その道は幸せに続く

 自由の国に来て、数年が経った。
 自由の国とは言え、ここは別段地球から遠く離れた異世界などでは無い。
 神語の書自体、この世界の物だったと言う事を考えればそれは当然だとも言えるだろう。
 今では、照と俺は一つ部屋を借りて住んでいる。
 もちろん妖としての力も神人としての力も使わぬただの人間として暮らしている。
 それでも、追われる者の危機感から定期的に住居を変え、移り住むことにはしているが。
 元から、足のつきやすいサラリーマンになどなるつもりも無いが、安定した生活をするためには正直厳しい。
 もちろん、照を喪う事など考えられないし、それぐらいだったらこの不安定な生活を続ける。
 その照に満足な生活をさせていられているのかが少し気がかりだが、それ以外は概ね満足だといえる。
 龍也は今でも俺たちの側にいて色々気を配ってくれているが、あいつにもあいつの人生がある。
 いつまでも俺達に付き合ってもらうわけにも行かないだろう。
 幸い、最近は押しの強い女の子に積極的にアタックされていることだし。
 まあ、龍也曰く『積極的などと言うものでは無い、あれは、ほとんど犯罪だ』との事であるが、そうは言ってもあの龍也が拒絶しきれていないのは満更でもないと言う証拠だ。
 ただ、そろそろここも移り時かもしれない。この前は店から逃げた強盗を取り押さえたりして、ちょっと目立ちすぎてしまったしな。
 龍也が残りたいと言うなら、そろそろ俺たちも別々の道を行くのも良いかもしれない。
「どうしたの? 難しい顔しちゃって」
 目の前の客に声をかけられた。
「いえ、なんでもありませんよ」
 思わず顔に出てしまっていたようだと苦笑いしてそれを誤魔化す。
「そう? 悩みがあるんだったら私が相談にのって上げるわよ、ベッドで一晩中」
 40近いと思われる店の常連のおばさんはそう言って、からからと笑った。

 一日の作業が終わり、ようやくの家路をたどる。
 照が待っている自宅まで、そこを曲がれば一直線と言う曲がり角。
 そこから小さな影が俺の前に歩み出る。
 そして、ここの平穏な日々も終わりを告げた。

