とらいあんぐる八犬伝
第11話
「泊まっていくでしょ。唯子」
「うん……でも、明日学校あるし」
唯子は歯切れが悪い。
「明日早く起きて取りに帰れば良いよ。しんくんも付き合ってあげるでしょ?」
「えっ。俺泊まる用意なんかしてないよ」
「しんくん」
「わかった。泊まっていくよ」
「ごめんね、しんいちろー唯子のために」
「それより、他に服は無かったのか?」
唯子は「ほえ」と自分の服装に目をやった。
「パジャマだけはおいてあるんだよね。良く来るから」
まだ、お風呂にも入っていない唯子がパジャマなのはそのせいだ。
「明日、帰るときにはどーすんの?」
「多分それまでには乾くと思うよ」
唯子が着てきたセーターなどはすでに小鳥がてきぱきと洗濯しストーブで乾かしに入っている。
「しかしもう見えないな。何だったんださっきの雪は」
唯子と小鳥は互いに顔を見合わせた。
「しんくん、その話はもう止めよ」
「そーだよ。今日は楽しく遊ぶために集まったんだし」
「そうだな」
真一郎は笑って二人の大事な幼馴染に向き直った。
「小鳥……これ覚えてる?」
もう夜も更けて二人はこれから寝ようとしているところだった。
唯子が取り出した珠を見て小鳥は表情を曇らせた。
「それ……ううん。なんだっけ」
唯子は驚いて大事な妹のような幼馴染を見つめた。
でも、その表情の変化があまりにも激しかったので唯子はそれに気づかない振りをした。
「唯子と小鳥がはじめて真一郎に貰った物だよ」
「あ、そうだっけ。私覚えてないや」
「そっか……小鳥は、あの雪が降ってきたとき、何か感じなかった?」
小鳥はまた、自分の中に入りかけていて、唯子が言った事にすぐ反応できなかった。
「え?」
「唯子はすごく怖かった。外にいたからなのかな」
「ううん、私もいやな予感がしたの。不安でぎゅってなっちゃうような」
唯子は起き上がって小鳥を見つめた。
「そう。唯子も、そんな感じ」
「でもしんくんは何も感じていないみたいだったよ」
「しんいちろーは、鈍いんだよ」
ぽふっとベッドに横になりながら唯子は天井を眺めた。
「……あの時、しんいちろーに来るように言ったんでしょ」
「うん。しんくんしゃべっちゃったの?」
小鳥は結構あっさり認めた。
「ううん。でもそんなに気が利かないから、しんいちろー」
少し苦笑して小鳥は言った。
「しんくん聞いたら怒るよ」
「そっかな。でも、唯子はうれしかったけど、小鳥はそれでいーの?」
「え。良いも悪いも無いよ。だってこんな中いたら怖いだろうなってそう思っただけだから」
その間、小鳥はどうしていたのかな?
ようやく家にたどり着いたときの、小鳥のなんとも言えない顔を思い出して唯子は胸が熱くなった。
「小鳥ー。そうだよね。唯子、小鳥の事大好きだからね」
「痛いよ、唯子。どうしたの……でも、私も唯子の事大好きだよ」
そのとき、唯子の持っていた珠にひときわくっきりと悌の文字が浮かび上がった。
でも、二人はそのことには気づかなかった。
第12話
次の日になると、昨日の大騒ぎが嘘のように静まった。
白い雪はあの赤い雪を完全に覆ってしまって、なぜか掘り返しても赤い雪が残っているところはどこにもなかった。
それにテレビをつけてもワイドショー以外ではこの怪奇現象を扱っていなかった。
まるで人々の心の中から忘れられてしまったように。
真一郎はなんだか納得いかない思いで学校へとやってきた。もちろん唯子を送って。
しかし、学校ではほかの話題が中心でやっぱり真一郎は何か疎外感を感じた。
それとも、自分がこだわっているのはたいしたことじゃないんだろうか。
だが、それを不満に思っているのは真一郎だけではなかった。
「よ、相川」
「ああ、御剣……って、その腕どうしたんだよ」
いづみの腕には痛々しく包帯が巻かれていた。どうやら、折れてはいないようだけど。
「ああ……その、電車が横転したって事故知ってるか?」
「知ってるけど。運転手があの雪にびっくりしてって話だろう?」
「良かった、ようやく話が通じそうだな。ほかの奴らなんだかこの話をすると興味がなくなっちまったみたいですぐ違う話をしだすんだよ」
いづみは敵でも見るような目でたむろっているクラスの友人たちを見た。
「まさか、あれに乗ってたの?」
「まあ、そうだ。でもたいした怪我じゃないんだ。ちょっとひねったぐらいでな」
あの事故では十人近く死んでいる。
「でも、災難だったな」
「ああ、でも……」
いづみはこれからもっと何かが起きるような気がするとは言えなかった。
「それより、ありがとうな」
「え、何のことだよ」
「この間の弓華とのこと。あれが認められてさ。一人前……自分では半人前だと思うんだけど、なんだ」
「へえ、そりゃ良かったじゃないか。おめでとう」
いづみは照れて真一郎から視線を外す。
「あは、あ、いや。だから実際はまだまだ半人前だし喜ぶようなことじゃ……それに相川が手伝ってくれたから何とかなったんだし」
「そうか?俺は何にもしてない気がするけどな。ま、でも感謝するっていうなら受け取っておくな」
「ああ、そうしてくれそうでないと私も素直にこの事を喜べない」
いづみは『八房』を取り出して見せ、これを貰ったのだと真一郎に説明した。
真一郎はいづみの説明を黙って聞いている。
「そうか、それが御剣流の免許皆伝なんだ」
「ち、ちょっと違う。そこまでじゃあないんだけど。そう、免許ってところか」
いづみは、真一郎が自分のことのように喜んでくれるのが嬉しくて、ついどんどん話してしまう。
私、何をしてる?
