とらいあんぐる八犬伝

 

第31話 束の間の……

 
「うふふ。二人っきりだね真一郎」
「今日はずっと、寝ている真一郎を見ているね」
「忙しかったから、ゆっくり真一郎の顔眺める暇も無かったし」
 こわごわ真一郎の髪をかきあげてみる。
 すうっ。
「あーあ、やっぱり駄目か」
 今は気づかれたくない気持ちもあるし、それで良いのかもしれない。こうして、真一郎の横で寝ているだけで。
「ん、むむ……」
 真一郎が少し口を動かす。
「どんな夢見てるのかな……そうだ!」
 七瀬は真一郎に口付けする。
「待っててね」
 
 真っ白い中、取り止めも無い幾つもの風景が浮かんでは消えていく。
「ふーん。こうなってるのね」
 辺りを見回す七瀬。
「真一郎。どこにいるんだろう」
「ここだよ。……七瀬?」
 後ろからかけられた声に七瀬はゆっくり振り返る。
「真一郎!」
 思いっきり、飛びついた。
 ぎゅっとぎゅっと、力の限り抱きしめる。
 最初抱きしめられるままだった真一郎は次第に力を込めて抱きしめ返した。
「どうして、七瀬が……あ、そうか。これは夢なんだ」
 驚きの後に寂しげな口調。
 でも、七瀬は否定しない。
「そうね。でも、私の体、暖かかったでしょ」
「そう言えば、七瀬はいつも冷たかったっけ」
「ひどいなー真一郎。でも、幽霊だったからね」
 真一郎は、恐る恐る七瀬の頬に触れる。
「暖かいって言うより、熱いぐらいだ。七瀬の体」
「うん、心の温度なんだよ」
 七瀬はにこっと笑う。
「真一郎に会えたから」
「でも、消えてしまうんだな。夢だから」
「馬鹿ね真一郎。私達が出会ったのは本当なのよ。幽霊と人間、交わるはずの無かった私達の時間があの瞬間交わった。今は離れているけれどその事実は変わらないわ」
 七瀬は、つと離れて真一郎の顔を良く見る。
「それにね、なんだって良いじゃない。今、私達は一緒なんだから」
「なんだか、七瀬かっこいいな」
「これでも、真一郎よりずっと長く在るのよ」
 言ってからぺろっと舌を出して見せる。
「半分以上は、旧校舎の中で一人だったけどね」
「そうだね、七瀬は俺よりずっと年寄りだからな」
 強がって言う真一郎の目は潤んでいたから、七瀬は何も言い返さなかった。
「嬉しい?真一郎」
「そりゃ嬉しいよ。こうして七瀬とまた会えるなんて思っても見なかったから」
「ねえ、私の事好き?」
「なに、やぶからぼうに」
「いいから、私の事恋人として好き?」
 七瀬が真剣であるのを見て、十分時間を取って真一郎は言い返す。
「多分俺は七瀬に恋してた。でも、今では七瀬は大切な人だ。恋とかじゃなくて、もっと大切なんだ」
 正直、七瀬には真一郎の気持ちが良く分からなかった。
「どういう意味。私は恋愛対象にならない?」
 不安になって尋ねる。
「そうじゃないよ。そうだな唯子や小鳥と同じなんだ。大切な人で、俺の中で切っても切れないような存在」
 ちょっと寂しい気もしたけど、七瀬は仕方ないかなと納得する。
「そうか。でもそれって、その二人を好きになる可能性もありって事よね」
「……そうだね」
「このぉ」
 ぐっと真一郎の頭を抱え込んで締め付ける。
「わあ、ごめん七瀬」
 真一郎の言葉に七瀬は手を放す。
「今はそれでいいや。でも、私の事も好きでいてくれるよね。私また絶対に会いに来るから」
「もちろん。でもどうやって?」
「今にわかるよ。くすっ」
 七瀬の笑みに、真一郎は顔いっぱいに?マークを浮かべていた。
「でも、いませっかく一緒なんだから、デートしよ」
「デートってこんなところで?」
「私、遊園地が良いな。そういうとこ、昔はあんまり良いとこ無かったし。真一郎と行ってみたいんだ」
「でも、どうやっていくのさ」
「夢の中なんだよ。きっと、遊園地に行きたいって思えば遊園地に行けるんじゃない?」
「そっか。よし遊園地に七瀬とデートか」
 辺りの風景が少しずつ焦点を帯びてくる。
「ここは……」
「学校じゃない」
「もう一度やってみるよ」
「ううん、やっぱりいい」
 七瀬は戸惑う真一郎に抱き着いた。
 ここは、私達が一緒にいた場所だもんね。
 やっぱりここがいいよね。
「七瀬……」
「真一郎」
 ぐらっ。
「何。地震?」
 急速に世界が遠のいていく。
 
 
「地震か……」
 カタカタとゆれ続ける目覚し時計を見ながら、真一郎はつぶやいた。
「ああ、せっかく七瀬の夢だったのに」
 でも、なんだか夢じゃないみたいだった。
 まだ、七瀬を抱きしめた時の柔らかい感触が手に残っている。
「もう一度、寝たら見れるかな」
 それから、真一郎は周りへ目を向けた。
「なんだ、まだ続いているのか?」
 地震はまだ続いていた。
 長く長く、不安を煽り立てるようにそれは続いていた。
 
「もう、せっかく後少しでキスできたのに!」
 七瀬はすぐ側でおかんむりだった。
 

第32話 曙光

 
「えーと。これで準備は終わった、と」
 周りを見回して確認しているななかに大輔が苛立った声をかける。
「なんだよ、まだかよ。さっさとしろななか」
「はーい、これで準備完了です」
 ……ごご。
 ぐらぐら。
「おい、またかよ、なんだか地震が多いな」
 そこへ寄ってきたななかが不安そうな顔をする。
「なんだか怖い、大輔さん」
 バイクに乗った大輔の後ろから、ぴたりとしがみつくななか。
「ん、おお乗ったか。よし、じゃあ行くぞ」
 だが、大輔は特に気にしていないようだった。せっかくの甘い一時だというのに……などということは実はななかも考えていない。
「最初から、こういう人だってわかってるからね」
「?」
「いいから、さ、行きましょう」
 にこにこしてるななかを見ていると大輔も「ま、いいか」という気分になってくる。
 エンジン音を響かせて、大輔のバイクは朝もやの中を走り出した。
 
 
「お、起きたか?おはよう小鳥」
「お父さん。いつ帰ってきたの?」
「ん、ついさっきだ。……大丈夫だよ、きちんと寝てきてるから」
 心配そうな顔をした小鳥に、穏やかな雰囲気で父が笑いかける。
「本当に、大丈夫?」
「心配性だな、小鳥は。お父さんは大丈夫だよ。それより、小鳥おめでとう」
「うん、ありがとう。お父さん」
「……お誕生日おめでとう」
 もう一度真剣な顔でされたお祝いの言葉に小鳥は少し戸惑う。
「そんなに何回も言わなくても。……ありがとう」
 でも、なんとなく小鳥ももう一度お礼の言葉を口にする。
「さ、今日はお父さん小鳥の貸し切りだ。どこへ行く?」
「うーん、やっぱりうちでのんびりするのが良いよ」
 ちょっと考えるけど、やっぱりお父さんも疲れてるだろうしと小鳥はそう言う。
「そうか?あんまり家の中ばかりと言うのは良くないぞ。たまには外へパーっと気晴らしに行かないとな」
 だけど、実際の所小鳥は家でのんびりと過ごすのが好きだという事もある。
「だめ、今日はお父さんにたっぷり私の料理を食べてもらうんだ」
「おいおい、それじゃ私の誕生日みたいじゃないか。小鳥は今日一日じっくりと楽しんでだな……」
「いいの、今日はお父さん私の貸し切りでしょ」
「うう、そうだったな。……だけど夕御飯はお父さんに任せてくれないか?といっても自分で作るわけじゃないが」
 なんとか、小鳥を外に連れ出したいようで父は必死に説得する。
 あんまり気を使わせたくないけど、たまには甘えても良いかな。
「うんわかった。でもそれまではゆっくりしよ」
「ああ」
「それじゃ、朝御飯作るね」
 ジャー、とんとんとん。
 軽やかな音を立てる台所で父は小鳥に優しい微笑みを投げていた。
 
 
 ぴちょん。
 ここは……。
 ぴちょん。
 私、何してたんだっけ。
 頭を振って起き上がろうとする。
 くにゃ。
「駄目だ、全然力が入らない」
 暗い部屋だ。しかも、なんだかじめじめしている。
「私は……」
 自分の名前を言おうとして、瞬時に出てこない事に少し焦る。
「綺堂さくら。そう綺堂さくら。ああ、何日経ったんだろ、あれから」
 先輩に、チョコ渡して告白しないと……。
「馬鹿みたい、それどころじゃないのに」
 でも、14日過ぎてたら嫌だな。
 こふっ。
 体、弱ってるみたい。
「……わかった、あれ『影の妹』だ。そうだったんだ」
 唐突にさくらはいろいろな事を思い出した。そうすると自分が混乱していたのが嘘のように真相が心の中に浮かんできた。
「やったのは、遊だろうな。多分」
 本当はそう簡単に出来る事じゃないはずだけど、まあ、方法はいくらでもある。
 でもショックなのは影の妹とはいえ、自分が遊に従っている事だ。
「そんなの間違ってるのに」
 でもそれは、私が姉だからかな?
 そうかもしれない。
 なんとなく、そう感じる。妹とはまだ、完全に別たれたわけではない。
 自己の存在に不安を持つ妹の気持ちが、心を凝らせば流れ込んできそうだ。
「ふう、これからどうしよう」
 ポケットに入れていた珠を探る。
「あれ、ない!」
 どうしよう。あれが無いと呪いを打ち破れないかもしれない。
「ああ。先輩……」
 動けなくて心ばかり焦って、巻き込みたくもないのに大好きな人を心で呼んでしまう。
 …………でも、私どうして助かったんだろ。
 石に触れた途端自分が吸い込まれていくのが分かった。
 体でも心でもなく、何か別のもの。うまく表現できないけどそれが命そのものなのかもしれない。
 手を放そうとしても、もう、動けなかった。
 目の前に石の割れ目が近づいてきて。
 扉が開く、と思った瞬間までは覚えていた。
「私が助けたの」
 さくらが驚いて見ると、そこには『さくら』が立っていた。
 
