vol.6 Debug

              朝起きたら躯中が痛かった。

              熱があるのかな…だるくて寒気がする。

              “あっ、モニターに来客中のサインが付いてる”

              お茶を入れなければ…それがマサの仕事である。

              人前に出るときは服を着なければならない…

              「あひっ」躯を起そうとして激痛に身悶えた。

              ダメだ、痛くても我慢しなくちゃ…早くしないとお客様が帰ってしまう。

              YOU様が揃えて下さった衣装を着る前に、シャワーを浴びなければならない。

              ?…今日の衣装はいつもと違う…

              主人の好みは肌が透けるようなもの、躯のラインがくっきり出るもの…下着は付けてはいけない――それなのに…

              だぶだぶのスエット…これYOU様の室内着だ。

              今日はこれでいいのだろうか?

              こんな事は初めてだ――ふらつく足取りでシャワールームに入る。

              「ぎゃー!」お湯が沁みた。

              「あ…?…」鏡に映った自分を見て驚く。

              顔が…?

              左目の上が紫色になって腫れ上がり唇の端が切れている。

              躯中痣だらけだった。

              鞭の痕?

              そんなはずはない…このところ粗相も失敗もしていないし…昨日だって舌の使い方がうまくなったと褒められた。

              YOU様に縋りついて訳がわからなくなって…達きすぎて腰が立たなくなった。

              そうしたら優しく横抱きにして寝床まで運んでくださった。

              「マサ…」気持ちよくて、幸せで…頭を撫でられているうちにそのまま寝てしまった。

              なのに、起きたら…

              「痛いよ…」鏡に映る傷だらけの自分が泣き顔で訴えた。

              「痛いよ…」…………ウン…… 頭の何処かで…誰かが…微かに相づちをうった。

              マサのデバックは終了した。

              YOUはCに自分が海外へ出向いた後のマサの記憶をデリートするプログラムを頼んだ。

              Cはレイプされた事は何も覚えていないと断言したが念の為だ。

              強姦体験をバグに置き換えプログラムの誤りとして処理すれば──Cはコンバイラレベルのデバッガを送ってきた。

              マサのバグは修正された…

              ──どんなにあんたが惚れ込んで嫉妬しても…愛人にはなれない──Cの言葉を思い出すと胸が詰まって喉が痛くなる。

              嫉妬ではない!

              セクサドールに嫉妬するなど絶対にありえない。

              自分の所有物を勝手に弄られたくない…それだけだ。

              もう留守番はさせない。

              何処に行くにも連れ歩く。

              その為にはマスターさせねばならない新しい課題は山積みだ。

              マサの睡眠時間を削ろう。

              それから、SEXの時間も…焦らす楽しみが無くなるのは惜しいがしばらくの辛抱だ。

              YOUの帰宅を知ったスタッフが朝から詰め掛けていた。

              緊急以外の連絡は帰ってから処理すると言ってあった。

              決められた期日で処理しなければならない仕事が溜まっている。

              だが、YOUは集まった顔ぶれを違う思いで見ていた。

              胸の内は猜疑心でいっぱいだ。

              自分が帰ってきたことでマサを手篭めにした奴が様子を見に現れるに違いない。

              それはCからも指摘された。

              戻ってきた時、玄関はしっかりと閉っていた。

              室内に荒らされた形跡はない。

              紛失した物もない。

              ただ一箇所、書斎に淫行の跡が残されていた。

              セキュリティ会社から留守中のモニター映像を取り寄せた。

              セクサドールの生態が監視員にばれるのを恐れて室内のスイッチは切ってあったが玄関だけは作動させておいた。

              不在中の来客のチェックと防犯のためだ。

              マサは教えたとおり相手を確認してからロックを解除している。

              あの…マサが性交中であるというパルスが来た時間まで早送りする。

              “!”