真一郎様に何をしてもらいたいんだろう。
もう、これ以上言うこともないのに、でも話が途切れてしまうのを何よりも恐れてる。
「先輩……」
そのとき、いづみは初めて会う下級生が真一郎に話しかけた。
「さくら……」
真一郎は少し驚いた様子で、さくらを見ていた。
「ごめん、良いかな御剣。ちょっと用事があるみたいだ」
「あ、ああ。私の話はたいした事じゃないから……」
手早く『八房』をしまい、いづみは出て行こうとする。
そのときにさくらが『八房』をじっと見ているのにいづみは気づいた。
「先輩、あの人」
後ろでさくらがそう言うのを聞く。
あの子が真一郎様を見る目は熱っぽかった……
いづみはやるせない痛みを胸の奥に感じながら自分の教室へ戻った。
第13話
「ごめんなさい、先輩。話してる最中でしたよね」
さくらは申し訳なさそうに真一郎に謝った。
「いいよ。さくらの事だから、何かあるんだろう」
「うん……」
言いにくそうにさくらは下を向く。
「血が欲しいの?」
びっくりしてさくらはあたりを見まわす。
「先輩!」
小さな声で激しく真一郎に注意を呼びかける。
「ごめん。なんか苦しそうだったから。前にも言ったけどほんの少しで良いなら俺の血を吸っても良いからさ」
「先輩……私を惑わすような事言わないで。今、吸ったらきっと先輩を吸い尽くすまで放せそうにない……」
さすがに真一郎がぎょっとしてさくらを見つめる。
ほんのり上気して、真一郎を見つめているさくらはひどく艶めかしかった。
「大丈夫。吸わないから」
発情してるのかな?
でもこの間休んだときがそうだったって言ってたし、そんなにすぐ来るもんなんだろうか。
「あの先輩。それよりさっきの人ですけど……」
「ん、いづみに用事あったの?」
「いづみさんって言うんですか?」
真一郎はなんだかわからなくなってさらにさくらに聞き返した。
「いづみの事を聞きに来たの?」
さくらはとたんに、歯切れが悪くなって横を向いた。
「い、いえ。違うんですけどその話は後で」
「まあ、良いけど」
いづみが去っていった方を見ながら真一郎はさくらに答えた。
あの人……珠を持ってた。……先輩の何だろう。
真一郎は一年のときからいづみと交流がある事。彼女が忍者であることなどを話した。
「蔡雅御剣流?じゃあ、もしかしたら……」
「どうしたの?」
「いえ、何でもないんです。それより……」
さくらは珠を取り出して真一郎に差し出した。
「やっぱり、渡さなくちゃいけないと思うから」
「これは……?」
さくらが一瞬悲しそうに眉をひそめたが、すぐに冷たい仮面を宿して言った。
「多分七瀬先輩がこの世に遺していった最後のもの」
「七瀬が?」
「遺品ってことになると思う」
さくらの悲しみに真一郎は気づかない。
「七瀬、そっか七瀬の……」
真一郎は遠くを見詰めている。それは愛情とか悲しみとかそんな言葉を越えた深い絆のようだった。
「やっぱり、好きだったんですか……?」
ようやく真一郎の瞳にはさくらが映り込んだ。
「そうだと、思う。ただ、まだこれからだと思っていたから」
さくらの頭に真一郎は手をやる。
ぽふっ。
「でもさくらを恨んじゃいないよ。もっとのめり込んでいたら、さくらを恨んでいたかもしれないけど……七瀬が行くべき場所に行けるのを、祝福できるうちに別れられて良かったんだと思う。さくらは正しい事をしたんだよ」
真一郎が本気で言っているのかはわからなかった。
でも、こうしてそう言われた以上、さくらには悩む事もできなかった。
「はい。それ、先輩が持っていてください。それが一番七瀬先輩も喜ぶと思うから」
「ありがとう。さくら」
「いえ…… 」
さくらは一礼して歩き出して一度だけ振り返る。
……七瀬先輩。お願い先輩を守って。
私はこれから守れないかもしれないから……。
第14話
「お願い付き合って」
「瞳?どうしたの。私あなたの事は好きだけど、そっちの気はないわよ」
「ばか!何言ってるのよ」
「冗談よ。瞳が昨日に続いて死にそうな顔してるからさ。ところで、どったの」
「あの……もう一度お店に付き合ってくれない?」
「昨日買ってたじゃない。何があったの?」
「姉さんに見つかって……」
「食べられたわけじゃないでしょう?」
「つい、お父さんにあげるチョコだって……」
「ほほう、誤魔化したらそのまま一緒に送るからとか言って取り上げられたってとこ?」
こくっと瞳はうなずいた。
「で、買い直したいから一緒に来てくれとそゆこと?」
