朱雀戀情 衷情編
「直江…いま城下に居る人足は幾人ほどじゃ?」
「人足でござりまするか?千曲川河川の築城にまだ、多くの人夫を差し向けて御座りますゆえ、五十に満たぬかと…」
千曲川を挟んで武田家との攻防は事の他に長引いて、既に抜き差しならぬ事態になっている。
落とした砦の修復、新たに築いた城…動員された人足は休む間もなく突貫工事で働き続けている。
景虎の眉根が曇った。
「五十人では間に合わぬ。急ぎ魚沼、栃尾からも召し出せ」
流石に揚北衆の地元には遠慮がある。
「御屋形様、そのように人足を集めて何を致しまする?」
「港からこの城まで赤土を盛るのじゃ」
「はぁ?」
怪訝な顔の直江定綱の鼻を雅な香りがくすぐった。
「関白殿下より直々の書状じゃ。畏れ多くも朝廷は、我らの願いをお聞き入れになり古河公方の認証に知恩寺の御上人様を差し向けてくださるそうじゃ。その下向に先の左大臣、近衛関白殿下もご同道なさるそうな」
景虎の目がキラキラと輝いた。
これで北条氏康が押す足利義氏に対抗できる。
上杉憲政、長尾景虎らは関東公方、俗に古河公方に足利藤氏を擁立していた。
共に足利晴氏の子だが、嫡男・藤氏の母は古河公方譜代の家臣簗田 高助の娘、次男・義氏の母は北条氏綱の娘…つまり北条氏康の甥だ。
足利晴氏は当時の関東管領であった上杉憲政らと謀って北条氏康と川越城を争った。
この川越夜戦で大敗し、氏康に囚われ、幽閉され、後に処刑されたと伝えられる。
古河公方の跡目争いが起きるのは必然であった。
勿論、擁立した公方は、それぞれの傀儡に過ぎない。
「殿下は必ず越後に下向するとお約束なされた。そちも存知おろうが、あの荒廃した京にあって有言実行とは誠に清廉潔白な御仁であらせられることよ」景虎の口元に珍しく柔らかな微笑が浮かんでいる。
「あの御方には朱赤が良う似合う…赤土の路は越後府中の館にも敷きたいものよ」
「はあ…」景虎が2度目の上洛を果たしたのは前年の永禄2年(1559年)の事である。
このとき、直江は重臣の筆頭として共に上洛した。
さらに景虎が十三才で元服した折より使える栃尾の本庄実乃や、越後きっての勇壮で名をはせた柿崎景家らが五千の軍勢を率いて従った。
近衛前嗣(このえ さきつぐ)…確かに摂関家の嫡流にしては血気盛んな青年公家である。
が、主君の言うように純粋に清廉潔白…とは思えない。
「これは柿崎、本庄らと図りまして、また後日、ご返答を…」
「悠長な事は言っておられぬ。重陽の節句には都を立つとのおおせなのじゃ」
「はあ…」それは、この香が焚きしめられた書状に書いてある…書いてあるが本当に来るのか?
いや、来れるのか?
仮にも関白、大臣職を辞したとはいえ朝議を欠席しての越後下向など、帝がお許しになるだろうか?