 
 いづみははやる心を押さえて、学校の護身道の道場へと向かう。
 昨日瞳と一緒に火影と戦い、帰宅した後で例の指令を受けている。
 そのまま弓華を探しに出たかったが、昨日の帰り際に瞳と逢う約束をしていた。
「はあっ!」
 ズダァン!
 何かを投げている音。
 説明しなくてはいけないんだろうが、気が重いな。
 扉を開けて中へ入ると、瞳はすでにいづみが来るのを察していたようにこちらを向いていた。
 気合入ってるな。
「千堂先輩、おはようございます」
「おはよう御剣さん」
 瞳はいづみを招いて、道場の中で二人は向かい合って座る。
「先輩、あの。昨日の事なんですが……」
「私から話すわ」
 瞳はそう言って大賀が襲われた事、そして遊が接触してきた事などを話した。
「そうだったんですか」
 これじゃ先輩を納得させて手を引くようには言えないな。
「それじゃ私の方も……結構突拍子も無くて、普通の人には信じられるかわからないんですけど」
「大丈夫、私の話だって、信じられるものじゃないから」
 瞳は促すようにいづみに向かって微笑む。
 さくらの事、火影の事知りうる限りの事を瞳に話していく。そして、最後に八房の事も。
「これが、八房です」
 見せられた八房に興味津々の瞳。その視線は忠の浮かぶ珠に注がれているようだ。
「この珠、私も似たようなもの持ってるわ」
 そう言って、瞳は自分のバッグをごそごそと探りはじめた。
「ほら、これ」
「礼って書いてありますね」
 まさか、他の珠に出会えるなんて。
「でも、その話が本当だとしたら……これもその一つなのかな?」
「そうかもしれませんね。わからないですけど」
 確かめようとして瞳が珠を八房の隣に置いて見比べようとする。
 りぃん、りぃぃぃ。
 かすかな音と僅かな光を放って珠が共鳴しはじめる。
「これは……?」
「知りません。でも、多分、これが本物の珠の一つだからじゃないでしょうか」
 瞳は自分の珠を取ってじっくりと眺める。
「不思議な事もあるものね。もしかしたら、これが役に立つかも」
「そんな、ただの珠ですよ。どんな曰くがあっても」
「でも、昨日の事を思い出して。あの時、綺堂さん……便宜上そう呼ぶけど。綺堂さんはあなたを殺そうとして襲い掛かった。私は、てっきりあなたがやられたと思った」
 いづみもあの瞬間を思い出して、思わず背筋が寒くなる。
「でも、あなたはその忍刀を抜いてあっという間にあの人を切り裂いた」
「え?」
 いづみは驚く、自分が切った覚えはないからだ。ただ、何かにさくらが弾かれるのを感じただけ。
 でも、そう言えばあの後私は抜いた覚えがない八房を構えていた……。
「きっと、その珠の力じゃないかしら。あなたを守ってくれてるの。それだったら、この珠にはきっと吸血鬼に対抗する手段があるはず」
 瞳は昨日成功しなかった数々の手段を思い返す。
「御剣さん。私もその弓華という人を探します。一緒にやりましょう?」
 いづみはほんの少しだけ逡巡して、肯く。
「わかりました。千堂先輩」
 

第33話 ダブルデート

 
「おっはよ、しんいちろ」
「おう、唯子。結構早かったじゃんか」
「しんいちろも早いじゃん。てっきり寝坊してくるかなーて思ってたのに」
「なんだとこいつ。俺がそんなに寝坊ばっかしてるかよ」
「でーもー。しんいちろ朝弱いからさ」
「あのな、もう10時だぞ。いくらなんでも遅れるかよ」
 ぺしっと手が出る。
「あいたっ」
「結構おしゃれしてるわね」
 この台詞は七瀬だ。
 当然二人には聞こえていないけれど。
 つい、唯子をチェックしてしまう。
「空しいなあ」
 幽霊でもなくなってしまったから、真一郎を守る為意外に力は使えない。
 使えばきっと自分の本体に悪影響が出るだろう。
「よっし、じゃあそろそろ行くか」
「うん、そうしよ」
 二人が連れ立って歩き出すのに気づいて七瀬も慌てて後を追う。
「真一郎は小鳥に何のプレゼント買ったの?」
「んー俺か? 俺は、秘密」
「ふーん、でも小鳥今日パーティできなくて、ちょっと残念、かなあ」
「まあ、でも久しぶりの親子水入らずなんだろ。小鳥のお父さん子煩悩だし、今日は二人っきりにさせておこうぜ」
 ふよふよと漂っている七瀬は二人の会話に耳を傾ける。
 まあ、他にする事もないし仕方ないのだけれど。
「そう言えば、あの小鳥って子が一番ライバルで強そうだなあ」
 知っている限りのライバル達を指折り数えながら七瀬がつぶやく。
「でさ、どこ行くの?」
 唯子の質問に真一郎は?と言う顔を向ける。
「お好み焼き屋じゃないのか?」
「むう、そんなとこ最初から行ったら行くとこなくなっちゃうよ。それにまだ10時だよ、そんなにお腹減ってるのしんいちろ」
「ああ、腹減ってる。起きたの9時でしばらくボーっとしてたから朝飯食ってない」
「せっかく、遊び倒そうと思ってたけど、喫茶店にでも入る?」
 丁度近くに見えたティル・ナ・ノグという看板の喫茶店を指差して唯子が言った。
「ん、そうだなあ。唯子と遊び倒すとなると結構体力いるだろうしな。腹ごしらえくらいしていくか」
「よし、じゃあ唯子も何か食べよっと」
「お前は朝食ってきたんだろ、あんまり食うと太るぞ」
「えーっ唯子大丈夫だよ。これから真一郎と十分運動するもん」
 真一郎は唯子の言葉に今日は大変かもしれないと覚悟を決めた。
 
「こんな近くに、結構良い喫茶店があったんだな」
「うん、そうだね。ロイミティー、美味しかったねー」
 はにゃーと顔を緩める唯子。
「俺はコーヒーのブレンドだよ。でも、結構良い味だったよな。また来ようぜ」
 結局、唯子と食べた量がほとんど同じだという事に真一郎は多少引っかかったが、全般的に美味しいレベルだったので満足して出てきたのだ。
「さーて、次はどうするよ」
「唯子、テニスとかしたいな」
「ちょっとテニスは無理だろ」
 大体、近くにコートが無い。
「でも体動かすのがいいから……」
「じゃあ、ボーリングでも行くか」
 まあ、無難な所としちゃこれぐらいしかないだろうな。
 まさか、バッティングセンターって言うのも無いだろうし。
「ボーリングかあ。久しぶりだにゃあ。卓球もする?」
「俺は、ビリヤードの方が良いなあ」
 しかしなんで、卓球とビリヤードが置いてあるんだろうな、ボーリング場に。
「面白そう、私もやりたいなあ」
 七瀬が後ろから恨めしそうに眺めているのを二人は知らなかった。
「でも、こんな事してていいのかな。なんだかだんだん嫌な雰囲気が強まってきてるのに」
 七瀬が真顔に返って辺りを見回す。
「よーっし、行くか」
「じゃあ、ボーリング場まで競争!」
「馬鹿、帰宅部の俺が唯子に勝てるか」
 そう言いながら、真一郎はもう全力で走っていく。
「あははは、知らないよ。負けたらジュース一本おごりねー」
「もう、人がせっかくシリアスしてるのに。待ってよ真一郎」
 七瀬がぷうっと頬を膨らませた。
 
 しゅああああっ。
 軽快な音を立ててリールから釣り糸が伸びていく。
 大輔はそのまま軽く引っ張り茂みを越えた辺りに着水させた。
 自分のキャストに満足げに後ろのななかを振り返るとまだ釣り糸と悪戦苦闘中だった。
 ぐるぐる。
 きゅっ。
 ぱらっ。
 どうしても、針が繋げないのだ。
「うう、これどうなってるんですかぁ?」
 情けない顔で聞くななかに、大輔は仕方なく針を結んでやる。
「ほれこれで良い。……投げられるか?」
 心配して聞いた大輔にななかは憤慨する。
「投げるぐらい、大丈夫。大輔さん馬鹿にしてるでしょ」
 そのまま、大輔のキャスティングを真似てななかが思いっきりスイングする。
「おい、あのな。そんなに簡単じゃないん……だぞ。……遅かったみたいだな」
 見事なぐらい、襟首に針が突き立っていた。
「ひえーん。なんで?」
「全く少しは言う事聞けよ。ほら、じっとしてろ」
 ななかはしゅんとして、うつむいている。
「ほれ取れた。しかし、一度もやった事無かったのか」
「う、でも。大輔さんと一緒にやってみたかったんだもん」
 本当は、ただ一緒にいたかっただけだが。
「そうか、まあいいさ今日一日かけてじっくり教えてやるよ」
 にやりと笑う大輔にちょっと手加減して欲しいな……とななかは少し弱気になる。
「でも、本当に凄い所だね。こんなところで釣りなんて……いいの?」
 辺りを見回してななかが尋ねる。
「何が?」
「いえ、あの。ここら辺で釣りとかって禁じられてるんじゃないですか?」
 ななかが指差した方向には富士山が聳え立っている。
 ここは富士五湖の一つ河口湖である。
「さあ、知らね」
 いとも無造作に言い放つ大輔。
「大輔さーん」
 情けないななかの声が辺りに響いた。
 