こくこく。
「すまなそうにされてもねえ。でもそれ二つぐらい問題があるわよ」
「なに?」
「普段はしっかりしてるくせに彼の事になるとからっきしだね瞳は」
「しょうがないじゃない」
「まず、昨日買ったのはばりばりの本命チョコだったでしょ。お父さんが貰ってどう思うかしら」
「え……」
「お姉さんが送る際に余計な一言を書き加えておけば、お父さんがどういうふうに誤解……誤解じゃないか」
「う……」
「第二に、私瞳に貸せるほどお金に余裕無いわよ」
「どうして……」
「だって、場所ももう分かってるはずだし、買う時の踏ん切りのついた顔見れば相当奮発したはずでしょ。後は私が必要な理由なんてそれぐらいでしょ。単純な推理じゃない」
「友達がいのない……」
瞳は公園にやって来た。ここから例の店はすぐ側だ。
そう言えば、ここで真一郎と痴漢をやっつけたんだっけと瞳は思い出した。
唯子を襲った痴漢を真一郎は追い払い、偶然その場面に遭遇した瞳が痴漢にとどめをくれた。
自分より強いはずの唯子をかばって慰めている姿は、瞳に昔の大切な人を思い出させた。
それ以来だったと思う。真一郎に急速に惹かれていったのは。
逢うそのたびそのたびに、少しずつ確実に好きになっていったのだ。
そして逢えない時でも彼の事を思っている時が増えていき、考えているだけでさえ想いが募っていくのを止められなくなった。
……!
「はっ!」
考え事をしていた瞳を裂帛の気合とともに何者かが襲ってきた。
「なにっ」
瞳が即座に後ろへ飛んでかわすと、その襲撃者は驚きの声を上げた。
「誰だか知らないけど、顔を隠して襲うなんてろくな手合いじゃないわね」
瞳は鞄を投げ捨て、マスクをかぶった男を見つめた。
誰だろう。とりあえず襲われるほどの恨みは買っていないはずだけど。
漫画じゃあるまいし、私と当たる選手が彼氏に頼んで……なんてわけないし。
「ふっ」
男は笑い声を上げて手を伸ばしてくる。
「えっ?」
瞳はかわしたつもりだった。
でも、次の瞬間瞳はくるりと投げ飛ばされていた。
ずん。
「ぐっ、う……」
混乱した。息が詰まって急には立ち上がれない。
今のうちに襲い掛かられたら勝ち目が無い。
怖い……。
初めて恐怖を感じた。
陰惨な目に合っている自分の姿を想像して、瞳は目をつぶった。
相川君、助けて。
心の中で真一郎に助けを求めてからしばらく経った。
だが何も起こらなかった。
恐る恐る瞳は目を開ける。
男は不敵に立っていた。
さあ、立って来いと言わんばかりに。
瞳はその立ち姿に、懐かしいものを感じた。
そして起き上がった瞳に対して取った構えを見てそれは確信に変わった……。
第15話
「あなたは……」
「気づいたか……瞳」
「やっぱりその声、大賀さん」
「まだまだだったな。隙がありすぎるぞ」
男はマスクを取ろうとはしないし、構えを解く事もなかった。
瞳も、構えをとる。
本気で……?
瞳の困惑にも、大賀は闘気でしか答えない。
「どうして、ですか」
意味が分からなかった。
大体自分ではきっと勝てない。
中学時代、何度思い上がった自分を叩きのめしてくれた事か。
「……しっ」
大賀は瞳の疑問を無視して打ち掛かってきた。
力の差は歴然としている。
必然的に瞳は防戦一方になっていった。
防御を突き崩されて瞳が大きく跳びのいて離れよろめく。
それを見て大賀が再び口を開いた。
「約束だ、瞳。……約束を果たしに来たんだ」
約束?
まだ残る痛みでちっともまとまらない頭で瞳は考える。
約束、確かにひっかかる思い出があった。
「だけど、こんなの違います」
高校を卒業するまでにもう一度だけ手合わせをして欲しい。
「……約束どおり、さ」
そのとき瞳は初めて大賀の声に違和感を覚えた。
なんだか、変。別人とかじゃないけど、調子がおかしい。
そう考えると、大賀は何かを隠しているような気がする。
何故全身を隠しているんだろう。
それに、動きが少し変だ。
昔から技を捌いて相手に隙を作るタイプの人だったのに、どうしてこんな連続技を仕掛けてきたりするんだろう。
だが、瞳がそう思っている隙に大賀はまた瞳をつかんでいた。
投げられる。
そう思った瞬間瞳は無理矢理力で振りほどこうとした。
本来、瞳が絶対にしないような事だし、相手は男で年もまだ30、力で叶うはずはない。
だが、あっさりと大賀は瞳を離した。
いや、組んだ腕を無理矢理振り払われてしまった。
どうして……?
