Mirror Labyrinth

 

 第21話

 
 ……
 …………
「一体、何がどうなったって言うんだ。七瀬は一体……」
「先輩、落ちついて……」
 そんな事言われても、真一郎が落ち付けるわけがない。
「七瀬じゃないのに、七瀬の体を持った何かって、一体なんなんだよ」
 すっと花摘が真一郎達を無視して『七瀬』に近寄って行く。
「いい加減、その体を出ていって、本当に私の母になるのはその元の体の持ち主だったのに……」
「ふん、それは勝手な言いぐさじゃな」
 嘲り笑う『七瀬』……。
 その様子に真一郎は顔を歪める。
 見てられなかった、あんな七瀬の姿は。
 何かに操られているなら、真一郎はそれから解放してやりたかった。
 だいたい、体があるなら七瀬だって……そこまで考えて真一郎ははっとする。
「先輩……?」
 いや、違う、七瀬があの時、仮に祓われなかったとしたら。
 ……真一郎は今生きていなかっただろうから。
「なんでも無いよ……」
 さくらに向かって、笑いかける真一郎。
 残酷な事実を、強がりで優しいこの後輩に気づかれたくなかった。
「はい……。今は悩んでいる場合じゃないです……」
 そうは言ったものの、さくらにもどうすれば良いのかと言う答えはまだ出ていなかった。
「このまま、七瀬の体をなんだかわからない奴に使われるのは……嫌だ!」
 真一郎は搾り出すように声を出した。
「でも、七瀬先輩の体をどうにかせずにおくというのは難しいかもしれません」
「……俺は……七瀬の為ならなんでもするよ……出来るだけ、傷つけないで、やってくれないかな……」
 さくらは少しだけ真一郎の顔を見つめたあと、黙って首肯した。
 その様子に真一郎は口の中で言葉を噛み潰す。
『ごめん……俺は、我侭だね』
 
 その間にも花摘と『七瀬』のにらみ合いは続いていた。
「あなたは28年前……ここで七瀬さんと入れ替わった。本物の七瀬さんがどうなったのか、そしてそれまでのあなたがなんだったのかは、私にも良く解らない」
 その言葉遣いに『七瀬』がわずかに眉をしかめる。
「偉くなったものだね。花摘……お前は私が生んだんだよ?」
 花摘があからさまに表情を硬化させる。
「本当は、私は七瀬さんの娘として生まれてくるはずだった。あなたの、歪んだ目的の為に産まれてきたわけじゃない!!」
「だが……事実はその否定している方、じゃな」
 ニヤニヤと笑う、『七瀬』に花摘が怒りを溢れさせた視線を向ける。
「安心せい……例え、お前が七瀬の娘であったとしても、あの男と添い遂げるは無理なのだからのう」
「く……私は、私は側にいられればそれで良かった……なのに!」
「ふほほほほほ、嘘を言うな。惚れていたろう? 狂おしいほどに、それこそ殺したいほどに……」
 見開かれる眼、握り締められる拳。指先から血が滴って行く……。
「あなたを、消します! 水沢の血に連なるものとして、そして……あなたの娘として」
「無駄じゃ無駄じゃ。そこに居る娘、そなたも動けば死ぬるぞ」
 花摘の叫びにも何ら動揺を見せずさくらに向かって言い放つ『七瀬』
 さくらは、それでもただじっと『七瀬』を見つめている。
「どうしたの……?」
「いえ、ちょっと気になる事があるから……」
 真一郎がさくらとそんなやり取りを交わしていると花摘が白衣の内から何枚かの紙を取り出す。
「あなたが、無残に滅ぼした、水沢の技が、本当に無駄かどうか、思い知れ!」
 『七瀬』はそれをあざ笑うかのように頬につけられた傷に手をやった。なぞるようにして、血を拭い去ると、滑らかな陶磁のような肌が現れた。
 手に付いた血を振り払い、『七瀬』は慈母の微笑みを浮かべる。
「無駄でしょ?」
 限りなく嘲りのこもった言葉。
 花摘は激情を押さえる為か唇を噛み締め、血が1滴紙片に滴り落ちた。
 それを引き伸ばすかのように花摘はつつっと紙に指を走らせる。
「血は智に通じ、力に通ず。紙は上代(かみ)に通じ、神に通ず」
 花摘は白衣の袖を振るって紙片を空中に投げ飛ばす。
「我が血にて宿り給え……魔を滅ぼすものよ。神の名を持つ狩人たちよ」
 紙片が不自然な軌道を描いて回る。
「狗神水沢流……退魔の法。武式鬼八神召! 出でませ!!」
 朗々とした詠唱が響き渡る。そして紙はその姿を人のものへと変えた。
 人ならぬものでありながら、鎧兜をつけた武者のようなものが『七瀬』へと襲いかかる。
「七瀬!!」
 それが七瀬でないと知りながら、真一郎は胸に張り裂けそうな痛みを感じる。
 だが、それは杞憂だった。『七瀬』に切りつけた式神達は腕を一振りされただけでその場で灰になって散った。
 一体がわずかに七瀬の腕に得物を突き刺していたが、その傷も先ほどと同じようにすぐに消え去った。
 真一郎達が、あっという間もない間の出来事だった。
「ほ、ほほほ。ここでただ待ちつづけていただけと思うたか?」
 『七瀬』は何故か残ったままの刀を手に持ち、それを花摘に向かって放り投げた。避けようとする花摘の肩口にそれは命中し、教室の壁に花摘を磔にした。
 見る見るうちに、白衣が赤へと染まって行く。
 気絶してしまったのか動きの無い花摘から、じろりとさくらに目を移して『七瀬』は言った。
「ところで、花摘が今来たばかりとなれば。ここに居た七瀬をどうにかしたのはお前だね?」
 
 
 どくん。
 痛いくらいに心臓が脈を刻んだ。
 見ている私が睨まれた気分だった。
「あんた、誰よ。どうして……私の姿してんの……よ。それに、わ、私をどうしてこんなに怖がらせるの……? いやだ、見たくない……怖いよ……」
 
