Vol.2  邂逅

              あっさりとゲートが開いた。

              さすが看護師が自慢するだけの事はある。

              時折見かける厚生省管轄下のクローン保存センターの内部映像とはかなり違う。

              あちらは用途が一目瞭然…なんの装飾いや、確かに装飾はいらないかも知れないが視界を隠すシールド一つ無い中に眠り続ける裸体の老若男女が、プレートを貼った培養シリンダーに納められて整然と並んでいる。

              それに比べてこちらはシリンダー一本づつのガラス全面に光彩加工が施され関係者しか中を見る事はできない。

              加工内容が記されたプレートも無い。

              おそらくシリンダー基盤の中に組み込まれているのだ。

              シリンダーは一画ごとに分かれて配列されている。

              「こちらはオールボディだけのA管理棟です、お一人の患者さんに1ブロックの割り当てとなっております」──ナビに組み込まれた自動解説ソフトの合成音がフロア説明をしてくれる。

              “成る程ね…”

              行政管理は一人スタンダード+オールボディ2体+頭部・胴体部・手足・皮膚・脳の各パーツが1体づつと決められている。

              それ以上…大体は管理費の安いパーツ体なのだが…を所有する者はこういった行きつけの病院に預ける訳だ。

              従って街中の医院でもパーツ体の培養システムは完備している。

              ここでは自分のクローンが全て同じ状態で保存される訳だ。

              次に赤い点は次の階へ上がるよう指示を出す。

              “中身が見れないんじゃ、これ以上見学コースを進んでも仕方ないな…”

              何故だろう?培養液に浸るクローンの裸体が見たかった。

              MariaVに感じた性衝動は今までにはない強いものだった。

              SEXしたい…

              射精したい…

              ただ純粋に──おかしな表現だが本当にそれだけを思った…いや激情が突き上げた。

              何故だ?そんな未知の感覚に戸惑い、声を掛けられた看護師に動揺を気取られまいと…なんら考えることなくクローン管理棟に来てしまった。

              思い当たる理由は…近年世間を騒がしているクローンを性の対象とした違法風俗産業の台頭にある。

              SEXDOLL──生きた人形だ。

              最初は一部の嗜好家の愛玩物だった。

              好みの服で着飾らせ、ペットとして家族同然に可愛がるという“変質者”のレッテルを貼られた人達は顔を隠し声を変えて時々メディアに登場する。

              勿論クローンを医療目的以外で使用する事は法律上禁止されているから、当然彼らは犯罪者だ。

              こういった不要クローン体の横流しが起これば…そしてちょっと金と力があって、頭の切れる人間が手を染めれば…

              組織化されアンダーグラウンドに生きる奴らの格好の資金源となるまでに大した時間は掛からない。

              あっという間に巷に氾濫したセクサドールは使い捨ての性奴だった。

              勿論、まともな人間はクローンなどは抱かない。

              あんなシリンダーの中で青白い皮膚を漂わせる人工生命などに関心すらもたないのが常識である。

              手術の前に自分のクローンと初めて対面する…大体の人間がこのケースだ。

              他人のクローンなど医療関係に携わる者でなければ見ることも触ることも無い。

              だがストレスの捌け口として普通に生活する社会人…男女を問わず“変質者”は確実に増えている。

              人間相手では自分の欲望が満たされない…従順で何をしても構わない…それでいて成熟した躯を持つクローン。

              店に飼われた一時の慰みモノから責め殺されるまで自宅に囲われるモノまで…

              宗教者や文化人からモラルを問う声が起きて、政府も全身クローンの管理体制の強化を図っている。

              闇に出回るクローンは本体が再生を拒んで自殺したか、何らかの事情で廃棄処分にしたモノなので警察が没収した証拠品のクローンから本体や関係者を突き止めても、被害届けを出さずに無かった事として処理されるケースが殆どだった。

              その為、警察に摘発されても店側は罰金程度で大した量刑は適応されないから、いたちごっこを繰り返す。

              『クローン売買の闇のルートは暗黙のうちに存在している』そんな特集記事を読んだばかりだ。

              だからといって自分がクローンに欲情するなんて…しかも性奴として売り買いさせているのはオールボディのモノだ。

              MariaVの開かれた陰部が目に焼き付いている。

              巨大な乳房が踊っている。

              あんな頭も手足も無いパーツ体などにどうして?