              モニターカメラの位置を知っているのか?顔が映っていない。

              年配の男であるということはわかる…

              マサが応対している…という事は見知った人間だ。

              マサが突き飛ばされ、男が室内に入るところで、映像は切り替わった。

              男が出てきた。

              モニター下に表示された数字は約1時間の経過を示している。

              手の中の物をじっと見ている。

              熱感知システム?人間センサーか…こんな物まで用意して…

              こいつは自分の不在を狙い、計画的にマサを襲うつもりでやってきた。

              マサの顔見知りで、カメラの位置を知っていて、自分のスケジュールまでわかっている――楽団関係者はそれほど煩雑にここには来ない。

              頻繁に現れるのは事務所関係の人間だ。

              その中の一人…それがこいつだ!

              モニターカメラに背を向けたまま男は足早に立ち去った。

              この10時間後に自分が…恐ろしく硬い表情をした自分が映っていた。

              どいつだ…次回コンサートの演目を提示する男性スタッフの顔を一人一人眺めていく。

              もう一つYOUには懸念すべき危惧がある。

              Cの指摘通り、店で飼われているセクサドールと同じ反応をしたのだとしたら、クローンだと気付かれたのではないか…もしも、通報されたら自分は犯罪者だ。

              警察に摘発されれば、マサは証拠品として没収され溶解液で処理されてしまう。

              Cは“犯人がクローンだと気付いたのなら自分の所行は消去される可能性が高いのだからシラを切り通すだろう、人間だと思っているならマサの告げ口が気になって、すぐに確かめに来るはずだ”…そう分析した。

              さらに“自分が施した整形手術は完璧だから人間だと思っている可能性が高い”と言い切る。

              “どちらにしても早急に犯人の目星をつけろ”言われなくてもそのつもりだ。

              デバッガと一緒に“友人の危急を救いたい”というGのメッセージが送られてきた。

              内容は“もし、犯人が脅迫なんぞしてきたら、こっちでうまくカタを着けてやるからすぐに連絡してこい”という恐ろしくも頼りがいのあるモノだ。

              テツローからも連絡が入った。

              “トラブル処理はアタシらの飯のタネだもん、任してよ”――つまり友情は無料(タダ)では存在しない、それ相当の報酬を要求するぞ…という事だ。

              テツローのいつもの軽口も、チャンドラ・マハルの幹部として聞くと途端に物騒になる。

              事務所を開設する時、母親の肝いりで集められたスタッフは、かなりのキャリアを持った人材が中心だった。

              高価な報酬で買ったのはノウハウだけではない、彼らが張り巡らしたコネクションごとヘッドハンティングしたのだ。

              YOUのような駆け出しの音楽家が、あっという間に業界のトップレベルに躍り出ることができたのは彼らの実績と…実家の財力、さらに高名な母親の強力なバックアップに因るものだ。

              ここ2年ほどでYOU自身が集めた人材、もしくはYOUの名声を慕って集った者達が増えてはきたものの、事務所の中枢は母親…いや、文化財団理事長のお目付け役を自他とも認める古参の人間達だった。

              当然、皆YOUなどより遙かに年長だ。

              モニターに映った中年の男と同じ年恰好の連中ばかりなのだ。

              「お茶をお持ちしました」黒のスエットの上下を着たマサが会議室を兼ねた応接間に現れた。

              「マサ君、どうしたの?その顔!」

              「喧嘩でもしたのかい?」

              皆騒然となる。

              YOUは彼らの驚き騒ぐ様をじっと観察した。

              「いや、いない間に書斎の整理を頼んだんだら、踏み台から落ちたんだよ。あそこはフローリングに特別なワックス使っているから滑りやすいんだ…可哀想に顔から落ちてしまってね」

              特別なワックスを塗ったのは誰か?