 
「……私が七瀬先輩をあるべき場所に返した……」
 さくらは挑戦的な態度を崩さない。
「そう、それは余計な事を……」
『七瀬』が多少怒りを込めてさくらに視線を送る。それだけで隣に居る真一郎までもが恐怖に似た感情に囚われる。
「やっぱり……」
「何がやっぱりなの?」
 さくらは厳しい顔を少しだけ悲しげにしながら、言った。
「多分、あの七瀬先輩の体を使っているものが、ここに七瀬先輩を縛り付けていたんです」
「なんだって?」
 つまり、それは七瀬が自分の意思で幽霊になったんじゃないって事。
「そうだ。あれがここに居る事で、呪的、霊的に安定していたものを……」
 わなわなと震える真一郎の手。
「なんだって? ……七瀬は、苦しんでた。ずっと寂しかったんだぞ。俺は、七瀬に……」
「だが、私が縛り付けていたからお前と七瀬は出会えたのであろ?」
 さくらがその言葉に反応してびっくりするほど大きな声を出した。
「そんなの違う。貴方がしたからなんて……そんなのは屁理屈」
「屁理屈であろうと。それが事実さ」
 ずいっと真一郎が『七瀬』に向かって近付いていく。
「先輩!」
 さくらの警告も無視して、真一郎はゆっくりと歩く。
「俺と……俺と七瀬が出会ったのは、あんたのおかげなんかじゃない。俺と七瀬がそうしたいって思ったからだ」
「ほほほ、これだから、人間のオスは……」
「俺は最初から、七瀬がここにいるって知って会いに来たんだ……そりゃ最初はほんの興味だった。でも、俺が望まなければ、俺はあそこに行かなかったんだ」
「それに、七瀬も、別に姿を現す必要は無かった。七瀬が望んで出てきてくれなけりゃ、俺と七瀬は絶対会えなかったんだ」
「馬鹿か? お主は……」
「馬鹿で結構だよ。だから、お前は許せないんだ……。俺の大切な七瀬に、七瀬の大事な体を使ってるお前は……!」
 ばしっ!
 誰もが目を疑うような光景。真一郎自身驚いていた。
『七瀬』の頬を真一郎が張っていた。
「死にたがりめ……そこまで言うなら殺してやろうよ……たっぷり、いたぶって」
 
 
真一郎!
駄目。駄目……お願い、真一郎を殺さないで!
真一郎、私の事は良いから逃げてよ!
私はなんでこんなところに居るの?
どうして!
 
 
「そうはさせない……」
「しつこいね人狼の娘。そんなに急がなくても、お前も相手してやるよ」
『七瀬』が手を一振りすると急に教室の雰囲気が変わった。
 真っ赤な血の色が、花摘の背中から、教室中に染み渡って行く。
「なに? これは……」
 そして、血の色に染まったところから妙な蠕動が始まった。
 そのうち、血はその床の上にまで染み出し、机や椅子がその中に飲み込まれて行く。
「くっ……」
 さくらが小さく毒づいて『七瀬』に飛びかかろうとするが、足元が急になくなり、椅子達と同じように血に飲まれそうになる。
「う、う・あぁぁ」
 手近な、椅子や机にすがって見ても、それまで一緒に教室は飲み込もうとしていた。
「さくらちゃん」
 走りよる、真一郎。
「先輩、来ちゃ駄目!」
「そんな事言ったって!」
 言いながら椅子を差し出して体を伸ばす真一郎。
「すいません……」
 椅子を掴んでずるりと引っ張り上げられたさくらが真一郎に謝る。
「気にする必要は無いよ。俺だって、さくらちゃんが居なくなったら困るんだから」
 その間も『七瀬』は余裕の表情で状況を見守っていた。
「ほほ。早くしないと、みんな飲まれちまうよ?」
 さくらは、思い出したように辺りを見まわした。
「先輩……あの、やって欲しい事があるんです……」
 こそこそと、真一郎の耳に囁くさくら。
「え?」
 真一郎が顔をめぐらせようとするのをさくらが慌てて止める。
「駄目ですよ。先輩……良いですか? ……」
「何を話しているんじゃ? もう、死ぬと決まったので恋しい男に最後の情けでも受けようとしてるのかい?」
 さくらは、そんな『七瀬』の言葉も気にせず、真一郎の耳に囁き続ける。
 だが、そんな二人にも脈動する血が迫っていた。
 足元ではなく、天上から、それは一気に流れ落ち、二人を包み込んで行く。
「ふ、あ・がばっ……」
「せんぱ……」
 飲み込まれた真一郎を案じて声をかけるも、さくらも境遇は同じだ。
 呼吸を封じる意思があるかのように、それは喉の奥へと入り込んでいった。
 息苦しさと、ねっとりした血の匂いのせいで真一郎の気が遠くなる。
“くそ、こんなところで……せめて七瀬の……”
 しゃん!
 そのとき、鈴の音が響き渡った。
 しゃん、しゃん!
 いつの間に壁から離れたのか、花摘が玉串を振っていた。
「清めたまえ、あやかしを払い給え。はっ!」
 強い声の息吹とともに突き出された玉串がそれまで以上に大きくしゃらん! と鳴った。
 どさ、どさ。
「こ、これは?」
「幻影……ですね」
 真一郎の疑問にさくら自身納得するように頷いて答える。
 一瞬にして、全ての怪異は消えうせていた。
「ほほ、まだ生きていたかえ?」
「たわけた事を。このような体に産んだのは貴方でしょうに!」
 花摘が胸乳が露になるほど引き裂かれた白衣を指して言う。
「そんな、まさか……」
 花摘の引き裂かれた部位から覗く肌はガラスのようにつるりと傷一つ無かった。
「お前は誰にも殺せやしない。その為に神族と魔族の血を両方受け継がせたんだからね。ほほほ」
 くすくすと笑い続ける『七瀬』に、花摘がまた歩み寄る。
「不死者……」
「そうね、さくらさん。貴方だけじゃないわ。私も、人間じゃないのよ……」
 さくらの顔がこわばるのを見て花摘は少し悲しそうに言い添える。
「ううん。神族と魔族の両方の血を受け継ぐ私は、どちらにとってさえも禁忌なのかもね。でも、だから出来る事もあるわ……」
 花摘は顔をきっ、と上げて『七瀬』に向かって間を詰めて行く。
「お母様、小さい頃、私が靴を履けないでいると、優しく笑って履かせてくれましたね。みかんの皮をむけないときに、むいて食べさせてくれましたね……。私は、貴方の事が嫌いじゃなかった……それらが全て、偽りだと知るまでは!」
 『七瀬』は不機嫌そうな顔を隠さない。
「くだらない事を思い出すんじゃないよ。花摘。お前は、私の役に立ってもらうんだからね。それにそれだけの傷を負えば、回りに迷惑がかかるよ」
「そう。だから誰も入って来れ無いようにしたのに……私はどんな傷を受けても瞬時に回復できる……その代わり回りに人間が居るとその人たちから体力を吸収してしまうから。さくらさん、相川さんを連れて逃げて」
 さくらは、ちらりと真一郎を見て首を振った。
「連れて行ったら、きっと私が先輩に一生恨まれます。それに、七瀬先輩の時と違ってまだ、手はありますから」
「死にますよ? 私はその呪われた力を自分では制御できないんですから。それに……私は自分を一番信頼できないんですよ」
 『七瀬』は苦しむ花摘をさも面白そうに笑う。
「それはそうじゃろうの」
「それでも。ううん、だったらなおさら。七瀬先輩の体をこんな事に使わせておけないから。私達もここで戦う」
 さくらはその声は無視して花摘に言った。
「……どうなっても知りませんよ」
 さくらは、微笑みを浮かべた。
「大丈夫」
 その後の言葉はさくらの口の中でだけ呟かれた。
「先輩が、きっと上手くやってくれるから」
 ……その光景を見ながら真一郎はゆっくりとそれに近付いていた。
 決して、見つからないように気をつけて一歩一歩歩いて近寄る。
 そして、真一郎はそれが手の届く範囲まで今ちょうどやってきていた。
 
 
 あれは……鏡!
 あの、大きな怖い鏡。
 真一郎、駄目だよ、それは、とっても恐ろしいものなんだよ!
 真一郎!
 