              “何やってるんだ…俺は?”

              苛立つ妻の顔がちらりと頭をよぎった。

              “戻ろう…”

              その時、病院特有の薬品臭の中に香水の香りが交じっているのに気付いた。

              …自分と同じ見学者だろうか…

              階下を繋ぐエスカレーターから香りは漂ってくる。

              そこには関係者以外立ち入り禁止と印刷されたテープが張られていた。

              きつい香水と共に姿を現したのは黒衣の青年だった。

              柔らかなウェーブで額に掛かる茶褐色の髪…その下で蒼瞳が冷たく光る。

              思わず見入る美貌…整った顔立ちと一言でかたづけるには余りに印象深い風貌だった。

              慣れた足裁きでテープを跨ぐとこちらへやってきた。

              ちらと一瞥し、軽い会釈で通り過ぎる。

              「あ、あのこの病院の関係者の方ですか?」

              思わず声を掛けてしまった。

              「はい…」低い…穏やかな声が返ってきた。

              「見学コースはこの先のエレベーターをお使いください」

              手に持ったナビで見学者と解ったのだろう、青年はもう一度会釈すると“ENTER”の表示があるパネルに歩み寄った。

              何度かパネルをしなやかな指が往復すると──壁が開き室内に降りる階段が伸びてきた。

              その後ろ姿に呼び掛けた。

              「中を…見せて貰ってもいいですか?」

              あっさりと──普段は頑なに守っている“常識人”の壁を越えた。

              それは病院関係者とは思えない…いや医療施設を冒涜するかのように香水を匂わせた相手だったからかもしれない。

              「光彩でシリンダーの中が見えないんです」

              「それはシリンダーの本体…所有する患者の許可が無ければお見せできません。我々も患者さんの許可無く勝手に見ることはできない。中身に興味があるなら厚生省の管理施設に行けばモデルケースが置いてありますよ」

              「自分のクローンも厚生省にあるのでそれは解っています」

              「ほう?あなたのような大金持ちがクローンを行政機関に?」

              青年はこちらに向き直った。

              年齢は大して変わらないと思う。

              しかし全身から発するこの威圧感は何だ!

              口調は変わらない…が先ほどまでの穏やかなイメージはすっかり消えている。

              「俺…僕を御存知なんですか?」確かに最近メディアへの露出は多い。

              「ええ、クラシックが趣味で…あなたの弾かれたバイオリン協奏曲のCDを何枚か持っています。去年オペラハウスの総監督に就任なさった。お母様の文化財団が運営する楽団の専属劇場といってもそのお年で…たいしたものです」

              褒めているのか貶しているのか…所詮親の七光りと言いたいのだろう。

              事実だから怒る気にもならない。

              だが初めからこうだった訳ではない。

              子供の頃から親に反発してきた。

              だからこそ15才になって自分の手にクローン管理権が委ねられると迷わず父親が融資する病院からクローンを厚生省に移すように手続きした。

              規定数以外のクローンは処理したかったのだが母親に泣き付かれて、そのまま病院に置いてある。

              自分の跡を継ぐ実業家にさせたかった父親に逆らって趣味で習っていたバイオリンで身を立てると宣言し、家を飛びだした。

              勿論履歴には留学と国際コンクール転戦の為…とインプットされている。

              その後、芸術家のパトロネスを気取る母親の取りなしで家には戻ったが…バイオリニストとしてのデビューから作曲家…オーケストラ・マスター…総監督の今日まで実家の金が物を言っている。