              みんな怪我の具合を気にしてマサを注視する中で、斜め前に坐っている男だけが目を背けている。

              YOUは眼鏡をかけ直した。

              じっと表情の変化を観察する。

              「どうぞ…」マサが一人づつ後ろからティーカップを差し出す。

              自分の番を察した男が躯を傾がせて紅茶が置かれるのを待っている。

              カップを置きやすいようにという配慮なのかもしれないが、顔を伏せて躯を丸める姿勢はひどく不自然だ。

              “ああ、そうだったんだ…”お茶を出しながらマサは納得していた。

              “踏み台から落ちたんだ、僕…”マサにとってはYOUの言葉だけが絶対普遍の真実である。

              「どうぞ」間を開けて貰えた分、テーブル近くまで躯が寄せられる。

              違ウヨ…ソレハ鞭ノ痕ジャナイカ…

              フフフ…焼キ餅妬イテ叩イタ癖ニ…

              YOUノ嘘ツキ…

              ウフフ…

              アハハ…

              “なに?”ピクリと震える。──頭の中で声がした──

              肘が男の躯に触れた。

              「うあああ!」いきなり男が立ち上がり、はずみで紅茶がこぼれた。

              「す、すみません」慌てて拭く物を探す。

              「マサ、今日はいいから休んでいなさい」YOUの眼鏡の奥がきらりと光った。

              間違いない、こいつだ…


              プライベート専用のPCを立ち上げた。

              ロックを解除してチャンドラ・マハルにアクセスした。

              次ぎに仕事用のPCを起動し、事務所の人事課にアクセスしてスタッフのプロフィールを検索する。

              YOUが目星をつけた男は妻と子供二人を扶養している。

              勿論、一緒には暮らしていない。

              おそらく一度も同居したことは無いだろう。

              自分と同じ…紙切れ一枚のタイプだ。

              所詮、世間体を繕うために既婚者の振りをしているに過ぎない。

              彼は外部関係者や自分と同じくらいのキャリアを持つ同僚には人当たりがよく、評判は悪くない。

              まあ、誰でもそうなのかもしれないが権力者には極めて従順だ。

              …例えばYOUの母親などに対する時は実に控えめで穏やかな顔を見せる。

              しかし年下の者や、部下に対しては気分によって態度が変わると嫌われていた。

              つまり八つ当たりをして憂さ晴らしをするのだ。

              評判は聞いていたが、気にしていなかった。

              報酬に見合う…いやそれ以上の仕事をこなしてくれれば素行も人柄も関係ない。

              最初から誰も信用していない、全て仕事だけの関係だ。

              テツローからのコールがきた。

              YOUは少しためらったが、男のデータをそっくりコピーするとプライベート用に移した。

              これであいつはチャンドラ・ヴァンシャのターゲットになる…一瞬“殺人”という言葉が頭をよぎった。

              まさか…いくら何でも殺しはすまい。

              奴が自分から辞めて…いや、自分とマサの前から姿を消してくれればそれでいい。

              呆けたまま座り込むマサの姿態を思い出す。

              嬲られた肌が疎ましい。

              アナルから抉り出した精液の汚臭が甦る。

              許さない…怒りが沸々と湧いてくる。

              データを送信した。

              覚えてろよ、火遊びの代償は高く付くぞ…送信完了を確認してPCを切った。

              その男は暇乞いもそこそこに訝る同僚を残し帰ってしまった。

              その後マサの容態が悪化した。

              鞭の痕は腫れ上がり、熱が引かない。

              餌も食べずに、ぐったりとしている。

              毎日抗生剤に解熱剤、栄養剤を打っている。

              さっきから熱に魘されて何か譫言を言っている。

              辛そうだ…