 
「そろそろ、茶番もお終いだね。花摘、お前には長い時間をかけてゆっくりと教えてあげるよ。誰が、お前の主人なのかをね」
 ふわりふわりと机や椅子が浮かび上がる。
「サイコキネシス!」
「そちらの、人狼にはこれで十分じゃな」
 最初ゆっくりと飛びまわっていたそれは、次第に速度を増し、そのままさくらへと襲い掛かった。
 さくらは超常的な反射神経でなんとかかわす物の、操作されているその動きにじりじりと追い詰められていく。
「七瀬の体を返せ! 化け物ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
 その瞬間、真一郎の叫びが響いた。
 真一郎の手にした椅子がおもいっきり鏡に打ち付けられた。
 全ての時間が、一瞬静止したように感じた。
 ピシッ。
 鏡の表面に、小さなひびが入った。
「う、あおをぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」
 奇妙な声を上げ、『七瀬』がぱったりと倒れ込む。
「やったのか?」
 真一郎のその声に、鏡の中から恐ろしい響きの声が聞こえてきた。
「おのれ……何故わかった……?」
 さくらがどこかぶつけていたのか、顔を苦しげに歪めながら近寄って行った。
「私の、もう一人の親が何者だか、貴方にはわからなかったから。私の父親は生粋の吸血鬼だから」
「く、く、く。そうだったか……天敵よの……」
 ビシッ、ビシッミシッ。
 ひび割れは、どんどんと広がって行く。
「なれど、このままではすまさんぞえ!」
「危ない!」
 花摘と、鏡の魔の声が同時に叫んだ。
 バキッーン
 鏡の破片が、あたりに飛び散った。
「先輩!!」
 さくらの取り乱した悲鳴が響く。
 ぐったりとした真一郎の体に、幾つもの破片が刺さっている。
 さくらの血がぞっと引く。少なく見積もっても、全身の傷は一生残るだろう。
「早く、救急車に……」
「待って、少し貸してください」
 花摘が近付いてくると、手をかざした。
 見る見るうちに鏡の破片が抜け、真一郎の傷がふさがって行く。
「凄い……」
「ふふ、せめてもの神族の力。人の為に少しは使わないと……」
 だが、花摘の表情は晴れない。
「死ねると思ったのに……お母様が死ねば、私も死ねると思ったのに……」
「まだ、これは生きているのかも。先輩は力の持ち主じゃないから」
「そうね。鏡は集めて……処分してもらえます?」
「私?」
「ええ、私は、やっぱり何をしでかすかわからないから」
「そう。わかった。なんとかします」
「う、うう……」
「先輩?」
 さくらが真一郎を抱え起こす。
「あ、さくらちゃん……」
「先輩、良かった……」
 さくらは、思わず抱きつく。
 
『ふふふ、束の間の幸せに浸っているが良い。この男、力は持っていないが長い時間かければ“要(かなめ)”にぐらいはなるであろう。しかし返す返すも口惜しいのは、あの娘を失った事よの……』
 誰の耳にも、届かなかったはずの声。
 だけど。
 
 私の耳には聞こえていた。
 まさか、真一郎が死んだ……ううん、消えたのは……!
「真一郎ーーーーーーーっ!!」
 私の叫びが、何も無いどこかうつろな空へと吸い込まれて行った。
 
 
 
 

 第22話

 
「真一郎ーーーーーーーっ!!」
 自分の絶叫で私は跳ね起きた。
 体が汗だくでびっしょりと濡れていた。
 今見た夢の事を考えると震えが止まらなかった。
「あ、ああ、あああ……」
 悲しかった。
 だけど、自分が何故悲しんでいるのか良く判らなかった。
 怖くて混乱して、だから悲しかった。
 真一郎はどうなったんだろう。
 頭の中がぐちゃぐちゃだった。
 ぶるぶると頭を振るう私に、かけられた声があった。
「大丈夫?」
 すぐそばで、私を助けてくれた女性が覗き込んでいた。
 心配そうな視線の中にどこか、こちらを探るような気配があった。
 でも、私はそんなかすかな違和感に気がつかなかった。
 「真一郎が、真一郎が……」
 言葉にもならずにただその胸にすがりついていた。
「あ……」
 その人はそう、少しびっくりした後、優しく頭を撫でてくれた。
 真一郎と、同じ暖かい手だった。
 そっと、そっと、こちらの気持ちを鎮めてくれるように撫で続けてくれる。
 それでも、私はしばらく、その取り止めの無い気持ちをどうする事も出来なかった。
 