「では、明日まで待とう。宇佐美にも参るよう、先ほど枇杷島へ使いを出した」
“宇佐美まで?”定綱はピクリと眉を上げた。
宇佐美駿河守定満――布施、犀川、上野原…といった川中島周辺での戦だけではなく、武田に寝返った大熊の押さえや関東派兵にも功を奏している。
上杉譜代の臣でありながら、今はまさに景虎の軍師、越後の参謀だった。
長尾譜代の臣で、景虎擁立に動いた直江達からすれば、景虎の宇佐美重視はおもしろいはずがない。
だが、ここは我慢…いや、逆に上杉譜代の臣とも襟元を開いていると強調せねばならない。
家臣団が揉めれば、またこの主君は出奔しかねない。
前回は姉君や恩師の天室光育…それに宇佐美らの推理が的中し、高野山で出会えたが、次は解らぬ。
“御屋形様を捜し訪ねての隠密旅だけは、もうゴメンじゃ”
直江は機嫌を取るように「では、早急に皆々共図りまして」と平伏し、景虎の前を辞した。
「あの御仁か…」柿崎は口髭を歪めた。
「最初の上洛の折から、一癖も二癖も…」本庄もしかめ面を崩さない。
「そこは、それ…代々の公家の血筋の為す技じゃろうて…」意味深な口調は御屋形様の御下知を告げた直江だ。
「関白殿下と御屋形様は、いかほど御年が離れてござるかの」宇佐美は水晶の数珠を指でもてあそんでいる。
「殿下は…たしか天文五年の御生まれと聞き及ぶ。されば御屋形様が六歳年長じゃ」
「兄と…弟のようなご関係か。いや、御屋形様には下にご兄弟が居られぬ故、ご身分をわきまえつつも愛おしいと御思いなのであろう」
「義兄弟…か。確かにあの血書の起請文は武家でいえば義兄弟の契りに等しい」柿崎は感慨深げに頷いた。
「関白とはいえ、御血筋は足利将軍家と近い。武家の作法に乗っ取った上での盟約であろう」本庄も頷く。
「あの御方は、御従兄弟の将軍様の影響からか、完全に武家被れだからなぁ」直江は京の日々を思い出していた。
室町幕府13代将軍、足利義輝は刀剣の収集家として有名であり、当時の将軍家の中では武道の嗜みがあり、特に塚原ト伝の直伝と噂される剣術の腕前は強かったという。義輝の生母は前嗣の叔母、さらに姉が正室として嫁いでいた。
「二度目の上洛の折に血文字で起請文をしたためた話は聞き及んでござるが、最初の上洛の折…とは、いかような事態にござったか?」
二度の上洛の度に留守を預かってきた宇佐美とすれば、もっともな質問だ。
「それは…儂の口からは…」直江は口ごもった。
「宇佐美殿、御屋形様から直に伺えばよろしかろう」
本庄には手塩に掛けて育てた景虎を宇佐美という老練な軍師に奪われたかの感がある。
「おお、そうじゃ。御身なれば御屋形様とて隠し事はなさるまいて」柿崎は単純に賛同する。
「…………」宇佐美定満は“いいのか?”と言いたげに、チラと直江を見た。
「あいや、待たれよ」いくら何でも直接、訊かれては拙い…直江は宇佐美の質問に答え始めた。
「実はのう、正直言うて、儂らも、よくは知らぬ。あの七年前の秋の夜、将軍家のご接待を受けた御屋形様は御所にお泊まりになられての…一晩お帰りにならならんだ」話し始めた直江の口元に、一瞬だが邪な笑みが浮かんだのを宇佐美は見逃さなかった。
「実は御外泊はその二日前にもあったのじゃが…。まず、近衛稙家公のお屋敷にご挨拶に行かれた。稙家公は御屋形様の和歌の師でもあるゆえ、大仰な行列ではかえってご無礼と、我らは従わずに、近習のみで参られた」
当時を思いだし、話を進めるうちに、つい無意識に、ある種の欲が現れたのであろう。
「稙家公は前嗣公の父君にあらせられますな」宇佐美の頭に天皇家、摂関家、将軍家…と血脈の線が引かれていく。
「そこで初めて…前嗣公に逢われた」
当時、景虎は二三歳、前嗣は一七歳で、まだ晴嗣と名乗っていた。共に血気盛んな年頃である。