              「マサ…早く治ってくれ」汗で張り付いた髪をそっと撫でる。

              「自分ガヤッタ癖ニ…」

              「えっ?」…譫言だ──荒い息の間から途切れ途切れに洩れる文言は意味を解せない。

              熱に浮かされて時折妙な事を口走るようになった。

              発熱でAIに影響が出ているのだろうとCは言う。

              熱が引けば治る…即効性の解熱剤と化膿止めをシャトルに積んだ──と連絡があった。

              もうすぐ届く。

              「もう少しの辛抱だ」もう一度マサの頭を撫でた。


              最後の皿をウェイターが下げにきた。「食後のお飲み物は何になさいますか?」

              「わたくしはアイスティーがいいわ、アールグレイで…」財団理事長が言うと、周りの理事達も追随して同じ物を頼む。

              「僕はコーヒーを…マサは?」YOUだけが母親に逆らう。

              「暖かい紅茶がいいです」細身のダークスーツは見慣れないせいか、しっくりこない。

              白いワイシャツに地味なネクタイという秘書らしい出で立ちなのだが、醸し出す雰囲気はホストのようだ。

              「じゃあダージリンになさいな」向こうの席で理事長が仕切る。

              マサのテーブルマナーは完璧だった。

              傷痕が目立たなくなるまでの間、クロゼットの奥で重ねた練習の成果がいかんなく発揮された。

              痣は綺麗に治った。

              以前の透ける衣装を着ても分からない。

              ただ、左瞼の上の傷跡は明るい場所に出るとうっすらと見える。

              YOUは髪の分け目を逆にさせて、左眼が被るように変えた。

              海外進出の第一弾として発売されるCDのプロモーションでコンサートツアーを行う。

              半年に及ぶワールドツアーになる。

              その最終打ち合わせが予算承認の決議を兼ねて行われ、会議終了後会食となった。

              最も計画も決定もすでに決まっている事なので形式的な議事で終わる。

              集まった理事達の感心と話題は自分達が主催する楽団壮行会の内容にあった。

              それもこれも楽団のコンサートマスターであるYOUを素通りし理事長にお伺いが立てられる。

              会話がはずみ賑やかなのは理事長と常任理事達の周りだけだ。

              テーブル奥で黙ったままのYOUに気兼ねして、事務所のマネージメントスタッフが声をかけようとするが話のきっかけが掴めない。

              仕方ない…彼はマサに話しかけた。

              「怪我は大丈夫なの?」

              「はい、怪我は大した事ありませんでした…しばらく皆さんの前に出なかったのは、今回のツアーの資料をまとめるように先生から指示されたからなんです」YOUのシナリオ通り答える。

              「今回からマサに殆ど任せる事にしたからね。籠もってよくやってくれたよ」YOUがやっと口を開いた。

              「だったらマサ君も参加するんですか?今度のツアー」

              「うん、連れて行く。コンサート後の事務処理をやって貰う」YOUはマサを見た。

              「最初から激務だな」スタッフは思わず口走った。

              「今回は無理だけど、次回は月まで回れるといいわね」マサの隣でレコードキーパーが微笑んだ。

              「親御さんも待ってるんじゃない?ずっと帰ってないでしょ?」

              「親…御さん?」

              「ああ、マサ君のお父さん、お母さんの事よ。家族とか友達とかみんなに自慢できるじゃない…今や先生の片腕だもの、凱旋帰国できるわよ」

              「はあ…」そうだ…僕の両親はソーマに住んでいて… ──ゼンブ嘘ダヨ…

              「!」また、あの声が…

              ワカッテイル癖ニ…

              覚エテイル癖ニ…

              最初ノ記憶ハ何ナノカ…

              冷タイ台…

              乳白色ノ硝子…

              金色ノ光…

              嘘ツキ…

              …嘘ツキ

              YOUト同ジ…嘘ツキダ…

              違う!