「光……」
「愁……」
 俺たちは互いに相手の名前を呟いた後時が止まったかのように見詰め合った。苦い思いと同時に遥に大きい郷愁が胸の中に湧き上がってくるのを抑えきれない。
 けれど、俺にとって一番大事なのは照だ。その間にも俺の頭の中では高速に事態を把握しようと努めていた。
 まさか、見つかったのか? だとしたら、一体どうして? もしかしてこの間の事件が?
 いや、そんな事より照は無事なのか? 今照が襲われたら……。
 周りに、神人の気配は感じられない……いや、そんな物は隠しておけるじゃないか。あの、俺が本当は死んだはずの時だって。
「私、一人よ」
 そんな俺の心を読み取った様に光が答えた。
「信じられると思うのか?」
 光は一瞬、傷ついた顔をしたが、次の瞬間微笑んだ。今まで、どんな時にも見た事の無い、相手を蔑むような光の顔。その印象が俺の胸の中にある感傷を断ち切ってくれた。
「そうね、今ごろは……天上さんは封印されている頃かもね」
 全身の毛穴が開いたような感覚が襲う。
「光ぃっ!」
 妖の力が体に満ちていく、もちろん同時に神人としての力も解放する。
 目の前で光が息を飲んで怯えるのが良く解った。
 光は神霊力すら解放していなかった。
 放出される力にただ怯えた人間のままで、抵抗さえしようとはしていなかった。怒りに我を忘れかけた俺の手で、光は一瞬後には肉塊に変えられている筈だった。
 少なくとも俺はそうしてしまおうと思っていたし、情けをかけたら死ぬのはこちらの方だという事もわかっていた。
「なにっ!」
 光の目の前に神霊力を纏った影が飛び込んできた。
「神楽!」
「神楽!?」
 意味合いの違う同じ叫びが重なった。
 飛び込んできた小柄な人影の、悲しげな瞳が俺を射る。
 止められはしなかった。
 それでも、その瞬間慌てたと言う事が俺の気持ちを雄弁に物語っていた。
 例え神楽がここに飛び込んでこなかったとしても、俺は光を殺せはしなかった。
 長年染み付いた想いは簡単にどうにかなるものでは無かったと言うことだ。
 激しい衝撃が自分の拳にフィードバックする。
「う、う……」
 それでも、神楽は倒れずになんとかその場に踏みとどまっていた。
「やはり、一人などじゃなかったな……」
 光を見ると、彼女も驚いている様に見えたが信用は出来ない。
「違います……私は光姉様を守る為に勝手に付いてきたんです」
 神楽は苦しそうに顔をゆがめながら、そう言った。
「……じゃあ、二人だけだと言うのか?」
 すると神楽は静かに頷いた。
「神楽……どうして」
 怒ったような顔をして、神楽が光に詰め寄る。
「光姉様が、自分だけ悪者になろうとするからです」
「……愁兄様……信じてあげてください、光姉様はあの時の事を凄く後悔しているんです」
「な、何を言ってるの……」
 慌てた様子の光。
 間違いない、本当の光だと思える仕草だ。少しだけ、胸の中のわだかまりが溶け出したような気がした。
「そうなのか?」
 俺の静かな問いかけに、光は少し逡巡した後頷いた。
 少し深い溜息をついて光が話し出す。
「……うん、私ずっと、後悔してた。愁に小さな頃からずっと、ずっと……助けてもらって。私いつだって、不安だったのよ。自分は助けられて生きてるだけで、人の助けになっていないんじゃないか、生きている価値があるのかなって」
「光……?」
「う、ううん。もちろん、そんな風にいつでも考えてたわけじゃないよ。でもね、あの時私、天照として、皆に必要とされてたから、皆の役にたてる。たちたかった……だから手を貸した……でもね、本当は私が役に立ちたかったのは愁だけだったんだね。あの時、生太刀が、照さんを狙った時、愁が刺された時、はっきり気付いたの」
「……そんな事を言いに来たのか?」
「愁兄様……」
 咎めるような神楽の声。
「だからどうした? 俺は光の事は大切に思ってる……敵同士でも、出来れば生きていて欲しいと思うさ。だが、だからといって照とは違う」
 光は言葉の棘に突き刺された様にびくりと反応を見せた。
「わかってるの、結局、あの時の生太刀は私が動かしたのかもしれない。照さんが、いなければなんて思ってたのかもしれない。心のどこかで……」
「照を封印したとしてどうするつもりだったんだよ。俺を説得でもするつもりだったのか?」
「それは……」
「説得して応じたら俺は封印しないつもりだったと?」
 俺は首を振って否定する。
「そんなはずは無いな、巴さん達は絶対にそんな事を納得しないだろう」
「……」
 光は押し黙ってしまった。
 これ以上言えば、追い詰めるだけだと解っていながら俺は言葉を止められない。
「何も考えてなかったんだろう。考えたくなかったと? そんな中途半端な覚悟しか無いのに戦いに臨むからだ。後悔もするさ」
「愁兄様。光姉様はあの時」
「神楽!」
 神楽が何を言おうとしているのか察したのか、光が制止の声を上げる。けれど、神楽はそれを気にせず、言葉を続けた。
「愁兄様の安全と引き換えにあの時協力する事にしてくれたんです」
「……同じことだ。お前たちならわかっているだろう? 照を喪って俺がただ黙っている訳が無い事を」
 そして、その後も生きていくつもりなどないだろう事を。
 言葉を無くす神楽。目の端に涙が滲んでいる。
「うん、わかってたつもりだったよ。ごめんね。だから、謝りたいの。許してはもらえないと思うけど、やっぱり愁の事好きだから」
 光は嬉しそうに微笑む。顔色は悪くて、とても極上の笑顔とは言えなかったけれど。
「だから、さっき俺に嘘をついたりしたのか?」
「……そうかも知れない。私を目の前にしても、ずっと天上さんの事気にしている愁が悔しかったのかも」
「馬鹿、殺しちまう所だったんだぞ」
「ううん、もし、殺されるなら、仕方ないよ。それは、きっと報いだから」
「光、俺は一人しかいない。照の為なら例え、お前でも殺すかもしれない。いや、きっとそうする。そんな事で俺を試そうとするな。俺は身体を二つに分けるわけには行かないんだから」
 思わず光を抱きしめたくなったが、それは堪えた。代わりに、頭を撫でてやった。
「神楽、光を頼むな」
「はい、愁兄様……」
「神楽も気をつけてな」
 同じように頭を撫でてやる。そして小さく「ごめんな」と呟いた。この小さな妹の気持ちにもせめて、言葉を送って区切りをつけてやりたかったから。
「ありがとうございます……」
 神楽はやっぱり俺にだけ聞こえるぐらいの声で呟いた。
「愁、天上さんにも謝らせてくれる?」
「いや、駄目だ。照の心の傷は深い」
「でも……」
「駄目だ。あれから、まだ何年もたってない。照は俺が頼めばお前たちの事を許してくれると口の上では言うだろう。だが、それは口の上だけだ。本当の意味で照がその謝罪を受け入れるにはまだ時間が必要だよ」
 そうだ、照は未だに俺以外の人とはほとんど話そうとしない。もっとも俺といる時も口を開くのは滅多に無いが。照の頑なな心が癒され、人を信じる事が出来るようになったその時。
「解りました。光姉様帰りましょう」
「でも、神楽。天上さんは……」
 その時には、照と光を会わせてやりたい。長い年月を経て巡り合った姉妹として。
「姉様、ここにいても愁兄様を困らせるだけです」
 そこで神楽は俺の方を向いて、頭を下げた。
「いつか、きっと愁兄様の大事な人と正式に会わせて下さいね」
「その時が来たらな」

 家に帰ると、照は窓際に向けていた顔をゆっくりこちらに向けた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 照の顔が緩む。
「なあ、照。……もし、光達が謝ってきたら照は許すか?」
「……」
 照は少し不機嫌な顔をして、無言でふるふると首を振った。
「そうか……」
「みんな、許せない。愁以外の人はみんな、好きじゃない……」
 俺は口をつぐむ。否定はできない、俺の中……前世から受け継ぐ微かな記憶にも、それは確かにある憎しみだから。
「……も」
「え?」
「でも、もしもこの子が、幸せに生きられるなら……」
 照は少し大きくなり始めたお腹をそっと撫でさすっていた。
 その時は思ったより近いのかもしれない。
 俺は優しく微笑む照を見ながらそんな事を思った。
 
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