              持っている肩書きは金で買えるコンクール・グランプリばかりだ。

              それでも全く才能がないとは思えない。

              いや、無かったらもっと楽だったろう。

              そうしたら、とっくに音楽などは辞めて別の…食うに困らないだけの仕事に就いて実家とは縁を切っている。

              音楽仲間は所詮生活の苦労を知らない“お坊ちゃま”の戯言だと笑う。

              その通りだ──と思うから帰国後は親の七光りを十分に利用して…開き直ってここまでやってきた。

              自分くらいのレベルの奴は掃いて捨てるほど居る。

              上を見ればきりがない。

              だが上にいる奴らが成功しているかといえば…

              自分の作品を、音楽を自由に発表できる立場にいる…それは一時とはいえ“留学”で底辺をかいま見た自分にとってありがたい事だと感謝している。

              それでも実家に戻ると反発心が湧いてくる。

              父親と同じ部屋の空気を吸うことが苦痛だった。

              ジレンマに耐えきれなくなっていた。

              じっと凍てつく蒼瞳がYOUを見据えた。

              傍らのパネルを操作するとメタリックの部屋が顕れた。

              「殺菌室です。中に酸素マスクから伸びているチューブがありますから、それを咥えて鼻から呼吸しないように。目はしっかりと閉じてブザーが止まるまで開けないでください」

              「え?じゃあ…」

              「所有者が破棄処分にしたクローンがあります。それを取りに行くところだったのですが…僕の一存でお見せしましょう」


              先に立って歩く黒衣を追って足を速める。

              それにしても香水くさい…すっかり消毒液の匂いに包まれた自分とは対照的だ。

              膝下までの黒衣は防水滅菌加工された特殊な作業着だった。

              「Gと呼んでください」

              ここの専属スタッフでは無いという。

              Gとはクローン最終処分の段階レベルを指す言葉だ。

              明らかにコードネーム…

              本名を名乗れない訳でもあるのか…それとも便宜上、仕事の時だけそう名乗っているのか…

              破棄処分のクローンが出た時だけ契約している病院に呼ばれるのだと言葉少なに語った。

              「それではあちこちの病院を掛け持ちされて忙しいでしょう?」

              そう相づちを打った自分を振り返った。

              「廃棄処分ではありませんから…それ程忙しくはありません」

              「は?」

              意味が解せず答えに窮したYOUの前で傍らのシリンダーを指さす。

              「これです…さあ御覧ください」

              光彩が消えた。

              真っ白な肌の…スレンダーな躯が浮いていた。

              「あなたは廃棄体とリサイクル体を混同しているらしい。廃棄されるモノは地下の水槽で電解処理され分子のレベルまで溶解されます…僕が扱うのは破棄されたモノ…言わば再利用されるクローンですよ」