「その夜、近衛様のお屋敷から戻って来られなんだのじゃ」
「ほう、あの御屋形様が連泊とは…」
「まあ、近衛様の方は連歌の会が夜通しであったろう故、よいのさ。問題は将軍様の宴じゃ」
「将軍様がなにか?」
「上様は名うての小姓好きなのじゃ。従った者の話では、御屋形様の側には、いずれも眉目麗しく、芸事に秀でた美少年が十六人も侍っていたそうな。酒を過ごされた御屋形様は、その者達に案内(あない)されて寝所に向かわれたよし。従者は身分違いで御殿の奥には上がれなんだ故、そこから先、何があったのか…誰も知らぬ」
まさか主に直接「何事かござりましたか?」…と、尋ねる訳にもいかない。
将軍が設(しつら)えた寝所である。何事もあろうはずが無い…そのような疑問を抱くだけで将軍家を崇拝している景虎には不敬と映るだろう。
「ほう…あの御屋形様に…」そう言いつつも宇佐美の表情は変わらず、驚いている風は全く無かった。
「宇佐美殿は“ほう”しか申されぬなぁ」直江の解説に茶々を入れるように本庄が揶揄したが、宇佐美は気にも留めない。
「方々が御存知無き事なれば致し方ない。されば、本庄殿、柿崎殿のご助言に従って、これより先は御屋形様に直々に伺うといたそう」一礼して立ち上がる。
“え?”直江の目が点になった。
「いや、宇佐美殿、あれは戯れ言で…」本庄が慌てて腰を浮かす。
「まさか、本気になさるとは…」柿崎も語尾を濁すが後の祭りだ。
動揺する3人を残して宇佐美は景虎の書院へと向かった。
「直江が、そちに、そこまで、よう話したものよの」景虎の声には僅かな驚きがあった。
これは…自分が思っているより家臣団の団結は高まっているらしい。
「は…」宇佐美は目礼した。
この軍師に景虎は父の理想像を重ねていた。
七歳で世を去った父には一方的に憎まれていたし、死後、あちこちから漏れ聞く生前の姿は、どう良いように解釈しようとしても下克上の成り上がり者だった。
父の生き様は義を貫く景虎にとって、まさに反面教師だった。
「…一度しか言わぬ…」
「は…」
「儂は…殿下と同衾した」
「…………」
「蔑むか?」
「いえ…家督相続の苦労を御存知であろうはずの御屋形様が、妻帯なさらず女人を近づけぬのは…幼き折に過ごされし寺にて衆道の手ほどき在りし故では無いかと…」
「その通りじゃ…まさか、寺を出されて還俗し、なおかつ越後国守の座に着くなど思いもよらなんだ」
景虎は遠い目をした。
当時、僧侶は言うに及ばず、大名、公家の区別無く衆道は性愛の嗜みであったから、特に驚くには当たらない。
だが後世、跡継ぎ騒動を起こさぬように妻帯せずとも一子を設けるのは大名の義務であった。
その義務を拒み続けた景虎にも肉欲はあった…という事か。
「儂はの…惹かれる者がおっても耐えた。それは儂に値する者ではなかったからじゃ」
「値する者?」
「そうじゃ、毘沙門天の声を聞き、その化身となって世の乱れを正す儂に値する者じゃ」
つまりは、余程身分が高い高僧か公家…しか恋愛対象にしない――そう律する事で、みだりに人を恋わないように自らを制してきたのだろう。
確かに越後にいる限りでは上杉の血縁くらいしか身分が上の者はいない。
だが、その上杉は山内、扇ヶ谷といった名家も風前の灯火で、逆にコチラの加護の下で生きながらえている有様だ。
いくら名門でも、そんな相手に食指は湧かない。
自分に秋波を送るような僧は、まだまだ修業半ば、そんな程度の者など相手にしないから、これも問題外だ。
先の左大臣、関白近衛前嗣…これ以上、身分が高い公家はいないのだから、毘沙門天の化身の交際相手としては申し分ない。
「関白殿下は眉目麗しき御方でござりまするか?」
「…うん」景虎の頬が僅かに赤らんだ。
「だが、儂が惹かれたのは容貌ではない。その心根じゃ。気概じゃ。あの御方は生まれは公家でも性根は武士じゃ」