はぁ、はぁは、はぁは。
瞳は大賀の呼吸がその時聞き取れた。
「怪我、してるんですか……」
「……」
大賀は答えず、いっそうの闘気を瞳に向ける。
何故かはわからなかったが、大賀は真剣に勝負を望んでいる。
瞳にもそれだけはわかった。
かつて好きだった人の想いに応えたい。
瞳はいったん構えを解き、服を整えると護身道式に一礼した。
「千堂瞳。お願いします」
言った途端、瞳は力がみなぎってくるのを感じた。
「来い」
懐かしい日々、ただ鍛練に鍛練を重ねたその日々が蘇ってくるような感じだった。
ただ無心に拳を突き、払い投げを打つ。
気がついた時にはようやく大賀が大地に寝転んでいた。
ぐったりとしている。打ち所が悪かったかもしれない。
だが、下がアスファルトだからといって手加減する余裕は瞳には無かった。
「大丈夫ですか?」
瞳はやにわに真っ青になった。
ただでさえ、大賀は調子が悪そうだったのだ。
慌てて、マスクを剥ぎ取る……。
「そんな……」
瞳は絶句する。そこにあったのは懐かしい大賀の顔ではあっても、それはもう数十年もしなければ見れないはずの顔だったからだ。
大賀は震える声でマスクを戻すように言い、瞳に話を始めた。
「そんな、それじゃまるで吸血鬼に襲われたって事ですか?」
「そうだ、俺は死ぬかもしれない。そう思ったら心残りがあるのを思い出してな」
マスクの奥で大賀は幽かに笑った。
「悪かったな通り魔みたいな真似をして。段取りを踏んでる暇が無かったからな」
焦りがそうさせたのだろう。
瞳は大賀をこうした犯人を絶対に見つけると心に誓った。
それが本当の吸血鬼だったとしても、必ず報いは受けさせるつもりだった。
第16話
時折、中学の頃の自分を知る人間に逢う事がある。
彼らは決まって、ずいぶん落ち着いたねと言う。
私は大概それを聞くとくすりと微笑む。
あまりにあの頃のイメージが強いせいか、どうしてもそれ以前、私がただの優等生であった時分の事は覚えていないらしい。
思えば、ただの優等生であった時、あの時が私がもっとも荒れていた時期じゃなかっただろうか。
当時私は、冷めた子供だった。
何をする気力も無く、ただ日々を無意味に生きる人形のような存在だった。
何でも出来た。
勉強も特に努力しないで常に学年のトップ近くにいた。
運動も同様。
どんな競技でもそつなくこなせたし、身体能力も抜群だった。
当然幾つものクラブから誘われたが、結局一月もたなかった。
出来てしまうから、だった。
私にはそのせいか友達もなかなか出来なかった。
孤高の美少女。
ちっとも嬉しくない呼び名だった。だけど、それを否定する事も出来無かった。
あの日々私はいつも胸のうちにくすぶるものを抱えていて、そしてそれには向けられる物が何も無かった。
そんな時だった。
護身道に、そして大賀さんに出会ったのは。
「ねえ、瞳。付き合ってくれない?」
「尾崎さん、何の用ですか?」
その当時からの唯一人の友達。
でも私は彼女にさえ壁を作って接していた。
だけど、彼女はすごく積極的で、話好きで私と周りの人の橋渡しをかってくれていた。
いわば彼女には恩があった。
だから彼女が護身道の道場に通う事になった時、私は付き合う事にしたのだ。
飽きてしまうだろう事を予測しながらも。
「君は筋がいいね」
最初の日、私は大賀さんにそう声をかけられた。
またか、と私は少しがっかりしていた。
すでにその言葉だけで一緒に通う事にしたのを後悔し始めていた。
だが、尾崎さんにかけられた次の一言は私を愕然とさせた。
「だが、見込みは君の方があるね」
そんな馬鹿なと叫びだしそうな気分だった。どう見たって私の方が彼女よりも上手かった。
その顔を見て大賀さんは笑ったようだった。
「信じられないという顔だな。でも、一週間後君たち二人で試合したらきっと彼女が勝つよ」
「いえ信じてないなんて言ってません」
私は顔を伏せて殊勝な振りをしたが、内心ものすごく腹が立っていた。
なんて失礼な人だろう。尾崎さんの前でそんな事を言うなんて。それに私が彼女に負けるなんて……。
そんな風に思っていた。
だけど、結局そのとおりになった。
一週間後、私は何度やっても彼女に勝てなかった。
「どうして、どうして……?」
覚えている限り初めての大泣きだった。
大賀さんは言った。
「気持ちの差だろうな」
「気持ち?」
「そう、簡単に言えばやる気とも言えるな」
「そんなの……」
馬鹿らしい、そんなのこれまでどこでも言われてきたけど結局そんな事無かったのに。
「まだ信じられない、か。でも君より弱かった彼女が今では君より強い。それだけはわかったろう」
不承不承に肯く。
「そして、彼女は私からは同じ事しか教わっていない。なのに、君より強いのは自分で鍛練していたからさ」