第34話 愛されるのは

 
「さて、じゃあどこから当たるつもりなんです? いづみさん」
「そうですね、弓華が消えたのは青木ヶ原樹海ですけど、いきなりそこへ行っても無駄ですね」
「何故?」
「まず、樹海のせいです。これはわかりますよね」
 瞳が肯くのを待って、いづみが後を続ける。
「あとはですね、弓華は隠れるのが非常に得意です。見破れるかどうかが……」
 瞳が怪訝そうな顔をする。
「隠れるのが得意?あなたのお兄さんの恋人の普通の女の子じゃ無かったんですか?」
 しまった、と露骨に顔を歪めたいづみに気づかず、瞳はぽんと手を打った。
「もしかしたら、忍者の恋人ともなるとやっぱり忍者でなくてはいけないとかそういう事かしら」
「そ、そうですそうです」
「ごめんなさい、変な事聞いちゃって」
 笑っている瞳から顔をそらしていづみは、ほうと溜め息を吐いた。
 さすがに弓華が元暗殺者だなどと話せないからだ。
「それから多分火影兄様と一緒じゃないと帰ろうとはしないでしょうね。弓華は」
「まあ、私達の目的も基本的にはそのお兄さんを奪還する事と、吸血鬼を退治する事だから弓華さんと合流できるのが一番だと思いますが」
「そうか……そうですね。ただ、もう少し準備をしていった方が良いと思いますが。それに……」
「それに、何かしら?」
「いえ、し……相川をご存知ですよね」
「え、あ、相川君?」
 途端に瞳の様子が一変する不意打ちでも打たれたみたいに目を白黒している。
 もっとも、いづみが不意打ちした時にここまでうろたえている瞳を見たことが無いが。
「どうしたんですか千堂先輩」
「ああ、あの、何でもないわ。ところでその相川君がどうかしたの?」
 声が裏返ってるのをいづみは不思議に感じたが、特にわけを尋ねようとはせず話を進める。
「あの、さくらって言う昨日の吸血鬼。あれ、相川の知り合いなんです」
「え?」
「どういう知り合いかは良くわからないんですが……」
 言いながらつい声音が固くなってしまう。
 やっぱり、私は嫉妬している……。正しくない感情だ。こんなことでは物事を判断しそこなう。
「聞いてみれば何か情報が得られるんじゃないかと」
「そう。それはそうしてみた方が良いわね」
 瞳の表情は打って変わって真剣になっている。
「とりあえず、ここで話していてもなんですから、行ってみませんか?」
 二人は連れ立って歩き出すが、当然のごとく真一郎は自宅にいない。
「うーん、唯子の所かな? いや、野々村の家の方が可能性が高いか」
 誰も出てこない呼び鈴を何度か押した後いづみがそう言った。
「今度は電話をかけましょう。わざわざ行っていないのじゃ困りますからね」
 瞳が至極もっともな事を言う。
 
 
 とぅるるるるるる。
 とぅるるるるるる。
 がちゃ。
「はい、野々村ですけど」
「もしもし、御剣ですが、小鳥さんは……」
「み、御剣さん? 私だけど」
「あ、ああ。野々村か。悪いがそちらに相川いないか?」
「え、しんくん? 今日はいないよ」
「そうか、迷惑かけたな、それだけだから、じゃあ」
「あ、ま、待って」
「なんだ?」
「あの。明日わざわざ私達まで招いてくれたみたいで」
「そのことか、気にするなよ。もともと、私も野々村の誕生日には行くつもりだったんだ。……相川の誕生日はどうするかわからないけどな」
「……うん、ごめんね」
「なんで謝るんだ?」
「ううん、お招きありがとう。楽しみにしてる」
「そうか、明日家で待ってるからな。っととそうだ、相川が他に寄りそうな所知らないか?」
「しんくんが寄りそうな所? 端島君の家か唯子の家ぐらいしか考えつかないな。ごめんお役に立てなくて」
「いや、いい。それじゃまたな」
「小鳥、誰からだったんだ?」
「うん、しんくんと唯子のお友達」
 いぶかしげに、父は小鳥を見た。
 だが、そうしたのも僅かの間で、気にせずに「そうか」とだけ付け加えた。
 ごごご。
 ぐらぐらぐら。
 ……ぃぃぃ。
「お? 大きいなあ」
「今、お父さん何か言った?」
「いや、大きいなあとしか言ってないが、どうかしたか?」
「ううん。何でもない」
 気のせいだったのかな、何か聞こえたような気がしたんだけど。
 良く聞き取れなかったのがなんだかとても歯がゆかった。
 説明の出来ない不安が小鳥の胸を大きく揺らした。
 
 
 ごごごご。
 突然のゆれに、天然の洞の天井が僅かに崩れてさくらの側に落下する。
「きゃっ」
「大丈夫、簡単に崩れたりはしないから」
 さくらは冷静な自分の妹に、探る視線を向けた。
「どうして私を助けたの?」
「……死んだら困るから。姉さんが死んだら、私だって死んでしまう」
 そんなはず、あるわけない。
 もしそうだったら蘇ってくる吸血鬼なんていないから。
 あくまで二つであるうちは片方が滅びても、もう一つで生き返れるのだ。
 それなら、もう一方である自分が死んでも目の前の『さくら』にはなんのデメリットも無い。
 それどころか、また自分の内に封じられる事が無い分、メリットがあるくらいだ。
「珠をどこへやったの?」
「私が、肌身離さず持ってる」
「完全に遊やゼオの言いなりになっているわけじゃないのね。だったら、止めましょう。わかるでしょう? 私なんだから」
 ぐらぐらぐら。
「また……近づいてる」
「お願い、聞き入れて」
「ごめんね姉さん。殺す気はないわ。だからここでじっとしていて。もうすぐ終わるから」
「何が、何が終わるの?」
「呪いがその姿を現す。ここには何があるか知ってるでしょ?」
 さくらは最初何のことだかわからなかった。
 だが、不意に頭の中に湧きあがるイメージがあった。
 殺生石……いや、『ちびきのいし』
「ちびきのいし?」
「そう、もうすぐ、大地の竜が目覚めて太古の神が封じたその扉を吹き飛ばす。どうなるとおもう?」
「冥界と現界がつながる……」
 戦慄しつつさくらが答える。
「それから、地の竜は富士の火口を通って天まで駆け上る。そして地球を覆い尽くす」
「日は遮られ暗黒の時代が訪れる」
 再び妹の後を取ってさくらが言った。
『さくら』はこくりと肯く。
「駄目、そんなの。そんな事……うっ」
「無茶をしないで、姉さんは弱ってるんだから」
 押さえつけようとする『さくら』をさくらはさらに押しのけようとするがどうにもならなかった。
「みんな滅んでしまう。何の関係も無い人達、幸せに暮らしている人達。苦労してでも希望を捨てないでいる人達、みんな滅んでしまう……」
 さくらはどうにもならない自分に思わず涙を流す。
「…………」
「それに、先輩も、先輩も死んじゃう!」
 押さえつけている『さくら』の体がびくりと震えた。
 ……?
「先輩……あなたも好きなの?」
「当たり前、私はあなたと同じ時を生きて来たんだから」
「じゃあ、お願い先輩をそんな目に合わせないで」
「…………でも、たとえ先輩がさくらを愛してくれても、愛されるのは、私じゃないんだ」
 喉の奥から絞り出された辛すぎる想いにさくらは何も言えなくなってしまう。
「でも、間違ってる」
 だいぶ時間が経った後、出て行こうとしている『さくら』に向かってさくらは言った。
 洞の入り口に取り付けられた鉄製の扉が重い音を立てて閉まった。
 部屋は重苦しい静寂に包まれた。
 

第35話 すれ違う想い

 
「なに? これは」
 弓華は思わず自国の言葉でそううめいた。
 死体だ。
 弓華ですら、見たことの無い数の死体。
 それに、徹底的に違う事が一つ。
 動いている死体だ。
 思わず嘔吐感を押さえて手を口に持っていく。
 がさっ。
 茂みが、弓華の動きに音を立てた。
「しまった」
 どこを見ているのかわからない、そんな瞳がいっせいに弓華に向けられる。
 
 長い苦痛に満ちた時が流れ、ようやくすべての死体は動きを止めた。
「あ、くっ。う、はあはあ」
 報い……か?
 これが私のこれまでの報い?
 あんまりだとは思えなかった。ただ、そう考えると先ほどよりも激しい嘔吐感が襲って来て、地面にしゃがみこむ。
 長い自己嫌悪と嘔吐感に弓華の気が遠くなる。
 心がくじけそうになって、それでも立ち上がる弓華。
 累々たる屍の山。
 猛烈な臭気があたりに立ち込めている。
 弓華は目をそらして再び歩きはじめた。
 思考が麻痺している。
 何故こんな所にいたのか、自分が何をしているのか起きているのか夢を見ているのかすべてが止まっていく。
 自分の中に残された最後に近い部分で、弓華は自分が狂い掛けている事を認識した。
 
 
 黄昏の公園で、お好み焼き屋からの帰り、唯子が突然に真一郎に話し掛けた。
「真一郎、大事なお話があるんだ」
 真一郎はかつて無いぐらいまじめな幼なじみの姿に、面食らう。
「どうしたんだよ唯子。新しいギャグかなんかか?」
「唯子はまじめだよ! お願いだからちゃんと聞いて」
「あ、ああわかった。なんだよ大事な話ってのは」
「ねえ、真一郎。唯子と真一郎は親友だよね」
 自分で言ってすこし胸が痛くなる唯子だったが、今はそれどころではない。
「ああ、親友かそうでないかといえば親友だろ。当たり前じゃないか」
「親友はさ、馴れ合ってるだけの関係じゃないよね」
「何が言いたいんだ?」
「たとえばさ、うー、うーと。真一郎が悪い事してたら注意するのは親友だよね?」
 唯子はしきりに手を握ったり開いたりして真一郎に話し掛けるが、内容は全然まとまらなかった。
「なんか、短絡してて話がおかしいが、唯子の言ってる意味は分かった」
 真一郎がようやくまじめな顔で唯子に答える。
「つまり、見て見ぬふりをしていいのかどうか聞きたいんだな?」
 こくりと肯く唯子。
「ところで、俺がなんかしたのか?」
 ぷるぷる。
「ううん、真一郎じゃないよ」
「じゃあ、唯子と他の友達の話なんだな?」
 唯子の顔が、傍目にも苦しそうに変わる。
「うん、どうしても見てるだけではいちゃいけないと思う。とっても大切な事で……でも言ったら唯子は嫌われてしまうかもしれない」
 真一郎に話し掛ける唯子は痛いほどまっすぐな瞳をしていた。
「でも! 嫌われても言ってあげるのが、親友だよね。もう、二度と小鳥としゃべれなくなっても」
 つい口を滑らしてしまった唯子と驚いて目を丸くする真一郎。
 長すぎる沈黙が辺りを包む。
「……小鳥なのか?」
「…………うん」
 おののくように答えた唯子に真一郎は戸惑いを隠せない。
 ふと、厳しく、だからこそ優しい後輩の少女の事を思い出す。
『悩んでいる時には、すでに自分で答えは決めているものです。信じたままに行動すれば良いんです』
 こんな風に言うだろうかと真一郎は夢想する。
 だけど、真一郎にとっては、これはもう自分の悩みと同じ意味合いを持っていた。
「唯子は……言うべきだと思ってるんだな」
「う……うん」
「俺は、どんなことなのかは聞かない事にする。ただ、正直俺は小鳥と唯子には仲良くしていて欲しい」
 唯子が、悲しそうにでもどこかほっとしたような一瞬の変化を見せる。
「でも、唯子が正しいと思わない事をして続くのは、やっぱり友情じゃないと思う。それだけ覚悟してるなら絶対言った方が良い」
「ありがとう真一郎」
 唯子は笑う。
 唯子の笑顔はこれまで何度も見た真一郎だが、これはめったに見られない笑顔かもしれなかった。
 真一郎は、なんとなくこの笑顔を見られる自分がとても誇り高く思えるのだった。
 