              解ッテルヨ、オ前ガ悪インジャナイヨ…YOUニ言ワサレテイルンダ…

              ソウサ、悪イノハ全部YOUダヨ…

              …ち…がう…

              「マサ君?…紅茶きたわよ」

              “またか…”YOUは一抹の不安をかき消すようにコーヒーを掻き回した。

              解熱後譫言は言わなくなったが、じっと考え込んだり、急に頭を振ったりする姿が見られるようになった。

              発熱の後遺症か、デバックの影響なのか…原因は不明だ。

              このツアーが終了したら長期の休暇が待っている。

              その時マサをチャンドラ・マハルに連れていき、Cにメンテナンスを頼もうと思っていた。

              YOUは彼女の注意をマサから逸らそうと、マネージメントスタッフに尋ねた。

              「例の“彼”の足取りまだ掴めないの?」

              「あ、はあ…」この長大なテーブルを囲む全ての者の耳がこちらを向いたのを意識して、コーヒーを一口啜る。

              「全く大事な時に…」「不謹慎きわまる」ざわめきが起きた。

              「家族から捜索願を出して貰いました」スタッフが皆に聞こえるように大きな声で答えた。

              「こちらからは被害届を出しているわ」理事長は憮然とした表情で言った。

              「信じられないわ、あんなに生真面目そうな…温和しい顔をして横領なんて」

              「でも、事実ですよ。使い込みが露見しそうになったから失踪したんでしょう」あなたが連れてきた人材です…YOUの言葉に冷ややかな揶揄を感じ取り母親は黙った。

              コーヒーを飲み干す。

              チャンドラ・ヴァンシャの動きは速い──“彼”が消えて二ヶ月以上が経った。

              休職届けも無いまま古参のスタッフが事務所に来なくなった。

              時を同じくして経理データから用途不明金が見つかり、それが欠勤しているスタッフの銀行口座に振り込まれていた事が解った。

              訪ねていった住まいは夜逃げ同然──室内は足の踏み場もなく荒れていた。

              離れて暮らしている妻子にも連絡が無いという。

              事件に巻き込まれたのか、それとも事件の中枢にいるのか…どちらにしても刑事事件として警察が動いている。

              「でも不思議なんですよね、年度末の会計監査では何の不審も無かったんですよ。どうして急に…」マネージメントスタッフはYOUにだけ聞こえるように囁いた。

              月の首都ソーマのドゥエラー・レジスターにマサのファイルをインタラプトさせたチャンドラ・ヴァンシャのトランスファー・テクならば銀行本店と支店を結ぶ端末の間にハッキングすることなど容易い事だ。

              ましてや民間の音楽事務所の経理データにアクセスすることなど…

              二ヶ月経っても終息しないスキャンダル…失踪と横領事件が話題にのぼったところで、皆帰り支度を始めた。

              まさに醜聞…関わりたくないが運営資金が絡んでいるため門外漢ではいられない。

              此処にいる全員が関係者だ。

              任意だが事情聴取を受けた理事もいる。

              忌々しい…との思いが表情に出ている。

              次々にYOUに…そして理事長に挨拶をして去っていく。

              “ふん、いつもこっちの名声でいい思いをしてるんだ。こんな時くらい一緒に火の粉を被って貰わなきゃ割に合わないよ”

              後ろ姿に一瞥すると、YOUも母親に一礼し先に部屋を出た。

              マサをはじめ事務所のスタッフ五人も、理事長に頭を下げて後を追う。

              「先生」

              YOUはロビーの中央に立っていた。

              前に子供の手を引いた女性が立ち塞がっている。

              「あっ」その顔を見たチーフが慌てて頭を下げた。

              「奥様、お久しぶりです…」

              「いつも主人がお世話になって…今日はこちらで会議だとお義母様から伺って待っておりましたの」

              「主人を…」YOUを睨みつける。

              あの日分娩室で別れてから、一切の連絡が途切れ…いや、連絡はとれるのだが、のらりくらりとはぐらかされ話が出来ないまま二年近くに成ろうとしている。

              「ここで待っていてくれ」後ろに声をかけて妻の腕を取った。

              「二人で話そう」

              「そう言ってまた逃げる気でしょ?」腕を振り解いた。

              「すぐに話は終わるわ」眦を決した女は再びYOUの正面に対峙した。

              その視線がスタッフの後ろにいる青年に留まった。

              「あなたがマサさん?」

              「あ…はい…」目礼する。

              「あの愛人に財産譲るつもりじゃないでしょうね?」甲高い声がロビーに響く。

              「あなたの子供はここにいるのよ、たった一人の娘じゃないの、それなのにどうして…」初めて会った娘はタータンチェックのワンピースを着ていた。

              いきり立つ母親の後ろに身を潜め、下を向いている。

              もうすぐ二歳…には見えない。

              「この子来年から学校なの、二親揃ってないと私立には受からないのよ。あなたの娘なら審査なしで合格するわ、認知してちょうだい」一気にまくし立てる。

              再三訴えたあげくYOUの母親から離婚を匂わせる答えが返ってきた。

              動転した妻は娘に成長促進剤を使い、就学年齢まで知能と体躯を引き上げた。

              就学年齢に達した児童は保護者からの独立が認められ、財産分与権が生じる。

              入学を口実に認知させ、もし離婚しても娘にYOUの財産が渡るように計画したのだ。

              「愛人なんかに渡すもんですか!」──マサを睨む目が嫉妬に狂っている。

              「あの…私達さきに事務所に戻ってますから」チーフが場を取り繕う。

              「マサ君、行きましょ」レコードキーパーに誘われるままに歩き出したマサがYOUの脇を通ったその時──

              「愛人の何処が悪い?」YOUはマサの腕を掴んだ。

              「今の俺にはこいつだけが信じられるただ一人の人間だ」

              マサは呆然とYOUの顔を見た。──人間?YOU様違います…僕は…

              人間ダッタンダヨ

              ソウサ、マサハドコカラ見タッテ人間ジャナイカ!

