかってるもの」
 ずいと『私』が近寄ってくる。
「だから、なんの事よ」
 私も半歩後ろへにじり下がる。
「帰って、来てくれたんだよね」
 一体なに? この私は何を言っているの?
「違う、私は違うよ」
 代わる、代わるって一体何を……
 ぎらりと『私』の目が私を睨みつけた。
 足から力が抜けた。
「あ、ああ……」
「30年……! 30年待ったよ。もう、待てない。約束……約束を!」
 『私』の手が私に触れた。ひんやりと冷たい。
「ちょっと、待ってよ私には何がなんだか」
「ようやく自由になれる。もう一度地面を歩ける。暖かさを感じられる暖かさを伝えられる。……返して、約束なんだから、返してよ!!」
「く、がば……ぐ」
 喉に絡まった指が私の声を奪った。
 ぎりぎりと『私』の指が食い込んでくる。
 苦しい、助けて……。
 目の前の『私』は、でも手を緩めるつもりは無さそうだった。
 私の意識は、そのまま闇に沈んでいこうとしていた……。
 
 

 第10話

 
 う……
 私。
 自分の手にかかって死ぬなんて、嫌だ……。
 無茶苦茶に手を振り回してみる。
 当たらない。なにも手に触れなかった。
 当たり前だ……だって『私』は幽霊なんだから。
「あ……か、は……」
 限界だった……手が動かない。
 目の前がちかちか黒くなり始めてた……。
 
 実際、気を失ってたのかもしれない。
「そこまで……!」
 その声がかけられて、『私』がはっと力を抜いた。
 どさっ。
 地面にくずおれて、私は必死で呼吸する。
 吸い込む空気は、喉に痛かった。
「げほっげほっ……か、花摘……」
 静かにそこに佇んでいたのは、巫女装束に身を包んだ花摘だった。
「こんにちは、七瀬。あんまり芳しくないみたいですね」
「見て、わかる……でしょ……」
「あ、ああ……あなたは……帰ってきたの?」
『私』の目が食い入るように花摘を見つめていた。
 駄目だ……狂っている……この『私』は狂ってしまっている。
「私は、そのために来たんじゃないよ……ごめんなさい……約束守らないで……」
「花摘? ……どういう事?」
 私がびっくりして花摘の瞳を覗き込むとそこには確かに深い愛惜の色が、今にも溢れ出しそうになっていた。
 花摘は私の問いかけには答えないで、『私』を見つめたまますっと手を差し伸べた。
 なぜか逃げ退る『私』
「ごめんなさい……おびえないで。……必ず何とかするから……これは」
 下唇をかみ締めて、辛そうな花摘の姿。
 それはなんだか、胸を打たれるひたむきさだった……。
「きっと、何とかしてみせるから……だから、今は眠って……大丈夫、きっと幸せになれるから……」
 呪縛されたように、逃げられなくなった『私』が花摘の巫女装束に爪を立てる。
 気にせずに花摘は『私』を捕らえると胸の内にかき抱いた。
「う、ううぁぁぁぁ」
『私』の手が花摘の背中にびっくりするほど食い込む。
 花摘の体が一瞬震える。
「感じる? ね、感じるでしょう? 私の暖かさ、命の温かさを……」
 痛みをこらえる気配は確かにあった。
 だけど、それでも花摘は腕を振りほどこうとはしなかった。
 私は、ただ、その風景を見ていることしか出来なかった。
「あなたを待っている光が見えるはず……さあ…………」
『私』の目から涙が零れ落ちた。
「あ、あたたかい……ありがとう。これでようやく……解放される……」
『私』は花摘がしているのと同じように花摘の背中に手を回し、まるで眠るようにその姿を薄れさせていった……。
 消えていく『私』に向かって一度、花摘の腕の力がさらに追い求めるように込められて、そして、それはお終いだった。
「花摘……」
 それ以上私は何も言う事が出来なかった。
 ……ただひたすらに涙を流す花摘に向かって。
「お……さん……」
 その時ポツリと花摘が誰かの名前を呟いたような気がした。
 