景虎は思い出を追うように目を細めた。
「あの御方は、最初、儂を試された…」
景虎が莫大な寄進を携えて近衛邸を訪問したのは清涼殿に上がり、帝に拝謁し、綸旨を賜った翌日であった。
ここまでの根回し役を引き受けてくれた和歌の師、近衛稙家への御礼である。
これに対し、稙家は連歌の会を催して歓待した。
酒を酌み交わしつつ、月を詠むうちに、すっかり朝が空けてしまった。
「さて、では、月も西の空に白く浮かぶばかりになりて興が削がれることしきりじゃ。これにて会も終いじゃ」
稙家はあくびをかみ殺しつつ退出し、招かれた公家衆も連歌師も、朝日の中を帰っていった。
自分も帰ろうとしたが、呼びにやった小者が言うには、景虎に従ってきた家臣達は、別室に下がって、まだ起きる気配は無い。
「主が申しますには、都大路に朝も早うに物音を立てるのも無粋の極み。ここは弾正少弼様も別室にて一時、お休みになられては如何かにあらしゃいます?」
戦で鍛えているとはいえ、初めての上洛、昇殿、拝謁と緊張の日々が続き、さらに夜通しの連歌で神経が疲れていた。
「では、お言葉に甘えて」
絹の褥(しとね)に横たわった途端に、夜通しの酒の酔いもあって、どっと寝入ってしまった。
何時か過ぎた頃――
眠りの中に、剣戟の響きが聞こえた。
ガバと起きあがり、太刀を腰に差す。
戦国武将らしく、たとえ公家の館といえども、宿を借りる時は太刀を握り、横向きで眠る。
「三好か、松永か…」越後の国主が上洛したとあれば、反幕府勢は穏やかではない。
また畿内の大名も息を殺して越後からやってきた青年武将の動勢を伺っている。
勿論、隙を見つければ寄って集って…なのは戦国の世の習いだ。
一足先に京に入った直江が、道中を含めて、その辺りの手配りは抜かりなく差配してはいたが、いつ何時、心変わりをせぬとも限らない。
「…敵衆が襲ってきたのでは無さそうだ」確かに馬の嘶きも、人の怒号もしない。
屋敷の者は逃げたか隠れて声を潜めたにしても、自分に従ってきた家臣等が騒がぬはずはない。
「では…あの剣を打ち合う音は?」一気に冴えた耳に、はっきりと聞こえてくる。
景虎は、そっと客間を出た。
音を頼りに廊下を進む。
奥御殿の為か、それとも貧窮しているのか…従者にも侍女にも会わぬまま、庭先へ出た。
そこに朱赤の小袖に襷掛けの少年が、銀の太刀を煌めかせて立っていた。
銅色(あかがねいろ)の袴の股立ちも高く取っている。
素足であった。
白磁の先に桜貝を押したような足指が白砂を踏んでいる。
公家髷ながら烏帽子は被っていない。
庭には七人…いや倒れている男を含めて八人の男がいた。
身なりは武士…だが、家臣等の出で立ちと比べてみても薄汚れ、髪も乱れている。
「みな浪人か…」諸国を行脚をしながら、剣の腕を磨く者か…。
景虎は純粋に武者修行だと思っているが、実は戦場を転々としながら傭兵として雇われ、うまくいけば手柄を上げて召し抱えて貰えるのを待っている。
いわば金次第で乱波にも、野武士にも、盗賊にもなる奴らが、金目の仕事を求めて都に集まっていた。
景虎の呟きを耳にした少年が廊下を見上げた。
「ほう…そこな者。なかなか立派な拵えの太刀を履いておるな。ここへ参って相手を致せ」
「?」いきなり、年若の相手から偉そうに言われても…何がどうなっているのか、さっぱり解らない。
こちらを向いた少年の顔に公家特有の化粧は施されていなかった。
眉も抜いていないし、お歯黒も施されていない。
肌は朝日を弾いて白く輝き、目鼻立ちのはっきりとした秀麗な美しさを湛えている。
上気して白桃に染まった頬はふっくらとしていて、年相応の幼さを感じさせるが、逆にきつい眼光は、数多の戦を知る者の如く炯々と光っている。