 その笑顔を、もう一人の人物が見ていた。
 しんくんと、唯子……?
 こんな所で二人で……。
 車の窓からの一瞬の風景。それでも、二人の表情は見なれている小鳥には良く分かった。
 唯子、とっても嬉しそうだった。
 そっか、そうだったんだ。なーんだ。
 なんだか急に、胸の中が軽くなったような気分だった。
 でも、それは肩の荷を降ろしたようなというよりは、空虚な喪失感のようだった。
「どうしたんだ、小鳥」
「うん? 何でもないよ。何でもない」
「ちょっと……目に、ごみが、入った……だけだよ」
 小鳥は胸の中で『唯子、良かったね。唯子、良かったね』と繰り返していた。
 
「もう一つだけ、お願いするね」
「なんでも言ってみろよ」
「うん、あのね。唯子が小鳥と話さなくなっても、真一郎は小鳥を大事にしてあげてね」
「なに馬鹿言ってるんだ」
「そんな風にはさせないよ、絶対仲直りさせてやるから」
「ううん。言う前に真一郎がそう約束してくんないと、唯子安心して小鳥に何も言えないよ」
「……そんなの、当たり前じゃないか」
「良かった」
「唯子だって、大事にするぞ」
「真一郎…………やだにゃあ。照れるよう」
「馬鹿、茶化すな」
 唯子は急に真剣に表情を変える。柔らかい、すべてを許すような微笑みだ。
「唯子は今の言葉だけで、じゅーぶん。真一郎、唯子は強いから気にしないでいいよ」
 そして、その後の真一郎の言葉を聞かないように唯子は走り去っていった。
「唯子……小鳥……」
 つぶやく真一郎の一番側で七瀬は言葉も無く、ただ切なそうに、真一郎の髪の毛を撫でていた。
 
 
「へっへーんだ。これで大輔さんと同じ数だよ」
「っ何ーっ」
 大輔がやっきになる。
「あーん、魚取ってよ」
「馬鹿者自分で取れ!」
「あ、ずるーい。負けそうになったもんだから急にそんな事言ってえ」
「待て、静かにしろ!」
 ぴたりとななかが動きを止める。
 がさがさ。
「きゃっ」
 突然現れた薮からの侵入者にななかが悲鳴を上げる。
「なんだ? 弓華? 弓華じゃないか」
「え、大輔……?」
 うつろな目をして血染めの忍刀を持った弓華に、大輔は驚きもせず即座に近寄って支える。
 がくりと崩れるきゃしゃな肢体。
 安心したのか気を失った弓華を見ながら、大輔はどうしたものかとななかを見る。
「早く運びましょうよ」
 何故、大輔が自分を見たのかわからないななかは大輔を急かした。
「そうだな」
 二人はとるものもとりあえず、宿へ向かって歩き出した。
「火影……」
 口にする事さえ脅えているような、そんな震えた口調で弓華が大輔の背中でつぶやいた。
 

第36話 メッセージ

 
 とぅるるるるる。
 とぅるるるるる。
 また、電話だ。なんだか、今日は多いな。
「はい、もしもし野々村ですけど……」
「あ、小鳥?」
「唯子……」
「どうしたの、変な声出して。風邪でもひいた?」
「何でも無いよ。それより何?」
「うん……小鳥明日のチョコ用意した?」
「しんくんに上げるやつ?」
 ちくんと胸を刺す、本命チョコの存在。
 唯子に悪気は無いんだ。……私は大丈夫だよね。二人を祝ってあげられるよね。
「うん。小鳥、しんいちろの事好きでしょ?」
「え?」
「前に言ってたじゃない。しんいちろの事好きだって」
 どうして?
 唯子どうして、そんな事言うの?
「む、昔の話だよ。今は別に、なんとも……」
「嘘ついてもわかるもん。小鳥、しんいちろの事今でも好きなの見ればわかるよ」
「そ、そんな事……」
「小鳥……明日、告白しようよ」
「な、何言ってるの唯子」
「もう、あの時の約束はいいから。さんかくかんけーにはならないからさ」
「私、そんな事出来ないよ」
 入り込めるわけないじゃない。どうして……?
 それとも……なんだかわからないよ。
「唯子、唯子はどうなの?」
「気にしなくていいよ、唯子のことは。だから、絶対に告白するんだよ。小鳥」
「気にしないわけには行かないよ。唯子が……唯子のこと裏切ってしんくんに告白したりなんて出来ないよ」
「……じゃあ、唯子が告白したら小鳥もする?」
「え?」
「約束だよ、小鳥。明日、しんいちろに告白しないと駄目だぞ……」
「じゃあ、明日、また会おうね」
「唯子ってば!」
 つー・つー・つー。
 唯子。私にどうして欲しいの?
 唯子はしんくんと付き合っているんじゃないの?
 それなのに、どうして?
「全然、わかんないよ。唯子」
 でも……。
 小鳥は顔を上げて、セーターを見る。
「告白、してみる?」
 しんくんにきっちり振られでもしないと、きっと諦められないから。
 唯子が付き合ってるなら、ううん付き合うならそれでもいいから。
 しんくんが、唯子が幸せになってくれるなら、私も幸せだから。
 
「これで、良いよね。真一郎は、きっと小鳥の事好きだしこれで全部上手く行くよね」
 ぽろぽろ。
「あ、あれ。どーして涙なんか出るのかな。唯子、悲しい事なんか無いんだぞ」
 いくら、自分にそういっても涙が止まらない。
「真一郎、間違ってないって言ってくれたもん……」
「泣いちゃ駄目だって馬鹿唯子」
「……でも、ちょっとだけ、唯子弱くてもいい?」
「良いよねしんいちろ」
 
 
 さすがに、重厚感のある建物だと瞳は感心していづみの家を眺めていた。
「相川に会えなかったのは残念ですね」
「そうね、そうでなければ、彼女の事が分かってもう少し捜索の範囲を狭められたんですけどね」
「もちろん、相川がそこまで知っていればですが」
「しかし、わざわざこちらに泊めてくれるなんて、迷惑をかけてませんか?」
「追い出したのは兄達ですが、火影兄様と弓華の事みんな気にとめているんです。だから、これぐらいのことは」
 追い出した、ね。
 どうやら、その弓華って言う人はまっとうな人じゃないみたいね。
 いろいろ複雑な事情があるみたいだし、聞かないで置いた方が無難みたいね。
「どうかしましたか? 千堂先輩」
「ううん、なんでもな……」
 いづみにも感じられたみたいだった。
 ごごごごごごご。
 ……ぃぃぃ。
「やっぱり」
「御剣さん何がやっぱり何ですか?」
「いえ、さっきから地震が起こるたびに何か聞こえるような気がして。最初は気のせいだと思ったんですが」
「御剣さんも感じていたのね。私も聞こえたわ」
「でも、義姉様達は何も聞こえないって」
「私は、ちょっと気づいた事があるのよ」
 瞳が声のトーンを落とす。
「地震が起きると、決まってこの珠が共鳴するのよ。ほんの僅かだから、気づかなくても不思議はないけど」
「本当だ」
「多分ね、この珠を持っている人達だけがそれを聞いているんじゃないかしら」
「そうですね、この胸に訴えかけてくるような……何でしょうね、これは」
「何かの声のようにも感じられるけど」
「ああ、なんだかもどかしい」
 聞こえそうで聞こえない、苛立つ感触にいづみが思わず声を大きくする。
「大切なヒントがあるかもしれないわ。こういった事には」
「それはどうだかわかりませんけど。どうしてそう思うんですか」
「いえ、ね。この間読んだ少女漫画にこんな内容のが……」
 思いっきり恥ずかしそうに瞳は頬を染めた。
「はあ」
 いづみは何と答えていいものか言葉を失ってしまった。
「こほん。でも、もしそうだとしたら珠を持っている人を集めるのは思ったより上手く行くかもしれないわ」
 その言葉にいづみはぱっと顔を輝かせる。
「そうか、地震の時に何かを聞き取る人を調べれば」
「まあ、もちろんそれだって大変には違いないけど。案外私は他の6人も近くにいるんじゃないかと思うのよ」
「それはどうしてですか?」
 いづみがまたあんな事を言われるのではと構えているので瞳は少しおかしくなった。
「これは、御剣さんの話を聞く限り、何らかの呪いに対抗するために生まれたのでしょう?」
 いづみは肯く。
「それなら、いずれ呪いを解く為に集まろうとしているはず。そして、その珠の持ち主が吸血鬼と出会った……これは単なる偶然じゃない」
 厳しい表情で瞳は続ける。
「きっともうすぐ何かが起こるのよ。呪いと珠の両方が一点に集約しようとしているからこそ今回の出来事は起こったんだと思うの」
 瞳の脳裏には年老いた大賀の姿が浮かぶ。
 大賀さんは何の関係も無いのにね。
「もちろんこれは私の想像でしかないけど、この珠の力を信じるんだったら不思議ではないと思うわ」
「なるほど。なんとなくわかりました。とすると、もしかしたら相川が持っている可能性もあるという事ですか」
 いづみが不安そうに聞く。
「それは極論だけど、あるかもしれないわね。確かめてみる?」
 対して瞳は何かを思案しつつ答えを返す。
「いえ、相川と唯子と野々村は明日ここに来る事になってますから。その時でもいいでしょう」
「あら、そう」
「とりあえず今日は疲れをとるとしましょう」
「そうね。弓華さんと火影さん無事でいるといいわね」
 言ってから瞳はしまったと思う。少なくとも火影は無事とは言い難いのだから。
「絶対無事ですよ」
 だけどいづみの答えにはくもり一つ無かった。
 