「もう、大丈夫かな?」
 私はさんざん、醜態を見せてしまったのが恥ずかしくて、こくんと小さく頷いた。
「それなら、もう1度横になって、寝ましょう?」
 彼女が時計を指差して「こんな時間だし」と促した。
 私も、泣き疲れたのか、なんだか頭が重かったのでその勧めにしたがってもう1度横になった。
「毛布、一枚しか持って来ていないから、横……良いかしら?」
 断れるはずも無い。
「はい、私の方が借りてるんだし……」
「ありがとう……ところで、立ち入った事聞くようだけど……真一郎って言うのはあなたの良い人?」
 彼女の瞳が、少しだけ陰りを帯びたように見えた。
 なんだろ……?
「真一郎は……きっと、私にとって……欠けたら生きていけないような人だよ。いろいろあって、今はそう思う」
 いろいろな人に会って真一郎の事たくさん考えて、それがやっぱり本当。
「その人のこと凄く好きなんですね……」
「う、うん」
 好きだって改めて言われるとさすがに少しだけ照れる。
「私の好きだった……今でも好きな人も真一郎って言うの。なんだか、他人のような気がしないな……」
 ドキッとした。もしかしたら、この人も……?
 でも、なんだか悲しそうなのが気になる。どうして、そんな顔をするの?
 それに、いったん好きだったって言ってから言いなおしたのはどうして……。
「私は千堂瞳……貴方は?」
「私は七瀬……」
「七瀬!?」
 七瀬と言う名前を聞いた途端、千堂さんがびっくりするぐらい激しく反応した。
「まさか、貴方が春原七瀬さん……?」
 睨み殺されるかと思った。
 千堂さんは押さえ込もうとしていたけど、敵意とかそんな類の感情が彼女の視線から溢れ出していた。
 怖くてすくんで息が止まってしまいそうだった。
「どうして、その名前を……?」
 やっとの事で搾り出すと千堂さんはがばっと起き上がった。
「こんなところで出会うなんて、ね。しかも、私が助けてしまうなんて……皮肉としか言いようが無いな……」
 激情を秘めたまま背を向けている千堂さんに私は声をかけられなかった。
「その、あい……真一郎さんの名字は相川、ね?」
 確認の言葉だった。
 どうしよう、このまま答えて良いのかな。
 なんだかわからないけれど、それは凄くまずいような気がした。
 でも……。
「そう、だよ。千堂さんも、知ってるんだね……真一郎のこと」
 真一郎への気持ちに嘘はつけなかった。
 だって、今の私にとってそれだけが、大事な支えなんだから。
「真一郎のこと……? よく、よくそんなことが言えるわね!」
 千堂さんは泣いていた。
 この人が泣くなんて、思わなかった。
 勝手にイメージ作ってただけだけど、この人は強い人だと直感してたのに。
「何故? 貴方は真一郎といつかは別れるって知ってて、真一郎に辛い想い出を増やすだけだって知ってて。それなのに、何故真一郎と付き合ったの?」
 千堂さんの目が、過去はちゃんと知ってるって物語ってた。
 私が幽霊だった頃の、その話なんだろう。でも、ならこの世界の真一郎は……。
「何故なの?」
 千堂さんはもう1度繰り返した。
 その様子はひどく傷ついて悲しみに溢れていた。聞く事で余計に傷ついているみたいだった。
「それは、しょうが……」
 私も、あの時のことを思い出して言おうとした。
 しょうがなかった……そう言おうとして、止めた。
 真一郎が不幸になるってわかってたのに離れなかったのはしょうがないから?
 ……違う。
 それに、千堂さんもそんな答えは望んでいない。
「私は……好きだったから。離れたくなかった。頭では駄目だってわかってた。それでも……真一郎を好きな自分は否定できなかったから……」
 千堂さんが、睨みつけた。
 自分の中に渦巻く何らかの感情にじっと耐えるように辛そうに、そして、涙をなおも溢れさせていた。
「そうね、当たり前……ね。好きだもの、ずっと側にいたいわよね」
 千堂さんの言う好きな人は真一郎に間違いない。千堂さんは、一体真一郎とどんな過去を過ごしたんだろう。
 どうして、こんなに悲しそうなんだろう……。
「真一郎、どうしてるんですか?」
 千堂さんは、表情を再び険しくして私を見つめた。
「聞いてどうするの?」
「え……?」
 どう言う意味なんだろう。
「どうして今更、真一郎の事を気にするの? 真一郎はずっと苦しんでいたのに……今更、会いたいって言うの?」
「それは……」
「何故もっと早く、真一郎に会いに……来て、上げなかったの?」
 声がひび割れ、千堂さんは嗚咽を漏らし出していた。
 胸が痛い……真一郎とこの人に何があったのかわからないけど。
 ただ、この人が本当に、なにより真一郎の事大事に思ってるのだけはよく、解った。
「ごめんなさい」
 謝っても仕方ない、だけど、何を言ったら良いんだろう。
「私は良い、私に謝ってもらっても困ります。真一郎に……ううん、貴方は真一郎に会わないで。お願いだから……」
 千堂さんはそう懇願した。
「……私、ここで何があったのか、千堂さんと真一郎の間に何があったのかわからない。それに、私は……その真一郎が待っている七瀬じゃない……」
「でも、さっきは確かに……」
私は首を振る。
「私は確かに真一郎と愛し合って別れた春原七瀬の生まれ変わり……だけど」
「なら……えっ、待って? 生まれ変わり……そう、よね。だって、そうでなくちゃ、話が合わないもの……でも、年数が合わない……?」
「やっぱり……千堂さんの年から考えてそんなに時間経ってる筈無いと思ってた。話すね、私の経験した事。信じられないかもしれない、だけどこれは本当の事だから」
 私は、これまで有った事、幾つか自分でも消化し切れていない夢の話とかは抜きにして、語った。
 
「……そう。貴方はちゃんと真一郎に会えたんだ……」
 全て聞き終わって千堂さんは、悲しそうな笑顔でそう言った。
 
 
 
 

 第23話

 
 千堂さんの言葉に、私はなんだか胸の奥がざわざわするのを感じた。
「真一郎に、何故会っちゃいけないんですか? それに、なんでそんな……」
 そんな悲しい言いかたをするのか、と聞きたかったが、結局言葉にはできなかった。
「真一郎と私は、少し前まで、付き合っていたの……」
「え?」
「最初は唯子……鷹城さんの紹介で会ったのがきっかけだった……」
 そう言って、長くて悲しい話を千堂さんは語り始めた。
 
 
 
 
 私と唯子は護身道って言う武道の先輩後輩の間柄だったの。
 
「あ、唯子がいつもお世話になっています。相川真一郎です」
 礼儀正しい挨拶をしたその少年に私は好意を抱いた。
 そのときはほんのわずかなものだったけど、何度か鷹城さんを通じて会ってるうちに……。
 
「あはは、唯子は恋人じゃないですよ……ただの、幼馴染、かな……」
 そんな言葉を聞いて、自分が胸を高鳴らせているのに気が付いた。
 私に会いに来てくれる訳では無いって解ってても……、ね。
 
 何度か、二人きりになる事があって、ちょっとした付き合いで買い物に付き合うぐらいの間柄にはなって。
 その頃から、時折真一郎がどこか遠くの人みたいに感じることが有った。
 この世のものじゃない、何か私には見えないものを見ているように感じていた。
 そういう時の真一郎はひどく優しかった、そしてどうかすると私より大人びて見えた。
 今思えばそれはあなたとの別れがあったからだってわかる。
 私はそんな彼にどんどん惹かれて行った。
 
 そして、転機が訪れた。
 
 あれは大学の大会で、私が鷹城さんと戦う事になったとき。
 それまで真一郎は、私達二人の応援をしてくれた。
 でも、その時は『唯子』の応援についた。
 私は唯子が憎らしかった。
 あのとき、
「唯子っ!」
 って叫んだ真一郎の声は忘れられない……。
 止めようと思えば止められたはずの危険な追い討ち……自分の中の一瞬のためらいが悲劇になってしまった。
 
「唯子は、もう多分……護身道は出来ないって」
 待合室で待っていた私に真一郎はそう言った。
 私は、自分が許せなかった。
 嫉妬、それもする必要も無い理不尽な嫉妬。
 そんなことで大切な後輩でライバルだった唯子を失ってしまった。
 せめて償いたい、そういう気持ちで、私は真一郎に自分の中で起こった葛藤を告げた。
 なじられても、嫌われても仕方ないと思った。
 だけど真一郎は……。
「……事故は事故だよ。それにそれはきっと俺がいけないんだし。ずっと瞳ちゃんの気持ち知ってて、自分でも好きなのにずっと抑えてた俺が悪いんだから……」
 たまらなかった。
 自分でもそんなに弱い人間だなんて知らなかった。強くなったつもりだったのに……。
 