              リサイクル?…ああ、じゃあ…これは月へ送られるのか。

              そこで解体されて適応する人間にそれぞれ振り分けられる。

              月では重力の関係で培養液がうまく作用せずに摂取した細胞が分裂しない。

              したがってテラで培養された他人のクローンを持ってきて使うしかないのだ。

              例のセクサドールは月に回されるクローンが横流しされて闇ルートに乗っているというもっぱらの噂だ。

              だが噂は誇張と推測があるにせよ限りなく真実に近い。

              セクサドールの売買は月の裏社会を支配する犯罪者集団、暴力組織といった連中のいい資金源になっている。

              ジャーナリストが潜入レポートを書かなくても、ニュースキャスターが取材を敢行しなくても世間の誰もがそう思っている。

              Gが言ったように本体を失ったクローンはテラでは病院内ですぐに処理されてしまう。

              違法が摘発されれば無期限の業務停止となるのだから医者がリスクを冒すとは思えない。

              月の地下都市に根を張る…一昔前でいえばギャング、マフィア、暴力団と呼ばれる連中…

              彼らは一世紀以上前に月世界の地下開拓工事に送り込まれた凶悪犯罪者の子孫だった。

              勿論今では一般人も地下都市に移住し、開発事業に携わっている。

              ただ月世界でも、はっきりと彼らは隠語で呼ばれ差別されていた。

              「君…いや、あなたは…まさか?」

              青年の端正な顔がじっとこちらを見つめている。

              月と搬入ルートを持っているからと言って“月の種族”とは限らない。

              だが彼の世離れした…何とも違和感のある雰囲気がその禁忌の名を言わせた。

              「チャンドラ・ヴァンシャ…」

              蒼瞳が怪しく光る。

              「さあ?だったらどうします?財閥の御曹司…」

              低い声で呟くと何事もなかったようにシリンダーの下部を開けた。

              中のキイを叩くと培養液が減り始めた。

              赤いランプがついた。

              黒衣のポケットから銀色のパッケージを取り出す。

              赤いランプが緑に変わった。

              培養液の無くなったシリンダーに白い裸体が凭れている。

              もう一度キイを叩くとシリンダーのガラス部分がゆっくりと上がった。

              崩れる裸体を抱きかかえる。

              YOUは目を見張った。

              水を滴らせ、ぐったりと横抱きになったクローンが酷く艶めかしく…美しく見えた。

              「綺麗な子ですね…」“子”と人間のようにGは呼んだ。

              熱を帯びたYOUの視線を知ってか腕の中のクローンをこちらに向けた。

              しなやかに伸びた肢体から目が離せない。

              「再利用…という事は…月で解体するのか…」喉奥が痛い…声が掠れる。

              「そうです。本体が女性だから躯の線も華奢で、肌もきめ細かい。多分一番先に皮膚が剥がされるでしょうね」

              「本体が女性?」

              Gは器用に水の滴る足先に銀のパッケージを被せた。

              見る間に膨らんでクローンの全身をぴったりと包み込む。

              「性不同一障害の治療体…つまり本体とは染色体が違うんですよ」

              性不同一障害の手術は顔面を頭蓋骨ごと分離させ、頸椎から上、つまり脳と後頭部だけを希望する性別のクローンに移植する。

              いわば自分のボディで行う性転換手術である。

              「持ち主は最初少年になって少女と恋愛したいと…これを培養したんですが、俗に言う思春期特有の“S感覚”というもので性不同一障害ではなかった。成長して一人前の女性として社会に出ると、普通に男性に恋愛感情を抱き…来月結婚されるそうです。そしてこれが邪魔になった…破棄理由の書類を要約するとこうなります」

              皮膚を剥がされる?…この白い肌が……理性の箍が切れた。

              「譲ってくれないか?」喉の痛みは頂点に達している。

              「君が…そのチャンドラ・ヴァンシャならば…俺の財力を知っているなら悪い商談ではないと思う」

              すうっと青年の眼が細まった。

              「あなた妻帯してらっしゃるんでしょう?これは成人男性ですよ」

              否とも諾とも取れる質問だった。

              「留学中にマエストロと…」馬鹿な!何でそんな事を答えるんだ──頭の隅で理性の欠片が声を荒げる。

              「ああ、同性経験はあるんですね…」表情は変わらない。

              ナビを握りしめる。

              「そちらの言い値で構わない」

              「成る程…大金持ちのあなたに金額の話をしても無意味でしょうが…」

              彼は人型に膨れたパッケージをフロアに寝かせた。

              「性奴として引き取りますか?それならば相場の値段がありますから…」

              「性奴…」

              「巷で言うセクサドールですよ。脳が空っぽの状態ですからこちらでそのタイプのソフトをダウンロード…記憶を与えます。そうすれば日常生活は普通におくれます。言語機能は急には発達しないので調教しながらそちらも教育してください」

              「調教…」

              「処置費用と初期設定に別途費用がかかりますが…いくらでもいいんでしたね?では最新のソフトを用意しましょう」

              有無を言わせない。

              性奴の売買という…実に淫靡な、しかも違法の取引をしているというのに淡々としたビジネス口調で話を進める。

              「名前は…何と付けます?」

              「名?俺が付けるの?」

              「あなたの性奴ですから」

              《Modeling:AI:Surface:atto−》

              銀のパッケージに人工知能タイプと表面──外気に触れた場合の皮膚加工のレベルがプリントされている。

              「MASa…」

              「まさ?」

              「マサでいい」

              「わかりました。では“マサ”でインプットしましょう」

              再び銀のパッケージは青年の腕に抱かれた。

              「処理が終了したら連絡を差し上げます。御足労ですが月まで引き取りに来てください」

              言葉は丁寧だが嫌とは言わせない力量がある。

              「ああ、連絡先は…」

              「いや、結構…貴方はご自分が思っておられる以上に有名人だ。何処にいても連絡できますよ」凍てつく視線が凝視する。

              ねばい汗が背を伝った。

              “やっぱりこいつはチャンドラ・ヴァンシャ…月の種族だ”

              「では後日チャンドラ・マハルで…お会いしましょう」

              シリンダーの立ち並ぶ奥に向かって悠然と黒衣の青年は去っていった。

              思わず大きな溜息がでる。

              チャンドラ・マハルだって?暗黒街の代名詞になってる街じゃないか…

              自分はとんでもない危険を冒そうとしている。

              何を血迷って…

              だがあのクローンの…白い肌が忘れられない。

              セクサドール…確かに違法かもしれないが公にしないだけで、裏ではみんな楽しんでいる。

              秘密のクラブだってあるんだ。

              自分だけが法を犯してる訳じゃない。

              マサ…

              YOUの足は意識のないままナビに導かれEXITと表示されたゲートに向かっていた。

              Vol.2  邂逅 fin

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