              人間ダヨ

              人間ダヨ

              人間…YOU様が人間だと言った…

              …YOUガ人間ダト言ッタ!

              「いくら自社ビルでもここは外部からの方が来られますのよ、二人とも大きな声でみっともない」後ろから理事長が現れた。

              「お義母さま…」嫁は冷徹な同性に向き直った。

              「今日は是が非でもこの子の認知をお願いにきました。聞けばもうすぐワールドツアーとか。帰国を待っていたら入学試験が終わってしまいますから」

              「また大きくなったわね…」母親は押しかけてくる嫁に連れられた認知されない孫に定期的に会っている。

              「性懲りもなく促進剤を使ったのね…躯の方はともかく脳や神経は本当に正常に発達しているのかしら」障害を持つ孫はいらない。

              「ご心配なく。お義母様の頃は使用は三歳体型までとか個体差とか問題があったようですけど、今は六歳まで成長可能なんですよ」

              そんな事が自慢になるか!生意気な…姑は見下したように唇の端を吊り上げた嫁を睨みつけた。

              「それじゃあ、大人の話が解ってるって事じゃないの。ダメよ、子供の前で認知だの、財産だの…ましてや愛人なんて」年の功が怒りを威圧感に変える。

              「いえ、私はただ…」

              「まさか、あなた…子供にお父さんは男の愛人と住んでいるから、会ってくれないなんて言ってないわよね?」詰問は確証に裏付けされている。

              図星を指されて、嫁が一瞬たじろいだ。

              娘は財産譲渡の道具である──認知だ、養育費だという生臭い大人の話にも必ず同席させている。

              彼女なりに事情は全て娘に話して…いや、言い含めてあった。

              「あなたも言ったようにワールドツアーが迫っているのよ。それに今、事務所が警察沙汰にもなっているから…御存知でしょう?例の横領事件もあってプライベートに割く時間は無いの。認知は落ち着いてからゆっくり…」

              「散々時間は有りましたわ。それなのに連絡しても居留守を使われて…先延ばしにしたのはそちらです。これ以上待てませんわ」

              「マサ…」YOUの腕の中でマサの躯が小刻みに震えている。

              顔が真っ青だ。

              「お母さん、後は頼みます」スタッフを即してマサを抱きかかえ出口に向かう。

              「あ、ちょっと!」

              「お話はわたくしが伺います。でもこういう話は、そちらのご両親も一緒の方がいいんじゃないかしら…」久方ぶりに最愛の息子から“お母さん”と呼ばれ、頼られた…何がなんでも息子を守らねば…

              「くっ…」実家を持ち出されて嫁は答えに窮した。

              YOU本人では話にならない──YOUの親元へ認知を求めに通い始めた時は母親も同行していた。

              それが、時間が経つに連れて徐々に娘の言動を制するようになってきた。

              そんなに再三通っては、かえって意地になって逆効果だとか、取り敢えず養育費だけ確保して認知は追々にだとか…解っている、父親の会社がらみで圧力が掛かったのだ。

              経営者としては娘と孫の為に会社と従業員を危険にさらす訳にはいかない。

              事情を悟って以来、実家とも離れてまさに孤軍奮闘でこの姑と戦ってきた。

              「それでは、今夜にでも実家のお母様に連絡しましょう。何時がいいかしら、ご都合を伺わないとね」

              「YOUさんは同席されるんですか?」

              「噛みつくみたいに言わないの。YOUはコンサートツアーですよ、さっきから言ってるじゃありませんか」

              それではいつもと同じ事だ。

              「解りました、もう結構です」

              「あらそう…入学式は片親でもいいのね?」

              姑を睨みつけて、子供の手を引き、足早に去っていく。

              「ああ、もっとゆっくり歩いてあげなきゃ、子供が走って追いかけてるじゃないの、可哀想に…」後ろ姿を見送りながら未公認の“お婆ちゃん”は呟いた。

              「二年にもならないで、六歳児なんて…全く今の医療は狂っているわ。育児が大変なのは当たり前じゃないの。今時の母親は何を考えてるんだか…早く政府が成長促進剤の規制条例を布かないからこんな事になるのよ」