 唯子には謝ることしか出来なかった。
 唯子の何もかもを奪ってしまったようで……。
 だけど、唯子はそれでも恨み言一つ言わなかった。
 私が嫉妬した事を話したときでさえ。
「ううん、それは偶然だよ。あのとき瞳さんは完全にモーションに入ってたし、唯子が油断しただけだから」
 なおも謝る私に、唯子はこう言った。
「しんいちろ……可哀想だから、それ以上瞳さんは気にしないで。瞳さんはしんいちろの事大事にして上げて。お願いだから……」
 唯子の涙を見たのはそれが初めてだった。
 
 真一郎と私はそれから付き合い始めた。
 とても楽しい月日だった。
 唯子には悪かったけど、私は幸せだった……。
 だけど。
 
 蜜月は長く続かなかった。
 
 私は気づいてしまったから。
 ……真一郎の心の中にはいつだってあなたがいたって事……。
 
「七瀬……」
 枕元で泣きながら真一郎がその言葉を呟くのを私は何度も聞いた。
 
 長い間、真一郎が浮気しているんじゃ無いかって疑って……ある時直接聞いてみた。
「俺が……?」
 真一郎はびっくりしていた。
「そう。俺、時々そんな事呟いていたんだ……」
 悲しそうな瞳に私は急に自分がとてもまずいような事をしたと後悔したけどもう遅かった。
「隠すつもりじゃなかったんだ……七瀬の事は。ただ、自分の中でどうして良いものか解らなくて、悲しくて、心の中に閉じ込めていたから」
 真一郎はそして、話してくれた。あなたとの悲恋を。
 嫉妬した、正直……あなたを殺してやりたかった。
 死んでもなおずっと真一郎の心に居続けるあなたが羨ましくて恨めしくて……。
 
「ごめん、今度の週末は一人で居たいんだ」
 時折真一郎は一人になりたがった。
 そう言うとき真一郎があなたの事を考えているんじゃ無いかって思うと、いたたまれなかった。
 私は何度あなたが死んでいる事を呪ったか知れない。確かに真一郎はそういう昔話だ……って言ってくれたけど。
 だけど真一郎はあなたの事忘れられなかった。ううん、忘れられるはずが無かった。いつだってその痛みを抱えて生きていた。
 私には絶対癒せないそんな痛みをずっと。癒して上げたかった。忘れさせられると信じてずっと……だけど駄目だった。
 解ってた。頭では死んだ人には決して勝てないって事は。
 
 でも、真一郎の部屋の奥深くに隠された『転生の秘儀』と書かれた本を見て……。
 それでも私といるときは笑ってくれる真一郎のことを、私は信じきれなかった。
 
 結局私は真一郎の側にはいられなかった。
 側にいることがつらくて、真一郎が苦しんでいるのを見ていられなくて。
 私は真一郎とあなたのせいにして、逃げ出した。
 
「そうか、ごめん……」
 別れた時、真一郎は悲しそうにそう言っただけだった。
 私は、追い詰められてて……その言葉にようやく、後悔したけどもう、どうにもならなかった。
 
 
 
 
 話し終わった千堂さんはじっと暖炉にくべられた薪が燃えていく様子をじっと見詰めていた。
「私は結局、真一郎に何もして上げられなかった。だから今真一郎が掴もうとしている幸せをあなたに会う事で失ってほしく無いの」
 私には、何も言えなかった。
 私は、真一郎を犠牲にしたのかな……。
 たまたま、私が上手く行っただけで、こんな可能性だってあるって事に気づきもしなかった。
「今ね、真一郎は唯子と暮らしているわ。もうすぐ結婚するんじゃ無いかしら」
 千堂さんの瞳には力が無い。
 でも、きっと周りから見たら私の瞳もそんな感じなんだろう。
 さすがに辛い、や。
「唯子は、真一郎があなたを忘れられないのも知っててその上で、真一郎のそばに居た。私と真一郎が付き合い始めても、ただじっとそばに居てそれで真一郎を慰め続けていた。ずっと、真一郎だけを見てたのね。だから私は唯子なら真一郎を愛し続けていられると思う。真一郎のそのままを受け入れて、愛して行ってくれるはずだから」
 でも、でもこんなの嫌だ。
 何かおかしいよ。なんでみんなこんなに苦しまなくちゃいけないの?
 私が悪いの?
 真一郎を好きになったらいけなかったの?
「唯子は、護身道にも復帰したわ。怪我をリハビリして克服して、そしてまた私に挑んできた。そんなあの子に勝てるわけなかった。結果は私の完敗……」
 ……ううん。
 私が悪いとしても、それは真一郎を好きになった事じゃ無い。
 真一郎との事を私は絶対に否定しない。
「それで私はこの冬山にやってきたの。一人になって自分を見つめなおす為に。そうして強くなったらようやく真一郎に笑って会えると思うから」
 でも、何を言ったら良いんだろ。
 この人にかけられる言葉が私に有るかな。
「……私の事は良いわ。だから、せめて真一郎と唯子の幸せの為に、あなたには会わないでいて欲しいの」
 有った。
「千堂さんの言ってる事わかる。正しいと思う。でも、違うよ」
「何が?」
「真一郎は、私に会ってもきっと何も失わないよ。私を傷つける覚悟で唯子ちゃ……鷹城さんを私に紹介してくれると思う。今の俺の一番大好きな人だ、って……」
 言っていて、自分が言われているような心境になってきた。
 私は、傷つくだろうな。
 死ぬかもしれない……でも、真一郎は。
「真一郎は、そのつもりで瞳さんを好きになったはずだよ! そのつもりで、好きだって言って、付き合ったんだよ。私の好きになった真一郎は、そんな人だよ。私より、瞳さんが好きになったから、真一郎は付き合ったんだよ」
「あなたはそのとき居なかったじゃない。真一郎がどれだけ苦しんだのかも知らないのに!」
 千堂さんが怒りの目を向け、ぐっと肩を掴まれた。
 凄い握力……ぎりぎりと爪が食い込んでくる。
 でも。
「だって、だって……そうで無かったら……私の愛した真一郎が!!」
 真一郎が私以外好きになるなんて考えたくも無いのに。
 私のこと好きで居てくれた真一郎がもし曲がりなりにも他の人を好きになるなら、それだけその人の事好きで居てくれなくちゃ、私は納得できないよ!
 私が口にしなかった言葉を千堂さんは見ぬいたのかもしれない。
 ふっと、力を抜いて、私に頭を垂れた。
「ごめんなさい、あなたの事考える余裕が無かった……」
 私は痛む肩をさすりながら首を振った。
「もう、寝ましょう。こんな夜に考えていても辛気臭くなるだけだから」
 今気づいたけれど吹雪はますますひどくなっているみたい。
 二人して一つの布団にともぐり込む。
「本当はね、死ぬつもりだったのかもしれないわね……」
 どきりとさせる言葉を残して千堂さんは私と同じ布団の中、背を向けた。
 私は、ざわつく心を抑えきれずに、吹雪の音を聞き続けていた。
 
