Vol.1 胎動

                白い腹がボコボコと蠢いている。

                分娩台に留められた生殖母体── このメーカーの商標モデル、MariaVの血塗れの股間から水が溢れた。

                「破水しましたよ、もうすぐです」

                厚いガラスのこちら側で医師がPCを操作しながら、今出産中のMariaVの所有者に声を掛ける。

                「はい」中年の婦人に肩を抱かれ、食い入るように滅菌室を見つめる女の声が震えている。

                MariaVの腰が浮いた。

                バッと鮮血が溢れた。

                何か黒々としたモノが会陰切開された膣口から覗いている。

                待機していた滅菌服の看護師が二人、分娩台の脇に付いた。

                MariaVの股間から頭を覗かせる胎児の周りにゼリー状の潤滑剤を注入すると、膣口に手首をめり込ませた。

                口があれば絶叫しているかもしれないが、このタイプは出産と初乳を与えるだけのモノなので首から先がない。

                腕は付け根から、足も膝から下は存在していなかった。

                短い足が押さえつけるベルトを一杯に引っ張って痛みを伝えている。

                もう一人の看護師は分娩台に上がるとMariaVを跨いで、その腹を上から押した。

                青く静脈を浮かせボール状に肥大した二つの乳房が上下左右に激しく動く。

                生まれない…

                「子宮収縮剤を直接子宮内膜に注射しましょう」

                医師はパネルを操作してMariaVに繋がれたいくつかの管に薬品を注入した。

                “薬が効くまで時間がかかりそうだな…”

                「帝王切開じゃ駄目なんですか?」

                思わずYOUは口を挟んだ。

                母親に付き添われた妻がきっとこちらを睨んだ。

                「いやよ、もし私が子宮筋腫とか内膜症になったら既に傷のある子宮を移植しなきゃならないじゃない、冗談じゃないわ」

                「その時はスタンダード使えば…」

                「貧乏人じゃあるまいし、最初からスタンダードなんか使いたくないわ。あなただってバーツタイプからオールボディまで幾つも持ってるじゃないの」

                なじられて黙り込んだ。

                生まれるとすぐに細胞が採取され、一体のクローンが創られる。

                クローンは厚生省に管理されて本体…つまり人間と全く同時に少しも変わることなく成長する。

                これは国民すべてに与えらえた権利であり、どんなに貧しくとも無料でクローンの培養と育成は行われる。

                行政名はややこしいので、一般に俗称でスタンダードと呼ばれている。

                病気や怪我の度にクローンから損傷したパーツを移植するため、スタンダード一体では一度傷ついた箇所はそれ以上の移植はできない。

                したがってよほどの貧困家庭でないかぎり、最もよく故障する部分のパーツ体や火傷などの皮膚移植に供えて全身クローンを数体持っている。

                保険会社は如何に多くのパーツ体を低額で供給できるか競い合っていた。

                特に既婚女性は移植手術以外の使用法にMariaという分娩用のクローンを持っている事が多い。

                自分の卵子と配偶者の精子を人工授精させ、それを母胎タイプのクローンの子宮に着床させ出産まで行う。

                稀に子供を宿し、腹の中で育つ感覚が知りたいという母性本能に溢れた女性もいて、最初は自らの子宮で育てるケースもあるが、それも胎児を移植できるぎりぎりの6ヶ月までとなる。