 
 がちゃっがちゃ。
「だめか、やっぱり」
 何とか開かないものかと鉄の扉と取り組んでいたが、今の体力ではこれか木の扉であったとしても壊せなかっただろう。
「ふう……早く[仁]の珠の持ち主を探さないといけないのに……」
 ごごごご……。
 ぃぃぃぃぃ。
「この声、この声が聞ければ地の竜を鎮める方法が分かるのに……」
 さくらはずるずると扉にもたれかかる。
「今は、体力を回復させなくちゃ……」
「ひっひっひ。そうは行かないよ」
 急にかけられた声にさくらはびっくりして辺りを見回す。
 反対側の壁から二本の腕がにょっきりと突き出ていた。そしてそれはどんどんとさくらのいる部屋に侵入しようとしていた。
 しまった。引き寄せちゃったか。
 扉を壊そうとした音が聞こえてしまったに違いない。
 どうしよう、この体じゃ……。
「くくくっ。おや、反抗しないのかい?つまらないねえ」
 そう言ったのはもう完全にこちら側に壁を抜けてきた老婆だった。
 典型的な魔女の服装だ。
「ゼオの配下……って所?」
「私の名はシフィドル。120年も前にあの方に吸血鬼にしてもらったんだよ。あの方が封印されてからここまでずいぶん長かったね」
「まさか……あなたが遊に?」
「くっくっくっ。私じゃあ『ちびきのいし』にかけられた結界の中に入れないからねえ。せいぜい利用させてもらったよ」
 遊の馬鹿!
 こんなのに躍らされて。
「ふっふっふ。それにしてもさくらが姉を助けているとはねえ」
「私だもの。あの子だって本当はこんなの良い事じゃないって絶対気付く」
「ほう、そうかい。それだったらあの子も殺さないといけないねえ」
 けらけらと燗にさわる笑い声だった。
「あなたなんかにやられない」
「それはどうかねえ。遊にお前の中からあの子を取り出す手伝いをしたのは私だからねえ」
 思わずぎりっとさくらは歯を噛み締めた。
 体が無事だったらただじゃおかないのに……。
「まあ、どっちにしてもお前には死んでもらわなくちゃねえ」
 いやだっ。こんなの絶対いやだ。
 諦めるもんか。絶対、諦めない。
 シフはにやにや笑いながら近づいてくる。
 さくらは一瞬のそのために力をためて待ち受ける。
「死にな」
 死神の微笑を貼り付けてシフはさくらの首に手を伸ばす。あまりにそれは無防備だった。
「はっ」
 さくらは、突進してシフを弾き飛ばそうとした。
 どんっ。
 だが、さくらは何が起こったのかわからないまま扉に叩き付けられて血を吐いた。
「う、く。げふっ」
 にやりと笑っているシフが目に入る。
 呪法で壁をはっていたに違いない。
 さくらはそのまま動けなくなる。睨み付けるだけしか出来なかった。
 もう駄目。
 さくらは首に巻き付くひんやりした指の感触に目をつぶる。
 悔しい。
 ああ、先輩に告白しないまま死にたくない。
 大好きだって言いたかった。
 ぐっと力が込められる。
 先輩!
 ぶしゃっ。
 変な音を立てて何かがさくらの上に降ってきた。それと同時に首を絞めていた手がほどけていく。
 驚いてさくらが目を開けると、鉄の扉を貫いて刀がシフの心臓に突き立っていた。
 扉が開き、さくらの体を男が抱き上げた。
 シフは苦悶の声を上げたかと思うと地面に溶け込んで行った。
 逃げたかな?
 今ので死んでるといいけど。
「あなたは?」
 さくらは自分を抱きかかえた男に尋ねる。
「御剣火影」
 男は静かに名乗った。
 

第37話 想い込めて

 
 深夜の相川家。
「唯子……小鳥……ろよ」
 すでに、眠りに付いた真一郎だが、それは浅く苦しそうな物だった。
「今日は夢に入ってなんかいけそうに、無いな」
 寂しそうに七瀬が真一郎の横に寝ている。
 真一郎がゆっくり穏やかに眠ってくれるよう、ずっと寄り添っていた。
「!」
 何かが、近づいてきた?
 ひたっひたっひたっ。
「外の道路に、なんだかまがまがしいものがいる」
 七瀬の表情が厳しく一点を見詰める。
「見に行ってこようかな……」
 出て行こうとして、七瀬は真一郎に触れられないキスをする。
「少しいなくなるけど、絶対戻ってくるから寂しがらないで」
 
「馬鹿な子だね。さくらも。くっくっくっ。人間の男に心を奪われてるとはね」
 杖を持った老婆が夜道を歩いていた。
 シフだ。
「しかし、さっきは痛かったねえ。もう少しで死ぬかと思ったじゃないか」
 そう言って胸の辺りをさする。
「この仕返しは、どうしてくれようか。ひっひっひっ、好きな男を目の前で殺してやろうか。それとも、ひっひっひっ、笑いが止まらないねえ」
 さくらの首を絞めた時に思っていた事を読み取ったのだ。シフは人が死ぬ瞬間の絶望を味わうのが大好きだったから。
「下品な笑い声はその辺りにしといてくれる?」
 宙に浮かんだまま、七瀬がシフに声をかけた。
「なんだい、幽霊風情が。私を誰だと思ってるんだい?」
「ただのばばあ」
「ば、ばばあ……。なんて口の悪い幽霊だい。あんまり口が過ぎると消しちまうよ」
「ちょっとその前に聞いておきたいんだけどさ。さくらって言ったよね。それってピンクの髪の毛してて、ヘアバンドしてる子?」
「あんたさくらの知り合いかい?」
「ふーん、てことはさくら生きてたんだ。ライバル減ったかと思ったのに。ちぇっ」
 そんな事を言ってはみたものの、七瀬は鼻声になっていた。
「とりあえず邪魔物みたいだね」
 無視されたシフが怒りの形相で、杖を振るった。
 七瀬はひょいと空に飛んで逃げる。
「そいつは私の方の台詞かな。さくらの好きな人ったら真一郎しかいないもんね」
 七瀬はばしっと指をシフに突きつける。
「真一郎を殺そうなんてやつは、手加減しないよ」
「たかが幽霊のくせして大きな口を叩くんじゃないよ」
 にや。
「残念。ただの幽霊じゃないんだな。それに今私はすっごく機嫌悪いのよ」
 全く、真一郎とは触れあえないし、苦しんでるのに力にもなれやしない。
「ふん、それこそこちらの台詞さね」
 シフが振るった杖の先から紫電がほとばしる。
 七瀬はそれを避けようとしない。
 睨み付けるまま、平然とそれを受け止めた。
「何もんだい、あんたは」
「言ったでしょ、ただの幽霊じゃないって。下手すればさくらより私の方が強いんだからね」
 雰囲気が変わっていく。
 七瀬の周りを取り巻く『風』が次第に力を帯びはじめる。
「さくら。こっちは心配しなくていいよ」
 ざあっと言う音を立てて、力を視る事の出来る目には輝くばかりの『風』がシフに襲い掛かる。
「一体、なんだってこんなやつがいるんだい」
 それをかろうじて交わしながらシフがつぶやく。
「まだまだ」
 続けざまに、七瀬の『風』がシフに襲い掛かる。
「ひゃっ、ととと。こりゃいけないね」
 シフが跳躍する。
 屋根に着地したと見るや、するりと中に入り込む。
「あ、こら待て」
 真一郎の部屋に侵入を許してしまった七瀬は少し焦った。
 まさか、壁抜けされるとは思っていなかったから。
 続けて、中に入り込む。
 シフは、寝ている真一郎を見つけてすぐに標的だと悟ったようだ。
「なかなか紅顔の美少年じゃないか。さくらなんかにゃもったいないよ」
 杖を振り上げる。
 間に合って!
 間一髪七瀬が間に入り込む。
 再び、紫電がほとばしり、七瀬がそれを受け止める。
「もう、本気で許さない」
 七瀬がめったやたらに『風』を解き放った。
「ぎゃああっ。くうううっ」
 幾つかは外したものの、さすがに避けきれなかったかまともに胴体に何発も食らい込みシフが倒れ込む。
 それでも、シフはすぐににやりとした笑い顔を七瀬に向けると下へと溶け込んで行った。
「あいつ不死身?」
 一瞬、あまりの生命力に呆気に取られた七瀬だが、すぐに後を追う。
 下の部屋にはもうシフの姿はなかった。
 そしてシフが放っていた凶々しさは、どこにも感じられなくなっていた。
「逃げ足だけは速いなー。婆のくせに」
 ま、真一郎を守れてよかった。
 ほっと一息ついて、真一郎の寝室に戻る七瀬はまだ気づいていなかった。
 肉体の無い七瀬には感じられない、微妙な匂いを放つ粉末が真一郎の部屋の中にばらまかれて行った事に……。
 