私は驚いて彼女を見つめた。
おろおろとして、自分が勝ってしまった事に焦っているみたいだった。
急に何もかも恥ずかしくなった。
恥ずかしくて恥ずかしくて、私は着替えもせずに家へ帰った。
それから、私は事あるごとに年上や道場での先輩に食って掛かるようになった。
その対象には大賀さんも、尾崎さんも含まれていた。
でも、あの時の私はようやく自分をぶつけられる何かを見つけられたことで充実していたのだと今になって思う。
もちろんその時にはそんな事を考える余裕はなく、荒れ放題にしていた。
そのたびに、私は大賀さんに叩きふせられ、諭され続けた。
その上何度やっても尾崎さんにも勝てなかった。
そして、ある時大賀さんが外国に行くという話を聞いたのだった。
それを聞いて初めて、自分が大賀さんに甘え続けていたという事に気がついたのだった。
「一ヶ月後……」
「ああ、結局偉そうな事を言っていたくせに、お前を導いてやる事はできなかったな」
くしゃっと頭を撫でられた。少し、大賀さんは寂しそうだった。
私はそれを見て、ようやく決断した。
「大賀コーチ。私、強くなりたいです。尾崎さんのあのひたむきな強さに負けないそんな強さを手に入れたい」
声が震えていた。自分の弱さを認めるのは、それまで突っ張ってきただけに余計に辛かった。
「だから、コーチが外国に行く前に、彼女と試合をさせてください」
その頃の私は、コーチ以外の人との試合は禁じられていた。
「本気だな? それなら許してやろう。だが、私は二人のどちらにも特別な事をするつもりはない。二人にあった練習をさせるだけだ」
「はい!」
それから一ヶ月、私はもくもくとコーチとの練習に励んだ。もちろん、自分なりに体を鍛え常に前向きに努力したと思う。
それでも、私がそれまでの間につけられていた差はなかなか埋まっては行かなかった。
だが、私の焦りを大賀さんは時に優しく時に厳しく取り除いてくれた。
そして、一ヶ月後のその日。
私は尾崎さんを投げて、勝ちを収めていた。
しばらく呆然とした後に、私の中にじんわりと何かが沸き上がってきた。
ようやく成し遂げたその感動に、思わず私は涙を流していた。
その私に、悔しそうだけどそれよりももっと嬉しそうな尾崎さんが握手を求めてきた。
私たちは互いに握手し礼を交わした後、本当の友達になった。
その後私は、大賀さんに自分の気持ちを打ち明け、女の子の初めてを彼に捧げた。
第17話
「病院に行った方が良いんじゃないですか?」
「ふ、日光に触れるとやけどする病気ですとでも言うのか」
大賀が皮肉めいて言った。
「とにかく、出来る限り何かしましょう」
瞳は思わず涙が零れそうになるのをこらえて、彼に肩を貸す。
よろよろと歩くうちに、公園の入り口が見えてきた。
その時、真一郎が公園の中を歩いているのを瞳は見つけた。
一瞬緊張する瞳だが、今はそれどころではない事を思い出して真一郎に背を向けた。
「え?」
だが、瞳が視界から外すその瞬間、真一郎の体に奇麗な女の子の姿がダブって見えたような気がして瞳は振り返った。
真一郎は一人で何かをじっと見詰めながら歩いていた。
気のせい……よね?
自分のくだらない想像を振り払うと、瞳はまた歩きはじめた。
「七瀬……」
今日さくらから珠を貰って以来、ずっと七瀬の事が頭から離れなかった。
去年の12月。
たった二週間の間一緒にいた女の子。
それなのに、8年もの間一緒にいた幼なじみと同じぐらい大切になった女の子。
彼女が好きだと自覚した日、口付けの感触を遺して彼女は去った。
その七瀬がたった一つ、形のあるものとして遺していったもの。
真一郎は、それを眺めながらゆっくりと公園の中を歩いていた。
どこか、もっと懐かしいものをその珠に感じつつ。
ふわっ。
風が吹いたかと思うと、目の前がピンク色に彩られた。
桜の狂い咲きだった。
真一郎の思考は一気に現実へと戻ってきた。
あまりに圧倒的な光景に一瞬、真一郎はぽかんとしてしまう。
「あっ……」
手から珠が転がり落ちた。
キィン。キン。
珠は甲高い澄んだ音を立てて跳ねた。
「待て!」
珠が転がった先には一人の女性が同じように桜に見惚れて立っていた。
「あっ」
女性が気づいて、珠を取ってくれようと腰を屈めた。
「きゃっきゃっ」
女性の胸元から可愛らしい声がした。
女性は赤ん坊を一度抱き直してから珠を拾い上げた。
「はい、どう…あっ」
赤ん坊が、その不思議な輝きに惹かれたのかその珠を女性の手から奪い取った。
赤ん坊はそれを無心に口へ持っていった。
何でも口に入れようとする赤ちゃんに良くある行動。
女性は驚いて、赤ん坊からそれを取り上げようとする。
だが、赤ん坊は軽く口付けただけですぐさまそれを可愛い手で必死に差し出していた。