 
 
 

 第24話

 
 次の日になっても、雪は降り続いていた。
 それはどう言う事かって言うと、この狭い小屋の中で千堂さんと二人っきりって事。
 あんまり、良い気はしないよね。
 千堂さんは、まだ色々私に含むところが有るんだろうと思う。
 それでも、自分が逃げ出してしまった事、好きだと言う気持ちが本当は理屈じゃないことを知っているから、私に何も言わないだけなんだ。
 ……。
 私だって、解る。どれだけ辛いか解るけど、でも、ここでこうしてふさぎ込んでいても千堂さんが強くなれるなんて私には思えない。
「護身堂は、この小屋の中じゃ出来無いの? 瞳さん」
 千堂さんに、瞳さんと呼びかけてみる。
 この間勢いで言ってしまったときもそんなに気にした様子ではなかったし、大丈夫だと思う。
「少し、荒事は出来そうに無いわね。護身道に興味あるの?」
 少し不思議な顔をした後、瞳さんは柔らかい笑みを浮かべてくれた。
 ほっとした気分になる。
 ああ、この人は本当に護身道が好きなんだな。
 それがとっても良くわかる、そんな笑みだった。
「うん、少しだけ……」
 自分でも煮え切らない返事だなって思ったけど、瞳さんはそれでも良いみたいだった。
「そう、もしやる気があるんだったら、教えて上げても良いわよ」
「う、もしかして私を苛められるって思ってない……?」
 あんまりにこやかなのでつい余計な事を聞いてしまう。
「あ、そう言う手もあったわね。でも、安心して。ちょっと厳しくするぐらいしかしないわよ」
 瞳さんは面白そうだ。
 なんか早まったかなあ……ちょっとってどのくらいなんだろう……。
 でも、この先少しでも心得とか持っている方がいいよね。
「本当は道場の方が良いんだけどね。ここには精神修養に来たんだし」
「小屋の中で出来るの?」
「それは、ちょっと無理でしょうね」
 瞳さんは小屋を見まわして、そう言った。
「でも、1日でも体を動かさないでいるって言うのも辛いわね」
 生き生きとしているな……昨日あんな話をしてた人とはやっぱり思えない。
「好きなんだね、護身道」
 瞳さんは少しびっくりしたみたいだ。
「え……?」
「好きなんでしょ?」
 瞳さんは今度はなんとも言えない、複雑な曖昧な微笑みを浮かべる。
「そう、ね。私護身道が好きだったのよね……」
 あ、まずい事言っちゃったかな……。
「ずっと、やってたんでしょう? 真一郎と出会う前から」
「うん。小さい頃から……私お転婆だったから」
 そう言ってなにか遠くを見つめるような瞳さんは、憂いがあってその美しさに拍車をかけていた。
「あんまりそんな風には見えないな……おしとやかって感じだし」
「あら、そう見える? でも、本当に子供の頃は色々やったわ。とても恥ずかしくて口には出せないけどね」
 恥ずかしそうだけど、瞳さんはやっぱり楽しそうだ。
「いつからなんだろう……子供の頃のような楽しみじゃなくなってしまったのは……」
「でも、今でも好きなんじゃないの?」
「……くす。あはは」
 急に瞳さんは笑い出した。
「なに?」
「そうね。そうなのよね。色々悩んで見ても、私は護身道から離れられないわね、結局いつだって護身道をしていないと落ちつかないくらいなんだもの」
 吹っ切った……のかな?
「ありがとう。慰めてくれるんでしょ」
「あ、そんなつもり……」
 う、やっぱり瞳さんは鋭いな……。
 でも、私は真一郎に関わった人が不幸になるのは好きじゃないから。
 自分が不幸になってしまうような、そんな不安があるんだよ……。
「いいわ。別に、責めたいわけじゃないの。私がここに来たのも、自分に護身道が大切だって考え直す時間が、欲しかっただけだから」
 揺らがない瞳をしていた。
 強いんだ……この人は本当に強いんだ。
 私を前にして、昨日はどうしようもなくて荒れたけど、そういったものみんな乗り越えようとする前へ向かう強い意思があるんだ……。
「あはは、本当に余計なおせっかいだったみたい……多分、みんな心の中に自分で決めた選択があるんだね。きっと小鳥さんやいづみもそうやって私の言葉がなくても掴み取っていったんだろうな……自分の道を」
 ちょっとだけ、ほっとした。
 いなくなってしまったから、少しだけ気に病んでた。
 結局私がしてきた事は正しかったのか、悩む事もあったから。
「ううん。それは解らないわよ。確かに最終的にはどんな選択肢も自分で選ぶもの。だけど、後押ししてくれたり、反論されればそれはその人のためにもきっとなる。多くの人の見方を見て、なお、自分が選ぶのと、自分だけで悩んで決めるのとではそれなりに差異があるわ」
「どんな?」
 瞳さんはにっこり笑った。
「自信かな。自分の選択をきっと自信を持って選ぶ事が出来ると思う。まあ、中には人の意見に踊らされてしまう人もいるけど、ちゃんとした大人ならそれを選んでいけるはずだから」
 かっこいい人だな。
 なんか、真一郎が好きになったのは、だからこの人なのかもしれない。
「私の言った事は役に立ったかな。自信出た?」
「……どんな意見も嬉しいものだと思うわ。でも、良く考えれば私今言った事と反対の事してるわね。こんな所で一人になりに来ているんだもの」
 ちょっと苦笑いを浮かべて、自嘲気味に言う。
「でも、それはもう結論が出てるからなんでしょ」
「ふふ、ありがとう。そうね、後は自分の気持ちにケリをつけるだけ。そうして前へ歩き出さないと」
 また、私を見つめる強い瞳の光……そうか、この表情の意味は自信だったんだな……。
 苦しんでいるけど、この人はきっと吹っ切れる。そして、前よりずっと強くなるんだな。
 私には、何かあるかな。
 こんなに、前向きに一生懸命になれるもの……。
 真一郎の事じゃなくて自分の目標……。
「七瀬さん?」
「え? はいっ」
 瞳さんが心配そうに覗きこんでいる。
「私あんまり余裕が無かったから気を使えなかったけど、あなたは真一郎を探しているのよね」
「……はい」
 あんまり色々あって、自分が真一郎を探しているんだって事さえ良くわかんなくなってた。
 言われて少しびっくりする。
「不安よね。ごめんなさい……あなたの気持ちも考えなくて。怖い夢を見るぐらい、あなたの想いも真剣なのに」
「夢……!」
 忘れてた。これも凄い大事な事なのに。
 私、物忘れが激しかったのかな。
 なんか頭の中にもやもやしたものがあるような気がする……。
「どうしたの?」
 瞳さんがいきなり立ちあがった私の事を心配してくれてるけど、私はそれ所じゃなかった。
 そうだ、あの夢が正しかったら。
「私の……せい?」
 そうだ。最後のあの言葉……あの鏡の魔は真一郎の霊質を変えるつもりだったんだ。
 あそこの鏡にいて力を供給させる役割を果たすのに都合が良いように……。
 ?……どうして私そんな事を知ってるんだろう。
 ああ、なにか頭の奥に……もどかしい。
 痛っ!
 頭痛が……でも、思い出さなくちゃ……私はあの魔とどこかで会ってるはず。
 古い古い記憶の中で……。
 真一郎をまき込んだのは私なんだから……。
 どこだっけ。あれは。あれは……。
 ばたん!
 そんな私の集中を破ったのは小屋の扉が開け放たれる音だった。
「晴れてる……」
 外はいつのまにか晴れきっていた。雪は積もっているけど、もう風もほとんど無い。
「七瀬……」
 そして、外には巫女装束の花摘が佇んでいた。
「どなた?」
 瞳さんの誰何には答えず花摘は私をじっと見つめていた。
「花摘?」
 私の声に華やかな笑みを浮かべる花摘。
「ようやくたどり着いたわね。ここにあなたの真一郎がいるわ」
 そして、花摘はとんでもない事を言い放った。
「本当に?」
 私はさっきまで考えていた事を全て忘れて、内からの喜びに身震いした。
 でも、私は本当は気づくべきだった。
 これまで、1度も確証めいた事を口にしなかった花摘がここにいると言いきった事。
 そして瞳さんが外を眺めながら不信そうに花摘を見つめていた事を。
 