 
 ごとごと。
「ん? 何の音?」
 瞳はかすかな物音に目を覚ました。
 気配に敏感なだけではなく、いつもと違う環境でなかなか眠りが深くならなかったのだろう。
 そっと、辺りを見回してみる。
 寝起きの上に近眼の瞳にはボーっとしか見えないが、どうやらいづみの姿が無い。
 本当は、瞳には客間が与えられたのだが、いづみともう少し詳しく話がしたかったので一緒の部屋に寝させてもらう事にしたのだ。
「どこに行ったのかしら」
 お手洗い? だったら気にする必要はないけど……。
 確かめてみなくちゃね。
 ふすまを開けて、廊下に歩み出る。
 ギイィィィッ。
 びっくりするほど、足音が立って瞳は心臓が止まりそうになった。
「そうだった。音がでないように訓練してるって行ってたわね」
 呼吸を落ち着けて歩法に気をつけて歩き出す。
 僅かにきしきし言うものの、なかなか上手に歩けているようだ。
「この匂い?」
 香ばしくて甘い匂いが、どこかから漂ってきた。
 なんだか瞳にはどういう事か気づいてしまったが、珍しく好奇心が押さえられなかった。
 案の定、台所にはいづみがいて、黒い固まりと悪戦苦闘していた。
「御剣さん?」
「え? 千堂先輩! わ、・ちゃあちゃちゃちゃ」
 驚いていづみが立ち上がった瞬間、火にかけていたそれに手を引っかけてしまう。
 がらんがらんがらん。
 黒いものを入れていたボウルが落ちて大きな音を立てた。
「ごめんなさい。大丈夫だった?」
 慌てて瞳も駆け寄る。
「あ、はい。大丈夫です」
「明日の為にチョコレートを作っていたの?」
「恥ずかしい所を見られちゃいましたね」
 照れて、いづみが落ちたボウルに目をやる。
 中身が、床に散乱している。
「本当にごめんなさい。せっかくの手作りだったんでしょう?」
 おろおろと瞳がいづみに頭を下げる。
「良いんです。今のはどうせ失敗だったから。それに、まだまだたくさん有りますし」
 そう言って、いづみは袋いっぱいのチョコレートの固まりを指し示して見せた。
 ほっと息をつく瞳。
「片づけぐらい手伝うわね」
「先輩にそんなことさせられませんよ」
「いいからさせておいて。私が悪いんだから」
 瞳が強く言ったのでいづみは仕方なく、瞳に片づけを手伝ってもらう。
「御剣さん。あのね、あつかましいお願いなんだけど聞いてもらえるかしら」
「何ですか?」
「実はね、チョコレート私にももらえないかしら」
「え?」
 いづみの脳裏にいづみと一緒に寝たいといった時の瞳の姿がフィードバックする。
「わ、私にはそういう趣味は……」
「ち、ちょっと何を勘違いしてるの? 私はただ、このチョコレートを分けてもらえないかなと思ったんですけど」
「そうだったんですか……良かった」
「ふう。ここの所なんだか同じような台詞を3度も聞いたわ」
 一度目は尾崎に、二度目は遊に、そして今度はいづみにである。
「私は至極普通のつもりなのに、どこかで私の悪い噂でも流れてるのかしら」
「そんな事は無いと思いますけど」
「ううん、いいのよ。ところでお願い聞いてもらえます?」
「ああ、もちろん良いですよ。さすがに全部は使わないですから」
「良かった」
 
 2人して、いづみと瞳は隣り合わせでチョコレートを作っていく。
「しかし、先輩がチョコレートを送るなんて思いもよりませんでした」
「どうして?」
「いや、こう言っては悪いんですが、男性に告白するより男性に告白させるタイプに見えるから」
「うふふ、これでもね。どうやら一途なタイプみたいですよ。私」
「しかし、先輩から、チョコを貰うやつは羨ましいですね。一体誰に上げるんですか?」
「そ、それは……」
「ぜひ聞いてみたいですね。先輩ほどの人にそこまで言わせる男って」
 瞳は真っ赤に照れながら、その名を口にする。
「実は、相川君……」
「ええっ! あい、相川ですか」
 いづみはまたボウルを引っかけて危うく落としそうになる。
 その様子を見て、瞳は直感する。
 御剣さんも?
「そうですか、相川か。でも、美男美女で良いカップルですね」
「ありがとう、でも私、御剣さんと相川君もお似合いのカップルだと思うわよ」
「え、私は……ばれました?」
「今の反応でね」
「はあ、まいったなあ。まさか千堂先輩まで相川の事好きだったなんて」
「ライバル多いわよね」
「私じゃ、ちょっと太刀打ち出来そうに無いな」
「そうかしら、さっき言ったお似合いのカップルって台詞嘘じゃないわよ」
「あはは、ただし男と女が逆ですけどね」
「それはひどすぎるんじゃないかしら?」
 言いながら瞳はくすくすと笑う。
「ひどいなあ、千堂先輩」
「あら、自分で言ったんでしょう。でも、私ライバルの人にチョコレートを分けてもらったんですね」
「そういう事になりますか。でも大事なのは、チョコレートに込められた想いですから。それは千堂先輩にも負けませんよ」
「あら、私だって、いっぱい詰め込んでますよ」
 二人は、互いに見詰め合うと吹き出した。
「良いライバルでありたいですね」
「こちらこそよろしくね。御剣さん」
 二人はがっちりと握手を交わした。
 

第38話 それぞれの朝

 
 日が山すそから昇るのを、男がじっと眺めていた。
「あれ以来、我を阻み続けてきた太陽よ。だが、そなたも明日には姿を消す。最後となると、不思議と感慨深いものよ」
 ちりちりと肌を焼く感覚を、遊の体の中でゼオは感じる。
「人の体を借りていてすら、私を傷つけるか」
 確かに所詮、体などまやかしにすぎない。
 ゼオにとっては、すでに自分の体は遥か昔に滅びて、この世には無い。
 御剣水羅という忍者と、自分の情を拒んで呪いにより獣となった娘に滅ぼされたのだ。
 だが、それだけだったら魔術を極めたゼオに生き返る術が無かったわけではない。
「ラインヘルめ……」
 苦々しくつぶやくゼオ。
 あの後、ラインヘルの手により彼の体は焼かれ、なおその灰を聖水に溶かして幾つかに分け川に流された。
 そして、魂魄はここ富士にあるちびきのいしに封じられたのだ。
 実に丁寧な封印だった。
 その上、ちびきのいしという格好の力を借りて、ゼオとの能力差をうめる事に成功している。
 そもそもあの戦いの最中、ラインヘルがゼオの力を押さえる事に全力を尽くしていなければ、いかに水羅と八房と言えど 彼を倒す事は叶わぬはずだった。
「だが、彼奴ももはやいない。ふふっこれで御剣の一族が滅びれば、私には敵がいなくなってしまうか……」
 そう笑うゼオはさして嬉しそうではない。
「敵がいてこその楽しみか。……まあ良い。いずれ、目の前に新たに現れようよ」
 太陽に背を向けて、ゼオは歩き去る。
 一陣の風が彼のすぐ後を追うように吹いて行った。
 
 
 まだ、日の明けていない山の裏で焚火に向かって『さくら』が座り込んでいた。
 炎がゆらと揺れたのに気づいて『さくら』が顔を上げる。
「火影……」
 火影は何も言わず、ただ、『さくら』の後ろに控えた。
「姉さんは?」
「寝所にお連れしました」
「そう……」
 火影の型通りの丁寧な口調に、思わず『さくら』の顔が歪んだ。
 再び両膝の間に顔を落とし込む『さくら』
 結局、私の拠り所にはなってくれない……こうして従ってくれても……それは心の伴わないただの人形。
 責めるのはお門違いだとわかっていても、『さくら』は火影に食って掛かりたくなる。
「もう少し何か言ったら?」
「…………」
「なんで黙ってるの?」
 最初から、わかってたはずなのに。
 沈黙が、傷心の『さくら』を更に痛めつける。
 結局、無間の監獄から出てきても本物でない『さくら』にはどこにも居場所が無いのだ。
「火影、私を抱きしめて」
 悲しい命令が口を衝いて出た。
 せめて、ぬくもりだけでも感じたかった。
 火影が命令にしたがって、後ろから『さくら』の体を抱きしめた。
「先輩……」
 回された腕に顔を埋めながら、『さくら』は一番愛されたい人の事を呼ぶ。
 悲しさがまとわりつくように、朝に向かって辺りはいっそう寒さを増して行った。
 
 
「う、ううっ。寒い……」
 ななかがあまりの寒さに目を覚ました。
 いつもは低血圧で寝覚めの悪いななかが一発で目が覚める。
 ベッドに寝た自分の周りにはほとんど毛布がかけられていなかった。
 すぐ横で大輔がななかの分まで布団を横取りしている。
「大輔さん、布団返してよ」
「……んん? しょうがねえなあ、すこしだけだぞ貸してやるのは」
 むかっ。
 ななかは大輔の応対に腹立って毛布をつかむと乱暴に取り上げる。
「えいっ」
 ごろっ、どすん。
 思い切りくるまっていた大輔は勢いあまって下に転げ落ちる。
「な、なんだあ?」
 大輔はなんで落ちたのかわからない様子で辺りを見回す。
「ううんなんだか重要な夢を見ていたような気がするんだが……」
 え? 夢見てたの? 
 じゃあさっきのもしかして寝言……あはは、しーらないっと。
「おい、ななか。お前だろ俺を蹴落としたのは。全く寝相悪いやつだな」
 どっちが。
「私じゃありませんよ、言いがかりはよしてください」
 む、と大輔の目が細められる。
「嘘、付いてるな?」
「え? そんな事ないですよ」
 愛想笑いを浮かべるも、大輔にはまったく通用しない。
「誤魔化してもわかるぞ。本当に嘘付けないやつだなお前は」
 どうしてわかるのかなあ。不思議なんだよなあ、大輔さんにはどうやってもばれちゃうんだよなあ。
「しっかし、さむさむさむさむぅ……。ほらななか、もっとこっちよれ」
 大輔は冷えた体をベッドに戻し、ななかに押し付けてくる。
「冷たいーっ。きゃあっ!」
 最後のきゃあっ! は大輔の手がななかの胸を触ったからだ。
「お前今更、照れる間柄じゃないだろう?」
「そういう問題じゃないよ。隣に弓華先輩寝てるんだよ」
 ななかは、今の騒ぎで起きなかったかと隣のベッドを覗き見る。
 弓華の眠りは時折悪夢に乱されてはいるようだが、安定しているようだった。
 昨日、あれから弓華をホテルに連れてきて医者を呼んでもらったのだが、医者が言うには過労らしいと言う事だった。
 しかし、弓華は血染めの忍刀を握ったまま離そうとしないので医者に見せる時には苦労した。
 まあ、弓華が目覚めればいろいろと聞く事が出来るだろうが、今はこうしてゆっくりと寝かせておくしかない。
「ばーか、俺だって偶然触れただけだよ。誰がこんな朝っぱらから、無い胸を触りたいかよ」
 なんでこの人は、こうやって一言多いんだろうなあ……。
 小さな拳を握り締めているななかを見やって大輔の方はこう考えていた。
 本当に可愛いやつだよなあ。
 これだけストレートに反応返してくれるやつもめったにいないぜ。
 嘘付いたりお願いがある時は途端にですます口調になったりしてな、わかりやすいったら無いぜ。
「ううーー」
 ななかはまだ不満そうに唸っていたが、その時には大輔はすでにまた寝入っていた。
 