“なんという眼の光じゃ。まるで鷹か鷲のような”
そして何よりも品がある。
武家ならば元服を迎える年格好でありながら、既に品格と呼べるモノをまとっている。
“さすれば、鳥の王たる朱雀か”
都の北に位置する越後を北面の護りとして毘沙門天を掲げるなら、朱雀は王城守護の四神として南にある。
“これは近衛様の御身内に違いない”
まだ陽も高くならぬ時から、このような奥庭にいるのだから、間違いは無いだろう。
ここは、無礼のないように、丁寧に断って引き返すに限る…
「京に参って五日目の田舎侍にござれば、ご無礼の段は平に…。これにて御免仕る」
一応、片膝を着いて、決まり文句を言う。頭は下げない。
踵を返した途端――
「待て!卑怯者」
「卑怯?」景虎の眉間に縦皺が寄った。
廊下の下に控えていたのか、わらわらと家人が飛び出してきた。
だが、その風体は公家の従者とは思えない。
「なんじゃ、この者らは?近衛様の護衛か?」それなら武士がいても…いや、おかしい。いくら何でもこんな奥御殿に…。
「そこな者、権大納言様の御前(おんまえ)である。御廊下の上より直答とは無礼千万。早々に階(きざはし)を降りて平伏いたせ」
身なりは武士でも公家言葉だ。
「権大納言様?」
「正二位右大臣、権大納言様におじゃる」
近衛晴嗣――藤原五摂家の筆頭、近衛稙家の嫡男である。
5歳で元服し第一二代将軍足利義晴からの偏諱を賜り、晴嗣と名乗った童子は、翌年には従三位に叙せられ公卿に列された。
その後も順風満帆に官位を昇り、天文一六年に11歳で内大臣になった。
内大臣から右大臣に転任したのは、この年…景虎が上洛した天文二二年の初めである。
それまでは左近衛大将も兼務していたから、公家ながらも御所警護の長でもあった。
左近衛大将の晴嗣は、お飾りではなく、実際に武術をたしなんだ。
公家というと和歌や管弦の道ばかりと思われがちだが、実際には太刀の腕を磨き、弓を引き、馬術を習得するような者もいた事はいたのである。
特に晴嗣の武術好きは京雀の噂となって畿内に知れ渡っていた。
特に浪人には、近衛の若君の相手をすれば食い扶持と宿には事欠かぬ…と広まった。
食い詰めた浪人が、居候しているのは、そんな訳があった。
「!」
腰を屈めたまま、階を降りて、敷石に平伏した。
「これは知らぬことはいえ…」
「いいから、早う抜け!」大納言は切っ先をこちらに向けた。
「いえ…」まさか稙家の嫡男と真剣で切り結ぶ訳にもいかない。
「そもじ、なかなかの身分と見受けるが越後の者でおじゃるか?」先ほど、晴嗣の身分を誇らしげに宣した男が声を潜めて尋ねた。
越後の国守は稙家の和歌の弟子であり、古典も学んでいる。
主の共をして一夜を明かした近習の一人と思われたらしい。
「はあ…」頷いただけで名乗りは控えた。
ここで“長尾景虎”…と名乗っては、さらに面倒になりはせぬか…と危惧したのである。
「では、言うておく。大納言様に傷を負わせてはなりませぬぞ。其処元が負けるのじゃ。ほれ、これらの者共のように、怪我の治療費はたんと…」
「わざと?」
「無論じゃ」当然といった顔で頷くと、従者は廊下の下へ引いた。
「きぇーっ!」それを立ち会いの相図と解したか、晴嗣が裂帛の気合いで打ち込んできた。
咄嗟にかわす。
立ち上がりざま、無意識に鞘を祓い、構えていた。
「ようやっと、その気になったか…」そこで晴嗣は、初めて立ち会う相手をはっきりと見た。
朝日を背にした顔容(かんばせ)は後光が差したように美しく厳かな雰囲気に満ちていた。
剣を正眼に構えた姿は、まるで寺院仏閣の奥深く、仏法僧の三宝を守る毘沙門天の立像の如く…
「ばかな…」少年は一気に萎えた気迫を取り戻そうと頭を振った。
“少しばかり、身だしなみがまともなだけではないか…塵芥にまみれた浪人共とどこが違う!”