 外には、花摘が歩いてきたそんな足跡一つ残っていなかった。
 
 そうすれば、この後あんな事にはならなかったかも知れないのに……。
 
「それじゃあ、真一郎に会えるんだ」
「そうよ。真一郎はこの世界の風芽丘にいるわ」
 瞳さんが少し険しい顔をする。
「風芽丘に行くの?」
「真一郎がいるなら、私は会いに行くけど……?」
 どうしたんだろう?
「……何でも無いわ」
 もしかして……。
「この世界の真一郎も、まだ風芽丘に住んでいるんだね……?」
「ええ、そうよ」
 花摘は一瞥しただけで特に興味も無さそうに目を背けた。
「ここから町までは案内します。その後はちょっと自分で探してください。私は元の世界に帰る準備をしますから」
 私は少し迷った。瞳さんにも山を降りるように言おうかと思って……そして止めた。
 きっと、自分で瞳さんが降りてくるのを待った方が良い。
「どうしたの、行かないんですか?」
「あ、行く、行くよ」
 花摘にせかされて私は扉に近寄る。
 後ろで何も言わない瞳さんに振り帰って、お辞儀する。
「色々、ありがとうございました」
「あ、そんな事は……」
 瞳さんの言葉は歯切れが悪かった。
「それじゃ失礼します」
「待って!」
 瞳さんがそう声をかけると自分の荷物をごそごそとやり始めた。
「これを着て行きなさい。そのままだと、また風邪をぶり返すわ」
 差し出されたのは暖かそうなセーターだった。
「本当に。ありがとう……」
「頑張って」
 瞳さんは、複雑だけど、確かに笑みを浮かべて私を見送ってくれた。
 
「行こう! 真一郎に会いに……」
 私はそのとき花摘がうっすらと笑ったのに気づかなかった。
 
 
 

 第25話

 
 ……
 …………
「明日で、さよなら……か」
 私は暮れなずむ教室でじっと佇んでいた。
 窓から見える校庭ではサッカー部や野球部がまだ球を追いかけている。
 でも、もう少ししたらそんな彼らも帰ってしまうはず。
 私はもう1度教室に目を戻す。
 4月に越してきて、ここには随分と長い事いられたものだと思う。
「ああ、恋ぐらいしたかったな……」
 私は叶いそうに無い自分の望みを口にする。
 ゆっくりと教室の中を歩き回りながら、私は一つ一つの机に触れていく。
「この席は……水元の席。くすっ……馬鹿だよね〜あいつは」
 想い出が頭の中でフラッシュのように瞬く。
 この学校で最初に友達になった男の子。
「そうそう、五木に怒られてばっかりいて」
 五木と言うのは、風紀に厳しい頑固婆あ。
 私も何度も注意されたっけ。
「あの、大きな鏡で身体検査って言って、『スカートが短いわね、ちゃんとした服装で来なさい!』だもんね。皆嫌がってたな」
 私はなんだかそんな事までおかしくて笑ってしまう。
「馬鹿みたいな4ヶ月だったな……」
 でも、幸せで楽しいかけがえの無い時だった。
「行きたく無い……」
 ぽつ……ぽつ。
 いつのまにか涙が零れ落ちていた。
「もう、嫌だよ……この町に、ずっといたいよ……」
 そう呟いた私の耳にどこからか声が聞こえた。
『七瀬……その願いを叶えてあげようか……』
「誰?」
 私は振り帰った――――。
 
『……七瀬……』
 
『七瀬……』
 
 …………
 ……
 
「七瀬、もうすぐ風芽丘につきますよ」
 私はその声に飛び起きて横にいる花摘を眺めた。
「どうしたんですか?」
 ああ……寝ちゃったんだな私。
 会えるって解ったらほっとしちゃったんだろうな。
 風芽丘への電車に乗って、腰掛けたあとの記憶がないや。
 自分でも気づいてなかったけど、相当負担だったんだな……異世界にいるって事とか、真一郎の事、 その世界の出来事みんな……。
「あ、ああ。ごめん……あれ、なんだか大事な夢を見ていたような気がしたのに」
 花摘は一時険しい顔をしたもののくすりと笑って「気のせいですよ、きっと……」と言った。
 でも……もう、心配する事は無いんだよね。
「真一郎は、どこで待ってるの?」
 花摘は意外そうに眉をひそめる。
「……さあ? どこにいるんでしょうね。私は特に会う場所を決めてたわけじゃないですから」
「え? そうなの……?」
 なんだか凄いがっくりした。
「大丈夫。風芽丘からは出ていないはずだし、明日までには私の方でも居場所をつかんでおきます」
「なんか……御役所仕事って感じ」
 言ってからしまったと思ったけど仕方ない。
 怒って無い……よね。
「すいません、色々忙しかったんで……七瀬を迎えに行ったりとか」
「う、ごめん……せっかく連れてきてもらってそれは、無いよね。ごめん、私が悪かった」
 ぺこっと頭を下げる。
「冗談ですよ。七瀬が真一郎さんに会いたいのはわかってる事なんですから。大丈夫、明日には会えるんですから……今日はゆっくり備えたらどうですか?」
 そっか……そうするのも良いかな。
 ああ、でも、私浮かれちゃってるなあ……。
「そうね、そうする……」
 会った途端みっともない事したく無いしね。
 でも、どうだろう、しちゃいそうな気もする……泣いて抱きついて…………それも、良いかな。
 だってそうしたいもん。
 真一郎の暖かさを感じたいよ……。
「ところで一晩分のお金ぐらいはありますか?」
「え、あっそうか。今日は泊まらなくちゃまずいんだよね」
 どれぐらいお金有ったかなあ……一応ホテルに泊まるぐらいは大丈夫だと思うけど……。
 財布を開いて中を見る……ほっ大丈夫だね。
「なんとか3日くらいは泊まれるかな。旅に出るって言われたときに多少は用意して来たからね」
「そうですか。それなら良かった。私はお金持って来なかったものですから」
 あのねえ……じゃあ、どうやって暮らしてるのよあんたは……。
 ! そういえば、真一郎はどうしてるんだろう。
 私はずっと親切な人達、真一郎に関わりの有る人達と一緒にいたけれど……真一郎は?
「ねえ、真一郎は、真一郎は平気で暮らしてるの? お金とか、食事とか……平気なの?」
 なんだか無性に怖くなってきた。
 体が震えるくらい、真一郎が心配で仕方ない。
「大丈夫ですよ。だから今日は会えないんですから」
 仕事したりしてるって事なのかな……。
「七瀬は、ちゃんと明日会う事だけ考えていれば良いんですよ。そうすれば元の世界に帰れるんだから」
「うん、そうだね。今の私にはそれぐらいしか出来ないもんね」
 そうか、ようやく帰れるんだ……真一郎連れて帰ったら皆なんて言うだろう。
 信じてくれるかな。
 そういや、小鳥さんとか、いづみだって私の世界には居るんだもんね。きっと喜んでくれるよね。
「楽しそうですね」
 花摘が何の気無しにそう言う。
「そりゃあ、そうだよ。当たり前でしょ?」
 その時丁度電車は風芽丘に着いた。
 そのせいで花摘の返事を聞く事は出来なかった。
 