 
 なんだか、あんまり眠れなかったな。
 寝不足のぽうっとした頭で唯子は考える。
 抱き枕の感触が、間に何か一枚挟まった感じで伝わってくる。
 それでも起き上がっていると、やけに寒い空気が唯子の体に染みとおってくる。
「いやな夢。いっぱい見てたような気がする……」
 大体知らないうちに頬に涙の跡が伝っている。
「顔洗ってこよ」
 起き上がって、もそもそと着替えはじめる唯子。
 今日はいづみちゃん家にお呼ばれしてるから、お気に入りの服着てかなきゃ。
 そこまで考えて、昨日真一郎とのデートにあの服は着て行ってしまったと気付く。
「なんだか、全然冴えないなあ。唯子、らしくないぞ」
 自分で言ってみてもなんだか白々しい。
 やっぱり気が重い……。
 小鳥に、言いたくない。
 でも、唯子は黙っていられない。
 机の上に乗った、小鳥宛ての手紙を手に取る。
 しばらくそれを眺めた後で、唯子はきりっと目を見開くと両手で頬に気合を入れる。
「よーっし。今日も元気な唯子!」
 思いっきり叩きすぎて頬がひりひりした。
「さあってと、朝御飯は何かなあー?」
 『痛み』に顔を顰めながら、唯子は殊更に明るくそう言って階下へと降りて行った。
 
 
 真一郎は、ぱちっと目を開いた。
 なんだか辺りがひどく眩しかった。
 視覚だけでなく、触覚でも嗅覚でも。
 すべての感覚がなんだか眩しいと言っていた。
「やけに、寒いんだな」
 そうか、この感覚は寒い、だっけ。眩しい、じゃないか。
「げげえっ氷点下じゃないか。うう、本当かよ」
 見れば、一昨日の雪の解け残りが再び凍り付いている。
 それにしても、寒い。
 いくらなんでも、−5度はないだろう。
 がばっと意を決して起きるとテーブルの上に置かれたリモコンを手に取る。
 ヴン、という音を立ててTVのスイッチが入る。
『寒気団が……これから明日のかけてますます寒さは厳しく……』
 丁度、天気予報がやっていた。
「うう、もう少し希望のある天気予報を言ってくれ」
 真一郎は我ながら意味のわからない情けない台詞を言うと毛布にくるまり直す。
 TVは付けっぱなしで、そこから更に地震速報へと移って行ったが真一郎は体を暖め直す事に夢中だった。
『……火山噴火の前触れではないかと……付近住民には……くれぐれも……』
「ちょっと、真一郎。寝ちゃ駄目よ」
 七瀬だけがそのニュースを見て顔を青ざめさせていた。
 
 
 廊下を歩いていた瞳は反対側から歩いてくるいづみに声をかけた。
「おはよう、御剣さん」
「おはようございます、千堂先輩」
 だいぶ眠そうな顔でいづみが瞳に挨拶を返す。
 対して瞳はさほど眠そうではない。
「あの後、どのぐらいまでやっていたの?」
 昨日、瞳はそれなりに早く満足行くものが出来たのだが、いづみはどうしても上手く行かずに、瞳が眠った後も頑張って作り続けたらしい。
「実は……一睡も」
「あら……」
 良く見ると、いづみの目ははれぼったいし、しぐさにも元気が無い。
「満足行くものは出来たの?」
「はあ、まあ何とか」
 いづみが苦労しただけの事はあるチョコレートを作り上げたのは、本当についさっきだった。
「そう、それじゃその話はとりあえず置いておいて、今日はこれからどうするの?」
「まず、相川たちが来るまでには、多少の時間がありますからそれまでは弓華を探したいと思ってます」
「また、手がかりも無しに延々探すしかないわけね」
 さすがに疲れた口調で瞳が言う。
「いえ、今日はそんな事にはならないと思います」
「あら、どうして?」
「さっき報告があって、どうやら弓華らしき人物がいる場所が分かったんですよ」
「え? 本当なの?」
「ええ、何でも血染めの忍刀を持った女の子を診た医者がいるんですが。どうもその話だとその女の子が弓華らしいんです」
「はあ、凄い情報力なのね」
「まあ、うちは忍者の家元ですから……」
 感心する瞳にいづみが苦笑する。
「それじゃ探す必要なんて無いのじゃない?」
「いえ、まだそうと決まったわけではないし、大体弓華を連れ戻すにはどちらにしろ火影兄様を探さなくてはなりませんからね」
「そうだったわね」
「でも、もし本物の弓華なら、もう兄様の居場所について何かつかんでいるかもしれない」
「そうだと良いわね」
「そうだ、私千堂先輩に御飯が出来たって呼びに来たんでした」
「あら、そうだったの」
「それじゃ、先に行っていてください」
「御剣さんは?」
「私はこのひどい顔を洗ってから行きます」
 いづみは自分の顔を指した後、庭に備えられた井戸に向かって歩き去って行った。
 瞳はそれを見送ってから言い渡された食堂に向かって歩きはじめた。
「大賀さん、必ず敵は討ちますから」
 少し小さく瞳は口の中でつぶやいた。
 

第39話 義

 
「ほうほう。なるほど」
 大輔がなんだかわかったのかわかっていないのか微妙な肯きを繰り返した。
「ちょっと大輔さん」
 真剣に見えない態度にななかが注意を促す。
「いいんです。大輔が信じられないのも無理ありません」
 少し、弓華も昨日に比べて落ち着いているようだ。
「いや、わかってるよ。弓華ちなみにそのゾンビに会った所ってどこだ?」
 弓華は、自分が何をしていたかは隠して、ここで動く死体に遭遇した事だけ話した。
 もちろん信憑性などある訳が無く、全くのごまかしと取られても仕方ない状況だった。
「え?」
 だから、少し大輔の言葉に驚いた。
「そこに案内してくれよ」
 ああ、そういうことてすか。
「良いですけど、本当に出てくるんですよ」
 弓華自身、二度とあんな所に行きたくはない。
 大輔が、何もないだろうと言いたい気持ちは分かるが、そのために大輔自身とその恋人まで危険にさらしたくは無かった。
「構わないよ、なあ、ななか」
 話を振られたななかは慌てて首を振る。
「全然構いますよ!」
「なんだ? せっかくゾンビが見れるんたぞ」
「見たくないです」
 ななかの反論に会って面白くなさそうな大輔。
「だがよ、いづみの兄ちゃん。探してんだろ?」
 大輔が言った一言に、弓華は手にした忍刀を強く握り締める。
「そうです。でもそこにはいませんでした」
「違うな。そんなものが出て来たってのは何か怪しいものがある証拠さ。俺はそこに行く価値ありだと思うぜ}
 どうやら、大輔は伊達や酔狂ではなく、本気で弓華の言う事を信じてくれたらしい。
 弓華は、何だか胸が熱くなってくる。
「ななか、良いだろ? 人助けなんだ」
「うう。本当に興味本位で言ってるんじゃなくて、ですか?」
 ななかは、訴えかけた大輔の瞳を見た瞬間彼は本気で信じてるとわかっていた。
 ただ、その楽しむような瞳が怖かった。
 その状況に大輔は興味を覚えているのだ。
 それも、『なんだか暴れられそう』みたいな漠然とした好奇心で。
「なに馬鹿言ってんだ。それともお前はこんなに困ってる人を見捨てておけるのか?」
「大輔、良いんです。私は一人で行きます。ななかさんに迷惑かけられませんし」
「わかりました。わかりました。私も行きます!」
 ななかは、弓華の言葉を聞いて、大輔に丸め込まれたのがちょっと癪だったが、行く事を承知する。
「でも、本当に危ないです。二人とも来ない方が」
 ただ、嬉しかったからこそ弓華は余計に二人に付いてきて欲しくは無かった。
「そう言うわけには行かないだろ。大体、昨日倒れたばっかりなんだぞ弓華は。本当は場所が分かるんだったら俺達だけで行ってくるぜ」
「そうですよ。体は大事にしませんと」
 ななかも弓華の体を心配する。
 しかし、さっきから本当に心配なのは大輔のほうだ。
 なんだかまじめすぎて、ひどく怖い。
 冗談じゃなくて、大輔がまじめになってる時は大概喧嘩の前の事が多い。
 彼女としては大輔に怪我をして欲しくはないし、出来るだけ控えて欲しい。
 だけど、そういう刺激をなくしたら大輔が大輔でなくなってしまうのもまた事実だったから、ななかはそれを黙認していた。
 今も、大輔のまわりには危険な雰囲気が付きまとっている。
「大丈夫です。私は。その場所は森の中だから、案内しないと、行けないです」
「わかった、準備は整ってるからな。弓華が良いんだったら早速行こうぜ」
 起きて、服着替えただけじゃ無かったっけ?
「何か用意したんですか?」
「何もしてねえよ。だって要らねえもん」
 ななかの予想した通りの答えが返ってきた。
 はあ、どうなっちゃうんだろ?
 ななかは暗澹とした気分で溜め息を吐いた。
 