母親がびっくりしているうちに真一郎はその幼すぎるレディからの贈り物を受け取った。
「ありがとう」
真一郎は微笑ましく感じてその赤ん坊に笑いかける。
赤ん坊は微妙に表情を変えたが、一時後にはすでに寝入っていた。
「賢いお嬢さんですね」
「何かの偶然じゃないかしら。この子は生まれてまだ一月しか経っていないのに」
母親はにこりと笑うと桜の樹の元から歩き去っていった。
それを見送っていた真一郎の背後に、セーラー服を着た少女が揺らめく。
風に吹かれて散る桜の中まるで幻のように。
『せっかく逢えたのになにやってんのかなあ、私。でも仕方ないのよね自分じゃどうにもなんないもんね』
少女は誰にも聞こえない声、誰よりも愛しいその相手にすら届かない声でそう愚痴た。
『しかし、ありがとさくら。ちょっと気の使いすぎって気もするけど』
彼女は顔を顰める。
『……でも、とってもいやな匂いがする。真一郎の周りでたくさん何かが渦巻いてる』
ざわりと風が樹をなびかせる。
『わかってる、必ず真一郎は私が守るよ』
彼女は樹に向かってガッツポーズをして見せる。
同じ名前を持つ少女の切ない想いに応えてやる為に、そして何より自分の大切な人の為に。
第18話
どうしよう。
小鳥に言った方が良いよね。
ごめん、見ちゃったって。
「でも、あう。また喧嘩するのやだしな。気持ちも、分かってるつもりだし」
「唯子先輩。何言ってるんですか」
唯子は急に声をかけられてびっくりして飛び上がった。
「はや、ななかちゃん。どーしてここに?」
「先輩大丈夫ですか。部活終わってお腹すいたからお好み焼き食べに行こうって誘ったのは先輩の方ですよ」
ななかの眼が思いっきり冷たい。
「あ、そうだった、そうだった。あはは早く来ないかな、いか天玉」
そう言いながら、唯子はつい例の珠を取り出してもてあそんでしまう。
なんとなく気持ちが落ち着くのだ。
「あれ、唯子先輩。その珠?」
「ん、んにゃ。何ななかちゃん?」
「また考えごとしてたんですか。その珠ですよ。その手に持ってる珠」
「あ、これ?これはね、昔しんいちろーから、もらったものなんだ」
唯子がめったに見れないくらい真剣なしっとりした表情を浮かべる。
「ちょっと、見せてもらえます?」
「良いよ、きれーでしょ」
嬉しそうな唯子から渡された珠をななかは手に取って、中を覗き込む。
「んー、『てい』って読むんですかこの字?」
珠の中にどうやっていれたのか[悌]と言う字が毛筆で書かれたようにくっきりと浮かんでいる。
「うん、確かそーだよ。兄弟愛とかそんな意味の言葉だったと思うけど、詳しくは知らないよ唯子も」
大体、今日気づいたらそれが浮かんでたんだもんね。
「って事は違うのかな?」
「どうしたの。ななかちゃん」
「いえ、実は私も同じ様な珠を持っているんですけど」
そういってななかは鞄の中から鎖につながれた珠を取り出す。
中には唯子の珠と同じように[義]の文字が浮かんでいる。
「ありゃーほんとだ。こういうのシリーズ商品なのかな」
「さあ、でも昔聞いた話によると……えっと私は大輔さんにもらったんですけど」
「ふーん、やるにゃあ。ななかちゃんも」
「茶化さないでくださいよ。それで大輔さんがこの珠を手に入れた経緯何ですけど……」
ななかは照れて頬を赤くしている。
「実は暴走族の特攻旗って言うんですか?あの先端についてたんだって言う話なんです」
「暴走族の特攻旗?」
なんだか急に話が変な方に流れた。
「いや、大輔さんがそう言ってただけで詳しくは知らないんですよ」
それに真ん丸の珠が先端についていた特攻旗って言うのもなんだか……格好悪い。
「ただ、なんかそういう人達の手をずっと渡ってきたって言うのは確からしいんです」
ななかは恥ずかしそうに語る。
「なんだか、強くなるおまじないみたいなものだったらしいんですけど」
「へえ、凄いものなんだね」
しげしげとななかの持つ珠に視線を注ぐ。
「でも、どうして大輔君はななかちゃんにくれたのかな。そんな珠を」
「もう、強くなる必要が無いからじゃないですか?それに大輔さんそういうの信じなさそうだし」
ななかはいったん区切ってコップの水を一口飲む。
「実際、恩がある人からもらったもんだから捨てられないとかうそぶいてましたし」
「ふうん。で、効果はあったの?」
「さあどうでしょう。昔よりは強くなったけど、それって自分が成長したのにプラスされてるかどうかって分からないじゃないですか」
「まあ、そっか」
唯子はななかの意見に感心したようにうんうんと肯いた。
「で、なんて言って、くれたの。大輔君は?」
「え、あはは。あの……『坊主、これやるよ、強くなるって話だからよ』です」
「坊主?」