              愛する“先生”の…“YOU様”の妻子が急に現れ、さらに人前で“愛人”と罵られたショックからだろうと──スタッフはマサの変調をそう見ていた。

              YOU自身も啖呵を切って庇いはしたが、マサの心が傷ついたと思っている。

              マサの体調を慮(おもんばか)ってスタッフは玄関先で引き上げた。

              YOUは会議のファイルを放り出すとモニタースイッチを全てOFFにした後バスルームに入り、マサを呼んだ。

              呼ばれて恐る恐る一番奥の扉を開ける。

              そこは今まで…飼われて二年近い間、一度も足を踏み入れた事が無い場所だった。

              寝室のシャワーしか浴びたことがない。

              バスルームに入れて貰えたのは初めてだった。

              すでに全裸で待っていたYOUの手で戸惑うマサのダークスーツが脱がされ、ボディソープで躯中を洗われ…いや這い回る手で愛撫された。

              このままではいけない勤めを果たさなくちゃ…いつものようにYOUのコックに仕えようと膝を折ったが、脇下に手を入れられ立たされた。

              そのまま抱き取られバスタブに沈んだ。

              横抱きにされたまま長い間口づけされた。

              その間もYOUの指は優しくマサの男根を擦っていた。

              “踏み台から落ちた”セクサドールの体調を気遣った主人は、あれ以来マサの躯を抱かなかった。

              最もいきなり増えた課題と教習で寝る時間も無くなったマサには、そんな主人の気遣いを察する余裕もなく…ただ時折YOUの脱いだ衣類を片づけている時などセクサドールの性(さが)が顕れて“抱いて欲しい”とYOUの指を念じながら自ら慰めてしまう事もあった。

              初めて会食に伴われ緊張で身が震えたけれど、ワールドツアーに同行できる喜びに浸っていた。

              それなのに…奥様と御嬢様が現れて──“愛人”となじられた…

              ショックで倒れそうな自分をスタッフの人たちが庇ってくれて…

              YOU様も、あんなにはっきりと…

              はっきりと──主人はあの時何と言った?