                分娩は母胎タイプのクローンが行う事に変わりはない。

                これによって女性は出産の苦しみを知ることなく母となれたし、妊娠中の煩わしい思いも産後のひだちも気にせず、社会の一線で働く事ができる。

                養育の親権は母親が持つことが多いのだが保護者としての権利と義務は双方どちらもが共有する。

                最も彼女は手がかからない年齢までベビーシッターに預けて仕事に邁進することだろう。

                自分も最初から養育権など欲しいとは思っていないからおあいこだ。

                逆に押しつけられたら…と思うとぞっとする。

                「初めての子供で気がたってるのよ」

                黙した婿と娘の間を取り持つように母親が話しかけた。

                「それに子供は自然分娩が一番なのよ、それと母体から出る初乳はどんなに科学が進歩しても大事なものなの」

                「はあ」解ったように頷いてはみたが、その初乳だってバストラインが崩れるといって殆どの女性は妊娠ホルモンの投与を拒否する。

                子宮着床と共にホルモン剤の投与を受けるのはクローン母胎だ。

                当然、乳はクローンからしか出ないから、初乳だけは首も手足も無い母が与える事になる。

                あとは人工栄養の粉ミルクを本体の母…そして本体の父親──に雇われたベビーシッターが与えることになる。

                本体の父親…この場合は自分のことなのだが全くピンとこない。

                そもそも結婚している事自体に自覚がない。

                適齢期…つまり法律上成人と見なされる年齢になるとDNAと身体特徴、個人情報がインプットされたデータに動画写真が添付されて各自治体のサーバーに格納される。

                結婚願望のある男女は全国を繋ぐネットから条件にあった相手を検索して、交際する。

                同居するカップルは少ない。

                書類上結婚するだけだ。

                勿論、別居していても共有財産や死後の相続などは配偶者として権利を得るし、お互いが(特に女性が)望めば人工授精で子供も出来る。

                実は政府は少子化対策としてよほどの事情で無い限り、各カップルに一人は子供を作るよう指導していた。

                教育と世論を操り、それは成人の義務だと思いませた。

                最も都会に暮らす文化人と呼ばれる人々はそんな事まで行政が管理するのはおかしいと声を上げてはいるのだが…それはごく少数の意見であり、世間一般に成人に達しているのに配偶者も子供もいないというのは一人前ではない…という風潮があった。

                したがって殆どのカップルが最初の交際で結婚に踏み切る。

                特に妻のいうハイソサエティ…つまり行政と経済を支える支配階級に生まれた者達は役所のデータを検索する前から相手が決まっている。

                これは施政者が自分達の権力と財産を拡散させない為に歴史上延々と行われてきた事だから仕方がないとは思う。

                自分も物心つかぬうちから“妻”と婚約させられていた。

                疑問は湧かなかった。

                不満にも思わない。

                学生時代に付き合った娘もいたが、彼女のデータを取り寄せようとまでは思わなかった。

                どうせ、書類一枚の事だ。

                周りの連中は自分と“妻”の間に誕生する双方の遺伝子を持った子供が必要なだけだ。

                「生まれますよ」

                医師の声で顔を上げた。

                薬が効いたのかベルトで固定された短い身体を精一杯よじっている。

                声は聞こえないが看護師が合図を送り合っている。

                「次の子宮収縮で出して」

                医師は看護師達にマイクを通じて指示を送った。

                MariaVが反り返った。

                張り切った乳房の上に馬乗りになった看護師が腹を押した。

                膣口に差し込まれた腕が血塗れの胎児の首を支えて引きずり出した。

                股間から新たに鮮血が吹き出した。

                どろりとしたどす黒い血の塊も垂れ下がっている。

                分娩台から飛び降りた看護師が手際よく新生児の口にチュウブを突っ込み羊水を吸い出す。

                血塗れの赤黒い身体に白く胎脂をこびり付かせた赤ん坊がグビグビと動いた。

                「さあ、産声ですよ」医師がマイクのスイッチを入れた。

                分娩室の音が聞こえる。

                「おめでとうございます、お嬢さんです」看護師の声がする。

                そんなことは解っている。

                妻が娘を望んだので、自分の精子は女の子の染色体しか持たないモノだけを分離器でより分けて受精させたのだから…

                より分けられる段階で染色体の異常や奇形の可能性のあるものは除外される。

                当然生まれてくるのは五体満足で、神経器官も脳波も正常、知能障害もない子供だけとなる。

                看護師が「おめでとう」と声を掛けるのは前時代の名残の儀礼に過ぎない。

                「産湯を使わせてから新生児室で抱いて頂きます。ところであのMariaVはどうしますか?出産用としてはまだ使用可能ですが」

                「もう産むつもりないわ」

                母親が娘の言葉を引き取った。

                「何度も妊娠やら出産やらさせますと移植した時、内臓が疲弊していると困りますから、移植パーツの方へ登録を変更してください」

                「解りました、初乳を搾乳した後で移植用の管理棟に移します」

                医師はPCにその旨を打ち込むと、先に立ってコントロールルームを出て行った。

                「さあ、YOUさん…」

                夫には一瞥もしないで、さっさと部屋を出て行った娘の態度を気にしてか母親が、こちらを向いて同行を催促す。

                「あなたにとっても大事な一人娘なんですから、ちゃんと抱いてあげてくださいね」

                自分の前に行くように出口から身を譲ると念を押すように言った。

                そりゃあ俺の子だと認知して貰わないと困るだろうからな…

                大事な跡取り…互いの家の絆を深くさせ、双方の繁栄を引き継ぐんだから。

                「お披露目の招待状はあちらのお母様とご相談して決めるけど、YOUさんの仕事関係の方は?」

                それを裏付けるように母親はYOUの後ろから話しかける。

                「俺の方はいいです、彼女の関係者だけ呼んでください」

                子供の祝い事は全て母方が執り行う…しかし父方がその折に贈る祝儀も半端な額ではない。

                またパーティーか…両親の催すモノだけでもうんざりしている。

                さらに結婚して彼女とその実家の付き合いまでが増えた。

                この上子供の祝い事まで加わるのか…

                足が止まった。

                「YOUさん?」

                「すいません、お母さん…ちょっと気分が…」

                出産シーンがショックだったのかしら?──だらしがない、誰の子なの?