唯子の瞳が? でいっぱいになっている。
「ほら私胸もあんまりないし、中学生の頃だったから余計に男の子みたいで。初めて会った時だったから」
そう言いながらななかは唯子の胸に目をやる。
ううっ、うらやましいなあ。私もあれだけ胸あったら……。
「そうなんだ、でも、興味あるな。二人が出会った時の事」
「そんなたいしたこと無いんですよ。ほんと、普通の出会いかたですよ」
そういう割には、ななかはなんだかぎこちない。
「お待たせしました。いか天玉と、チーズです」
店員が二人のテーブルにお好み焼きのもとを置いていく。
「さ、焼きましょう」
これ幸いとななかはそそくさと準備する。
「わーい、いか天玉ー」
そこでにっこりと唯子が笑う。
「くふふー、焼けるまでそのお話聞かせてね」
「はあ……。仕方ないなあ」
ななかは溜め息をついて唯子に二人が会った時の事を話しはじめた。
第19話
病院の前で不安そうに辺りを見回す少女がいた。
黒ぶちの眼鏡をかけ、髪をお団子状にまとめているこの少女、弓華が元は暗殺者だったなどと誰も信じないに違いない。
「おかしい、迎えに来る、言ったのに」
弓華はどこか発音がおかしい日本語で一人ごちた。
約束の時間からすでに30分がすぎている。
このぐらいで不安に思う方がどうかしているのかもしれない。
でも、弓華にはどうしてもそれを打ち消す事ができない。
それに火影は時間にいやというほど正確だった。
いつも、同じ時刻に弓華の病室へ見舞いに来た。
そういう意味では面白味に欠ける男ではあるかも知れない。
だが、裏の稼業を捨てたばかりの弓華にとっては、それは一番大切な誠実さということでもある。
「よし」
弓華は不安を断ち切るように顔を上向けた。
「行ってみる。火影といづみの故郷、蔡雅御剣流の里へ」
以前連れて行かれた彼らの故郷へ弓華は歩き出した。
瞬間、いづみに連絡を取った方が良いかと考えたが、今は一刻も早くたどり着きたかった。
途中で、電話する暇があったら……。
火影は弓華の元へ走っていた。
その姿は血まみれだ。
「くっ、はあはあ。……弓華」
奴等が襲い掛かってきたのは突然だった。
三匹の化け物達。
そして……美しい少女。
「無駄、逃げても」
目の前の木立を割って女が目の前に現れる。
「おのれ、何の用があって私を狙う?」
「あなたが蔡雅御剣流の人間だから」
ぞっとするほど少女の声は淡々としている。
まだ中学生か高校生といったぐらいの年頃だというのに……。
火影はぎりっと歯を噛み締める。
そこへ三匹の化け物も姿をあらわした。
まさしく鬼と呼ぶにふさわしい角の生えた異形の生物達。
だが、その顔には見覚えがあった。いずれも火影がこれまで敵対し、葬ってきた暗殺者達だ。
それらが示し合わせたようにいっせいに襲い掛かる。
火影は全員から逃れる為に跳躍する。
そこへ化け物の一匹が含み針を放つ。
毒が塗られていて、受けたらまず助からない。火影は身を捩って避けようとするが空中では動きもままならず針は火影の腕へ刺さった。
……ように見えた。
「違う、下」
少女の声に驚いた三匹が振り返るとその目の前で銀色の線が閃いた。
パキン。
三匹の鬼の角が陶器が割れるような音を立てて砕け散る。
「ぐをわああああああ」
額を押さえて苦しむ鬼達。
だが、少女はけだるげにその様子を見つめるだけで動こうとはしない。
火影の見る前で鬼が土くれにと戻っていく。
もともと、少女が目の前で作り出したものなのだ。
火影は鬼の角を砕いた狼牙丸を構えたまま慎重に少女との距離を詰める。
「強い……でも、私にはかなわない」
どんなにプレッシャーをかけても少女は自然体のまま構え一つとらない。
いや、プレッシャーをかけられているのは火影の方だった。
「はぁっ!」
裂帛の気合とともに、打ち掛かる火影を少女はさらりとかわす。
そのまま次々と繰り出す攻撃を少女は完全に見切っていた。
ひたっと少女の手が火影の首筋に触れる。
「一度」
その次の瞬間火影の胸、心臓の真上にやはり手が触れる。
「二度」
二度、だと?
それだけ殺すチャンスがあったと言いたいのか?
確かに少女が得物を持っていたらそれだけで終わる。
ぞく。
自分の中に生まれた恐怖。
だが、あきらめはしない。火影にはあきらめられない理由があるのだから。
火影は何度となく攻撃し、かわされ急所へと触れられた。
「感心します……それだけ、良く気力が持つものです」
少女の顔には混じりけの無い純粋な感嘆が浮かんでいた。
「この間の男も強かったけど、あなたはそれ以上です」
少女はそう言うと、疲れきっていた火影の後ろに回り込む。
振り向こうとする火影の目の前に少女の顔が大写しになる。
ぐっ。
少女が火影の首の後ろを捕まえ自分へと引き寄せた。
何という力だ!