 
 しばらくして、花摘は涙を拭うと私に向き直った。
 その表情はいつものなんだか侵しがたいような笑顔の仮面の下に隠されてしまっていた。
「真一郎さんはいなかった?」
「いなかったよ。……会えなかっただけかもしれないけど……多分違う。私の真一郎はここにはいない」
「そう、見つからなかったんですね?」
「本当にここに、いたの? 真一郎は……」
 花摘がじっと、私の瞳を覗き込む。
 また、だ。
 こうして、花摘は私の心の奥底にまで視線を張り巡らしているようだ。
「居たとも言えるし、違うとも言えます」
 花摘は諦めたように、瞳をそらし、軽く息をついた。
「でも、一つだけ正しい事は。真一郎さんはずっと、あなたを見守っていると言う事です」
 ……何? なんだか、引っかかる。
 心の奥底に花摘の言葉が呼び起こしたものがあった……でも、それは一瞬の事で、私は違う問いを発していた。
「……じゃあ、真一郎は私がこんなに苦しんでいるのを知ってるんだね。……見守っているって事は……」
「知っていますよ」
 花摘はそっけない。そもそも何故そんな事を聞くのかって感じだ。
「意味合いは少し、違うけれど、ね」
「どうして……それなら……」
「迎えに来てくれないのか……ですか?」
 口にしてしまうと自分の中に真一郎への不信感が募ってきそうで言えなかった言葉を花摘はこともなげに言い放った。
「人間には踏み込める領域と踏み込めない領域があるものですよ……」
「じゃあ……」
 あなたは?
 そう聞きたかった。
 だけど……。
「質問はそろそろお終いです」
「なぜ?」
「時間が迫っているから」
「時間、時間ってなんの?」
「いいから、良く聞いてください。七瀬、あなたの周りは嘘と虚構で塗り固められています。でも、そこには常にあなたへの真実を示す何かと、味方が存在します。決して、それを見誤らないように」
「何よ、それ。なんだかちっともわかんないわよ!」
 私は焦っていた。周りの風景がだんだんぼやけ始めていたから。
「あなたはまた旅に出るんです。その先に、真一郎さんを見つけるか、それとも……。それは全てあなた次第」
「待ってよ、私、せめて小鳥さんに挨拶して行かなきゃ……」
「大丈夫、最初からあなたは来なかったんだから。あなたは本当はいないはずの人間だったんだから……」
 消えて行く、周りは既に霞みのように流れる水にかき消されるように歪み始めていた。
「私も、こんな風に助言に表れられるのは滅多にありません」
 その中で花摘だけが焦点が合わさった写真のように崩れて行かなかった。
「あなたを騙そうとする悪意はとても凶悪です。あなたの心の弱さを狙ってくるでしょう」
 そこから先は良く聞こえなかった。だけど、確かに花摘は切ない声で私に呼びかけていた。
「負けないで……私の大切な……」
 
 
 寄り添う二人の姿が見えた。
「真くん……ありがとね」
「ううん、小鳥も色々辛かったんだろ? でも、いつも言ってるだろ。一人で抱え込まないで、俺を頼ってくれって」
「うん、わかってる……つもり」
「小鳥……?」
「もし、私がまた馬鹿なことしたら叱ってね。私はすぐ馬鹿なことしちゃいそうだから……」
「ああ、任せてよ。小鳥を苛めるのは俺の役目だからな」
「もう、真くんたら」
「あはは……いや、それより今日はお祝いかな。どっかに食べに行こうか?」
「あ、でも……」
「なんだ、どうしたの? 小鳥」
「ううん、なんだか私誰かを待っているような気がしたんだけど……」
「勘違いだろ?」
「うん、そうみたい」
「じゃ、いくか」
「……でも、やっぱり今日は家に居よ。なんだか、とってもそうしたい気分なんだ……」
 
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