                母親のなじる視線に気づいてYOUは必死に強張った笑みを浮かべた。

                「この所仕事がハードで疲れているんです、なんか生まれたら緊張が解れてしまって」

                「ああ…」思い当たって母親は満面の笑みを浮かべた。

                「そうよね、この所メディアにもよく登場されて…本当に秋の芸術祭参加作品は素晴らしかったわ」

                自慢の婿である。

                年末から新年にかけて開かれるあちこちの高名な選考会で、去年に続いて大きな賞を総舐めするだろう。

                親戚知人にどれ程吹聴したことか…

                「じゃあ、一休みしたら新生児室にいらしてね」

                足早に立ち去る後ろ姿を見送ると、吸い込む空気に微かに交じる洗浄剤の匂いに顔を歪めた。

                外面放射される光が床、壁、天井を隙間無く照らしている。

                白色の清潔な光の中では影もできない。

                瞳の奥がくらくらしてくる。

                目を閉じた。

                胃がムカムカする…本当に気分が悪くなってきた。

                これ以上茶番劇に付き合うのは御免だ。

                何の為に俺が我慢しなきゃならないんだ?

                不快感と共に残酷な衝動が突き上げる。

                認知しないで離婚してやろうか?

                家の格も財力もこっちが上なんだ…新しい恋人ができた…その一言で実家の親は敏腕の弁護士を手配するだろう。

                微かにドアの開く音がした。

                薄緑のシートが被せられたキャリーベッドが出てきた。

                さっきの看護師のうちの一人が付き添っている。

                シートがびくびくと動いた。

                “MariaVか?”

                YOUの脳裏に広げきった血塗れの女陰が浮かんだ。

                「あ…」

                股間が…

                馬鹿な!クローンに欲情するなんて…いきなりの性衝動に戸惑う。

                看護師はそこに今取り上げた子供の父親が居るとも知らずに壁のパネルをタッチした。

                電動の開閉音と共にパネルの一部が開いた。

                奥にリフトハンドが見える。

                看護師は慣れた手つきでキャリーごとパネルの向こうに押し出した。

                タッチパネルを何度か繰り返し壁は閉じられた。

                「あら」

                マスクの下からくぐもった声がした。

                YOUの側へ歩み寄る。

                「新生児室はこちらですよ」

                「いえ、あの…もう帰るところで…」

                「ああ、もうお嬢さんを抱かれたんですね、じゃあ出口は…」

                「あの…今のMariaVはどこへ?」

                「は?…地下の処置室です。回復したあとは別棟のクローン管理棟へ送られますけど…」

                「クローン管理棟…」

                「ええ、ウチくらいの大病院になると固定の患者さんのクローンは全てお預かりして培養してます」

                自慢げに看護師は言った。

                「今は厚生省の委託機関にお預けなんですか?あなたもこちらになさればいいのに…そりゃ管理費は公的機関より掛かりますけどケアが違いますよ」

                あなたはあの有名な財閥の坊ちゃんでしょう…キャップとマスクの間から覗く眼がそう言っている。

                「どこにあるんですか?管理棟って…」

                声が掠れている。

                しかし、看護師は自分の売り込みが功を奏したのだと思ったのか気軽に応じた。

                「見学は随時OKです。24時間体制が売り物ですから…今通行証の手続きをしますね」

                看護師は腰のポーチから小型のPC端末を取り出すと、手早く入力した。

                「ここに手を置いて下さい」

                YOUの静脈と指紋が記憶されデータとなって中央のコントロール室に送られた。

                「管理棟のゲートまでご案内します」小さな楕円のナビが渡された。

                「中に入ったら見学コースに沿って進んで下さい。そのナビも使えます」

                赤い光が点滅している。

                ずくん…再び淫靡な感覚が下半身を襲った。

                「ありがとう…」

                看護師に礼を言うと、妻と…娘の待つ新生児室とは反対に歩き出した。

                Vol.1 胎動 fin

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