抵抗も出来ず火影はそのまま首筋に歯を立てられる。
「……うあっ」
少女がうめいて火影を引き離す。
少女の胸から狼牙丸の切っ先が姿を覗かせていた。
火影はがっくりと崩れ落ち、少女もひざをつく。
「あ、の状態で、反撃するなんて……」
刺さっている場所は心臓のすぐ上、致命傷と言ってもいい位置だ。
「ぐ……う」
だが、苦しそうなそぶりこそしたものの狼牙丸を自力で引き抜き、投げ捨てた。
少しの間だけ激しく噴出した血は見る見るうちに止まっていく。
「やっぱり、殺すのは惜しい……仲間になってもらいます」
火影を抱きかかえようとして、少女が驚く。
渾身の力を振り絞ったその一撃は少女の薄い胸板を貫き火影の右胸さえも穿っていたのだった。
「くっ。間に合うかな」
火影はその少女の声をもう聞いてはいなかった。
第20話 懊悩
「ただいま」
誰も応えるはずの無い帰宅の挨拶。
しんと静まり返った家の中、つい夢想してしまいそうになる暖かい声。
『あら、おかえりなさい小鳥』
ぷるぷる。
「大っ嫌いだもん。私は」
言ってから、小鳥は何ともいえないまずいものを飲み込んでしまったような気分になった。
「お父さんは……」
手紙がきていたのを知らないはずはない。
小鳥の机の上に手紙を置いていく人がいるとしたら、父親しかいないのだから。
「昨日はお昼に帰ってきたのかな」
考えたくない。
何にも、お母さんの事なんて何にも。
「お父さん、ちゃんと栄養のあるもの食べてるかな?」
辛いよ。
痛いよ、苦しいよ。
どうして……。
「……夕食の材料、買い行かなくちゃ」
小鳥は着替えはじめる。
「誰?」
視線を感じて、小鳥は窓を振り返る。
カーテンを開け、そっとベランダを覗いてみるが誰かがいた気配はない。
小鳥は首をかしげて、再び着替えた。
無意識のうちに、あの珠をお財布と一緒に手に取って小鳥は動きを止める。
「しんくんがくれたんだもんね……」
言い訳するように言うと、小鳥はそれを懐にしまい込んだ。
「あ、唯子」
小鳥が駅前をのてのて歩いていると、お好み焼き屋さんから唯子とななかが出てくるのに遭遇した。
「はや、小鳥」
なんとなく、唯子の態度が変だ。
「今からお買い物?」
「こんにちは野々村先輩。お夕食の準備ですか?」
唯子とななかが同時に小鳥に尋ねる。
「うん、今から買いに行くんだ。二人は部活の帰り?」
「ええ、この間大会も終わっちゃったし今日は早めに終わったんです」
「お好み焼きおいしかったよー。今度、小鳥としんいちろーも一緒に食べに来よーよ」
唯子は幸せそうだ。
こんなにいい友達がいるのに、どうして私は寂しいなんて思っちゃうんだろう。
「そうだね、今度しんく…相川君も誘って行ってみようか」
「うん、でも小鳥明日はだめなんだよね」
唯子がこんなことを聞くのは当然、明日2/13が小鳥の誕生日だからに他ならない。
「お父さんが久々に時間とれるからパーティーしようって」
「そっか、それなら仕方ないよね。でも、明後日はオッケーなんでしょ?」
「バレンタインのこと?」
「それもあるけど、いづみちゃんに家に招待されてたでしょ」
そうだった、なんだかしんくんがいづみちゃんを手伝ったとか何とかで招待されてたんだ。
「でも、なんで私達まで行くの?」
「ついでだから小鳥の誕生日パーティも一緒にやろうって話になったらしいよ」
「え。しんくんが言ったの?」
「そうじゃないかな?唯子はしんいちろーから聞いただけで詳しくは知らないよ」
「ああ、もうしんくんたら気が利かないんだから、そんなの御剣さん二人でいたかったからに決まってるのに」
思わず興奮してしんくんを連呼した小鳥にななかがおずおずと声をかける。
「あのう、私家に帰ってロードワークしなくちゃいけないんでこれで失礼します」
「あ、ごめんなさい、私興奮しちゃって」
「いえ、そんな事ありませんよ」
本当にななかちゃんはいい子だな、人に不快感を与えないように気を使っているのにそれが凄く自然。
「うん、それじゃね、ななかちゃん。また明日」
「唯子先輩明日はお休みですよ」
「あはは、また今度ね」
「さようなら井上さん」
ななかちゃんはにっこり笑うと走って去って行った。
「さってと唯子も帰ろうかな。ところで小鳥、あんまり気にしすぎるの良くないと思うな。そんな事言ったらきっとしんいちろーのことだからうにゅーってやられるぞ」
でも、御剣さんがっかりしたと思う。
「いづみちゃんだってきっとそんな風に気を使われたら居心地悪いと思うぞ。小鳥は側で笑っててくれるのが一番だから」
「えっ」
小鳥はびっくりする。
自分の不手際で真一郎に怪我をさせた時、慰めてくれた真一郎が言った言葉だったから。
「うん、わかった。私気にしないでおくね」
「うんうん、わかればよろしい」
唯子本当にありがとう。しんくんが言ってたとおりだった、唯子も同じ事思ってるって。
「あ、あの小鳥」
突然、重大決心でもしたかのように、真剣な顔で唯子が話し掛けてきた。
「何?」
小鳥が聞き返すと、唯子はそれまでの元気もどこへやら途端にしどろもどろになって誤魔化してしまう。
「い、良いや、何でもないよ。唯子もう帰るね」
「うん、じゃあね」
小鳥は少し、いぶかしく思ったけれど、すぐに気にしない事にした。
唯子の言葉を信じて。
どうして、言えないんだろう。
小鳥のお母さんから来た手紙、読んじゃったって。
ごめんねって。
悪気があったわけじゃないのに。
小鳥……。
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