 
「これで、用意は出来たよね」
 小鳥は、自分用の小さなバッグに細々したものを詰め込んで時計を見る。
 待ち合わせにはまだまだ、時間がある。
 チョコレートはバックに詰めたし……。
 でも、本当に唯子どうしたんだろう。
 唯子に限ってからかってるなんて無いだろうし。
 小鳥は昨日いったんは告白しようと思ったものの、朝になると早々に怖くなってしまっていた。
 

第40話 疑惑

 
 ぽつんと、待ち合わせの銅像の下に小鳥が存在していた。
「あ、真くん、唯子。おはよう」
 真一郎が声をかける前に小鳥のほうが気づいて挨拶をしてくる。
「お、早いなあ、小鳥」
「あ、小鳥。おめでとうー」
 にっこり笑う唯子に、くもりは見えない。
 真一郎は少しほっとする。
 家を出てすぐに、唯子にあったのだが、唯子の様子はなんだかはしゃぎ過ぎだった。
 それに、やけに昔の事を話題にするのも気にかかった事だ。
「おお、昨日会ってないもんな。小鳥、誕生日おめでとう」
「えへっ。ありがとう二人とも」
 え……?
 なんだか、今度は小鳥に違和感を感じる。
 凄く不吉な感じだ……。
 唯子をちょいと引っ張って、頭を下げさせた。
「あにゃ、何すんの。いたいよ」
「馬鹿。いいからちょっと……なあ、昨日言ってた事もう小鳥に言ったのか?」
 唯子が真一郎に困った顔をしてから、笑う。
「あはは、まだ……今日中にはするよ。そうしないと間に合わなくなっちゃうかもしれないから」
「そうか、なんだか、小鳥の様子がおかしかったから」
 ちらと、真一郎が見ると小鳥は「何?」と首を傾げて見せる。
 やっぱり、変だぞ。
「なんか知らないか?」
「え、唯子は……しらないよー」
 目を逸らしやがった、こいつ。
 真一郎がぐりぐりの準備をしている時、唯子は小鳥が緊張してるのだろうと見当を付ける。
 ぐりぐりぐり。
「はにゃにゃにゃ。痛い痛いってばしんいちろ」
「ええい、何を隠している。話せ」
 小声で唯子に威しをかける。
「ふふふっ。二人とも凄い仲良いよね」
 小鳥の台詞に、真一郎も唯子も動きが止まってしまった。
「さ、御剣さん待たせると可哀相だよ。早く行こう?」
「あ、ああ」
「うん」
 ここに至って初めて、唯子は小鳥の様子がただ緊張しているようなものでない事に気付いた。
 なんだか、小鳥、怖い。
 唯子の胸がぎゅっと縮む。
 その青ざめた唯子を見て、真一郎は確信する。
 唯子のやつまた余計な事して話をややこしくしたな。
 とんでもない事にならなきゃいいけど。
 
 ぜえんぶ、知ってる私は、どうしたら良いのよ。
 七瀬は暗い顔で3人を見ている。
 真一郎と一緒に来て、唯子と小鳥に触れた瞬間、『わかって』しまったのだ。
 こんな力、前はなかったのに。
 その代わり今は現実に干渉できないが。
 真一郎を守る為だけに今の七瀬はいるから。
 この事に関しては、この3人で決着を付けなくてはならない事だから。
「もう、この二人はなんでこんなに馬鹿なのよ。互いに想い合ってて、どうしてそのことに気が付かないわけよ」
 むすっとして、自分の痛む胸を誤魔化す七瀬。
「こんなんじゃ、真一郎が悲しむでしょう? そしたら、私、怒っちゃうからね」
 慰める事も出来ない。気づいてもらう事も無い。思いっきり罵倒する事どころか、目を背ける事すら今の七瀬には許されない。
 傍観者って、辛いなあ……。
 
 
「遅い! 何戸惑ってたんだよ」
「ひどいなあ。女の子にはいろいろ準備があるの」
 ななかが膨れる。
「それでは行きましょうか」
 微笑ましく二人を見つめて弓華が言う。
「ん、少し待ってくれ」
「大輔さん? 人に遅いって言っておきながら何でそういう事言うかなあ」
「お前と違って、ちゃんとした理由があるんだよ」
 私のは理由が無いの?
 怒ろうとしたななかだが、大輔がすたすたと歩いて行ってしまうのでタイミングを逃してしまう。
「あんた」
 そう言って大輔が富士を写真に撮っている妙齢の女性に声をかけた。
「な?」
 ナンパ?
 頭の中が真っ白になる。
「何ですか?」
「御剣の所の人だろ?」
「大輔さん! ミツルギ? ……ええっ?」
 声には出していなかったが、弓華は驚いて逃げ出そうとする。
「待ってな弓華」
 追おうとして、正体を見せた女性の腕をつかんで大輔が弓華を引き止める。
「でも……」
 大体なんで、大輔が自分が追われている事を知っているのだろう?
 弓華の言葉に答えるように、大輔は茶目っ気たっぷりに笑った。
「夢で御告げがあったのさ。ところで、あんたに頼みがあるんだ」
 大輔が、押さえている手と反対の手で懐から一枚の紙切れを取り出す。
「こいつを、桜そっ……じゃなくていづみに渡して『八房』で切り裂くように伝えて欲しいんだ」
 びっくりして見つめるその女性に無理矢理大輔は紙を渡す。
 紙には何やら難しい記号が羅列されていて、怪しい雰囲気が漂っている。
「あなたは一体?」
「俺か? 俺は端島大輔。一応ただの高校生だぜ」
 なんだか、女性が頬を染めている。
 むかむか。
「大輔さん。用事は良いよね。さっさと行こう」
「あ、そうだなそうしよう」
 女性の手をようやく放し、大輔が戻ってくる。
「あんたも来るんだろ?」
「……はい。お供させていただきます」
 女性は仲間らしき人物に紙を渡して後を頼んだようだ。
「大輔」
 弓華が厳しい目を向ける。
「どうせ、付いてくるんだ。こっちの動きを制限しないんならどっちだって同じだろ?」
「そうですね」
 弓華は、頬を緩めて大輔の行動を許してやる。
 ただ、ななかはなんだか納得行かないし、大輔がまるで別人の様なので戸惑っていた。
 
 
「なに? 端島が?」
 その紙を受け取ったいづみは混乱した頭で考える。
「あいつ、一体?」
 いくら考えても答えは出ない。
 それより、朝から思っていた事だが、ずいぶんと人を割いているなといづみは思う。
 弓華を追い出した割には、その弓華に監視を付けていながら自由にさせているし。
 いづみは自分がやっぱり信用されていないのかと思ったが打ち消した。
 これは、もっと難事件だから、できる限りの事をフォローしているんだろう。
 もしかすると、兄様達も動いているかもしれない。
「それじゃ、弓華達の動きはつかんでいるんだね」
「はい、靜花が行動を共にしています」
 いづみに対して礼を尽くす家人達。いづみも、いつもとは違う言葉づかいを『強要』させられている。
 命令を言い渡されたのはあくまでいづみであり、表面上いづみは作戦の指揮官という事になる。
 だが、実際には何一つ命令していないのに彼らは動いていたのだから、それは建前に過ぎない。
 それでも、それは重要な事らしかった。
「どうします?」
「そうですね。早く合流したい所ですが、相川達が来ますから」
 それまで黙っていた瞳の質問にいづみは少し考えてから口にする。
 公私混同、では一応無い。
 もともと、真一郎を招待して感謝のしるしを示す事は御剣の家の公式な予定だ。
 いづみはそちらの主催者でも在るのだから、緊急事態ではあるもののとりあえず火影にも弓華にも無事は確認されている。
 正確には火影を無事とは言えないかもしれないが。
 その状況では、真一郎たちをむげに追い返すわけにも行かないのだ。
「千堂先輩の推測を試してみたいですしね」
「大丈夫な気がするわ。結構私って勘は良いのよ」
 瞳は笑ってそう言った後、外に目を向ける。
 霜が庭全体を覆って、まるで雪景色のように美しい。
「ただ私は、ちょっと出てきていいかしら。昼ごろには戻るから」
 いづみは出て行くといった瞳に少し感嘆してしまう。
 今日は少し、寒いなんてものじゃなかった。
 日が昇って少し経つのに、温度はますます下がってきているようだった。
「どうしても、じっとしていられないのよ」
 すまなそうに言う。
「いえ、きっと私の方がおかしいんです。兄と弓華までが巻き込まれているのに……」
「やっぱり御剣さんはもう少し自分に自信を持った方が良いんじゃないかしら」
「え?」
「私は、何も出来るわけじゃないのよ。ただ、自分の気持ちが押さえられなくて出かけてみるだけ」
 くすりと、瞳はすこし自分に向けて笑う。
「いづみさん……こう呼ばせてもらって言いわよね。いづみさんだって心苦しくそう思っているのでしょう? 耐えてここに残っている事の方が辛いと思うわよ」
「千堂先輩……」
「それにね、私相川君に会うのが少し怖いの」
「今、私はずっと昔の大好きだった人の復讐をする為にここにいる。相川君にあって、それを見抜かれてしまいそうな気がして」
「彼は、優しいでしょう? だから、私の気持ちを知ったら、止めるんじゃないかと思うの。その時私がどうするのか、まったくわからないのが怖いの」
 いづみには瞳の想いに何も言えなくなってしまう。
「だからね、ちょっと逃げてくるの。後でチョコだけ渡しに来るけど」
 瞳が舌を出していづみに笑いかける。
 千堂先輩、私を元気付ける為に、わざわざ?
「じゃあ、出てくるわね」
「これを持って行ってください」
 いづみは長さ20cmぐらいの棒を手渡す。
「これは?」
「霧が出てきそうですから、ここをこうやると」
 棒の先端部分を引き千切ると、淡い光がそこから零れ出した。
「蛍光塗料みたいなものかしら?」
「ちょっとした特殊な配合の薬品が入ってるんです。ウチに代々伝わってるもので」
「あら。そんなもの持って行って良いの?」
「実は、その辺の売店でも売ってるんですよ。ウチから卸してて」
 そう言っていづみは新しい棒を渡す。
 受け取りながら瞳は。
 でも、懐中電灯が出てこない所はなんだか流石ね。
 
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