「それじゃあ。私はこれで……」
 花摘は電車を下りるなりそう言って行ってしまおうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
「なんですか?」
 そう言った花摘の表情は冷たい。
「……なんかちょっとさくらに似てきて無い?」
「そんなことが言いたかったんですか?」
 あう……、確かに余分な事言ったけどそれは無いでしょうに。
 もう少し人生余裕が無いといけないわよ。
「あ、違うけど……もう少し時間は無いの?」
「……七瀬が寂しいんでしたら」
「そんな事は無いけど……わかったわよ。でも、明日、会う約束はしなくて……」
 言葉を途中で止め呆然と一方を見やる私に気づいて、花摘が同じ方に振り向く。
「……七瀬?」
 震える声は花摘に向かって投げかけられた。
 私と同じように動きを止めたその男性。だけど、それはわたしの真一郎じゃ無い。
 忘れてた……出会わないほうが良かったのに。
 この世界の真一郎。側には唯子さんが寄り添っていた。
「ああ、この世界の真一郎さん、ね」
 私は花摘の袖を引っ張ってここから離れようとした。
「待ってくれ……君は……」
 でも、そうはさせてくれなかった。
「私ではありませんわ」
 花摘はそう言ってしまった。
 私では、ない。
 それはつまり、他に居ると言う事、そして、真一郎の質問の意図を知っていると言う事。
「花摘!」
「……そうか、じゃあ君が七瀬、なんだね?」
 真一郎の問いは強引だった。だから、否定すれば出来ないことは無かった……だけど、私は。
「……うん……」
 言ってから口を抑えてはっとする。
 しまった……!
 だけど、そんな事思っていられたのは一瞬だった。
「七瀬っ!!」
 途端にきつくきつく真一郎の両腕に抱きしめられていた。
 苦しいけど、痛いけど、私を想ってくれている真一郎の抱擁を嬉しく想わないはずが無かった。
 ごめん……。
 自分の中ではっきりとしない誰かに謝りながら私は自分からも真一郎を抱き返していた。
「ごめん……」
 ようやく、真一郎が放してくれたとき、私は窒息しそうになっていた。
「ううん……」
「しんいちろ……?」
 その一言が投げかけた感覚は圧倒的だった。
 一気に背筋が冷えきったような気がした。
 真一郎もそれはある意味同じだったに違いない。
「唯子……」
 立ちあがったまま唯子さんに言葉無く立ち尽くしている。
「……その子が、真一郎の好きだった子なの?」
 真剣な表情で私をじっと見つめてくる唯子さん。
「ああ……」
「真一郎? 良いの」
 また、失言……私はこの世界の七瀬じゃないのに。
 例え、真一郎が応えてくれても、私はこのままここには留まれ無いのに。
「唯子は知ってるんだ……だけど、その……」
 言いにくそうな真一郎。
 そうか、そうだよね……それで良いんだから。
「真一郎、わかってるよ。今は唯子さんが恋人なんでしょう?」
 真一郎も、唯子さんも少しびっくりしているみたい……。
 そんなに驚く事無いよね。
 見てればわかるんだから……でも、なんで私はこんなに苦しいんだろう。
「しんいちろ……やっぱり」
「唯子……良いんだよ」
「そう、そうだよ。唯子さんが心配する事なんか何も無いんだよ……」
 私は大丈夫なつもりだった。
 だけど、唯子さんの目にはきっと、泣きそうな女の子に映ったんだろう。
「デート、キャンセルね。唯子用事思い出しちゃった。だから、しんいちろ、この子とデートしてきて上げなよ」
 それは……。
 真一郎が怖い顔して唯子さんに振り返った。
「唯子……そう言う態度で引いたりするなよ。俺は唯子が好きなんだから……」
「ありがとうしんいちろ。でも、唯子はそう言う意味で言ったんじゃないよ。唯子は、真一郎にも七瀬、ちゃんにも、この後ずっと笑っていてもらいたいだけなんだよ。だからね、しんいちろは譲れないけど、一日、一日だけ貸してあげる」
 少しだけ困って、少しだけ微笑んだような唯子さんの台詞。
 そう、来なくちゃね……真一郎を諦めるんだったら、それぐらい強気でそれぐらい真剣に真一郎の事愛していてくれる人でなきゃ。
「そうですね、そうしてきてくれると助かります。では七瀬、明日の正午に風芽丘高校の校門で」
 花摘が横から口を出すと、皆に会釈して去って行く。
「花摘……」
 急に不安になる。私が本当に相手して良いんだろうか。
 この世界の七瀬じゃ無い私が……。
「そういう事だから、遠慮しないで、しんいちろ……行ってきなよ」
「……唯子、ありがとな。今度ばかりは甘えさせてもらう」
 真一郎の言葉に唯子さんはにっこりと満面に笑顔を浮かべた。
「うん、だけど、明日会うときは、笑顔で、約束だよ」
「わかったよ。……七瀬は、俺とデートしてくれる?」
 真一郎は苦笑いして、それからちょっと不安げに私に手を差し伸べた。
 私はその手を取るかどうか数瞬迷った後、手を差し出した。
「うん、行く」
 真一郎の気持ちを少しでも和らげてあげる為にデートするんだ。
 決して、私の為じゃない。
 
 そう、これは真一郎のために……。
 
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