              違う…

              ショックだったのは人前でなじられたからじゃない…

              ショックだったのはYOU様が自分を人…

              「あっ」うっとりと目を閉じ愛撫に身を委ねているサクサドールの男根を握ったまま抱き起こし、向こう向きに太腿を跨いで座らせた。

              後ろから抱え込み屹立したモノを差し込む。

              「いた…」久方ぶりに迎え入れる躯に痛みが走る。

              「ああ、お許し…」カリ首が湯で暖められたアヌスを広げ挿入っていく。

              湯で上気した肌が消えかかっていた痣を桜色に浮き立たせる。

              その痕を唇が這う。

              舌が舐めている。

              チョーカーを押し上げ背中から首筋に走る痣が強く吸われた。

              「あ…くう…」身じろいだマサの裡が収縮した。

              「うっ」締められてYOUも高まり、収めたモノが硬度を増した。

              「あひっ!」アヌスの口がさらに圧し広がり、腰が逃げる。

              「マサ…」膝裏を持たれて引き付けられた。

              股間が広げられ、バランスを失って反り返る背を主人の胸に密着させた。

              「あううっ」後ろから大きく割られたアヌスに更に深く怒張が埋め込まれた。

              「あああーっ」主人の指がはち切れそうに猛った男根の先を擦り、鈴口を軽く爪で掻いた。

              「あ、い…」反対の手が陰嚢を揉みし抱き、会陰を押している。

              「達くうー!」久方ぶりに与えられた快楽に、調教し尽くされた性奴の躯はひとたまりも無く屈した。

              波立つ湯に白濁の精が広がっていく。

              ぐったりとなったマサを湯船の縁に倒した。

              うつぶせになった白い背に浮き立つ薄赤い文様が艶めかしい。

              突き出された腰の裡にはまだYOUのモノが収まったままだ。

              前に回された指が再び男根を擦り、胸の突起をつまむ。

              ゆっくりと抜き差しが始まった。

              「ああ、もう!」バスタブの縁にしがみついてマサは仰け反った。

              萎えた男根が再びYOUの指を圧する勢いを取り戻す。

              「いいぞ、上手く食事ができた褒美だ…何度でも達け」

              激しい抽送を受けて腰が踊り、湯が溢れてバスルームに満ちた。

              「いい!ああーっYOUさまぁーっ!」

              顔を打ち振って悶える様が正面の大鏡に映る。

              これでいい…さっきのショックは消えただろう…YOUはニヤリと笑うとさらに腰を打ち付けた。

              自分も忘れたい。

              「あのクソ女め」──それは妻の事か?…それとも子離れできない母親への罵声か?…

              容赦ない攻めに啼き所を抉られマサの快感は高みへ押し上げられたまま浮遊している。

              「ああ、だめぇ!達く!達っちゃいます」反り返った男根がYOUの指を弾いた。

              射精と共にマサの内部が収縮した。

              「うくっ」YOUも抗しきれずにしたたかに射(はな)った。

              マサの裡は蠕動を繰り返し、呑み込んだモノから一滴も残さず搾り取ろうと腰を擦りつける。

              「あん、もっと…」意識は混沌とした中でも躯はさらなる快楽を求めて淫靡に蠢く。

              萎えたモノが滑り出ようとする──「あ、いや…抜かないで…」

              躯を離したYOUに縋り付いた。

              「して、もっといっぱい…」

              「えっ?」それはマサの…セクサドールの口調では無かった。

              腰にまとわりついたマサの唇が萎えたコックを呑み込んだ。

              髪を掻き上げ、舌を這わせながら上目遣いにこちらを見上げる。

              散々仕込まれた手管で愛撫する。

              「マサ!」YOUの頭から一瞬感じた違和感は消えていた。

              散々に責められ意識を失ったセクサドールをバスルームに残し主人は寝室に引き上げた。

              マサは躯を起こした。

              快楽の余韻が気怠く裡を満たす。

              アヌスから洩れる精液を指ですくうと、口に含んだ。

              鏡に淫蕩な顔をしたセクサドールが映っている。

              銀のピアスが鈍く光る。

              チョーカーがマサを呼ぶ波動を伝えた。

              ベッドで主人が待っている。

              うるさいなあ── 一人で寝たらいいのに…

              いいじゃない、抱かれてやりなよ

              ふん、散々嬲っておいてまだやりたりないの?もう十分サービスしたよ

              こっちも気持ちよかったんだからお互い様…抱かれて寝るとベッドで寝られるよ

              そうだよ、床は硬いからベッドで寝ようよ

              ちぇ!YOUがいなかったら一人で手足延ばして寝られるのに…

              頭の中で響く声は止まらない。

              それはいつしかマサの心と一体化していた。

              そっとピアスを外してみた。

              鏡に“臍”のある“人間”が薄笑いを浮かべて映っていた。


              それから一週間後、予定通りYOUに率いられた楽団はワールドコンサートツアーに旅立っていった。

              資金をつぎ込んだ宣伝効果もあって、どこの国でも前売りチケットは完売している。

              当日設けられた立ち見席にはプレミアが付いた。

              初めてのコンサートホールでの開催はトラブルも生じたが、結果はおしなべて良好だった。

              前評判に値する、いやそれ以上の評価を得た。

              順調に行程を進めて、行く先々で行われるプレス会見などのスケジュールも無事に消化されていく。

              マサの手腕に因るところが大きかった。

              ただの愛人じゃない──楽団員もマサを“先生の片腕”と認め始めた。

              あと2カ国、6ステージを残すだけとなった時──

              その肝心のマサがホテルから忽然と姿を消した。

              YOUのタクトケースの中にチョーカーとピアスを残して…

              vol.6 Debug fin

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