少年は完全に気圧されて、容易に打ち込めない。
しかし、景虎も手加減する程の余裕は無かった。
“これは、なかなかな手並みだ。年若ながら手練れの師に付いて修業を重ねている。噂に違わず公家の剣法は侮れぬ”
さらに少年は実戦の駆け引きを身につけていた。
馴れ合いの勝負でも回数を重ねるうちに実戦力が付いて、実力で少年が勝つ事も多いのではないか…
だが、さすがに景虎の敵ではない。
“怪我をさせずに退かせるには、どうしたらよいか?”間合いを測りつつ、右に移動した時、廊下の下で剣を落とす振りを繰り返す従者が視界の隅に入った。
“この景虎に太刀を落とせと…”
“我を誰と思う!”身体を忿怒の炎が包み込んだ。
「!」その気に押され、晴嗣の上段に構えた切っ先が震えた。
その途端――
稲妻が落ちたかのように手首、肘、肩…そして全身が痺れて……
「若様ーっ!」
「ご無礼を…」一礼して飛び上がると、軽々とその身を廊下に乗せた。
そのまま中の間に戻り、寝ている家臣等を起こし、奥の騒ぎが表に聞こえぬうちに、早々に近衛家を辞した。
打ち落とされた銀の太刀の柄巻は縦に裂けていた。
将軍義輝から贈られた名刀は、修理されることなく、それきり宝物殿に仕舞われた。
将軍義輝が、年若き越後の守護、長尾弾正少弼を下にも置かず歓待したのには、説破詰まった事情があった。
管領職を巡って三好長慶と争い、京都から追われて各地を転々としたが、ようやく天文二一年に和解し、都に戻ることができた。
しかし、一度生じた溝は、なかなか埋まらず、一瞬即発の体だ。
ここは三好の押さえに、是非とも、初陣よりこのかた負け知らずの猛将と噂された景虎と誼を通じておきたい。
景虎は和歌や古典に通じ、漢詩にも才を発揮し、琵琶をたしなむ。
禅寺育ちの為か、国守でありながら自らに女犯を禁じ、妻帯していない。
では、都の美女を並べても無駄であろう。
それなら自分と同じく小姓好みに相違あるまい。
こうして義輝は家柄正しく、文武に秀で、詩舞管弦を嗜み、容姿優れた少年を集めた。
「弾正少弼、京の酒(ささ)は口に合うかの?」
越後の龍はウワバミ…という噂も、もちろん聞き知った上での歓迎の宴であった。
「ははっ。まさに甘露でござりまする」景虎の周りには、きらびやかな小袖の小姓らが侍り、盃が空けば、すぐさまに酒を満たす。
それぞれが懐に忍ばせた匂い袋の香の薫りで、景虎の脇に傅く者が代わるたびに、その香が入り交じり、馥郁たる酒の薫りが飛んでしまう。
酒好きの景虎は、つい眉を寄せた。
そんな有様を上段から見ていた将軍は“これは気に入った小姓がいないのか”…と見当違いをして、近習に相図を送る。
次の小姓がやってくる…。
宴がはねる頃には、景虎の周りには十六人もの美少年が控えるという、ある種、壮観な様となっていた。
それを眺める将軍家に満面の笑みが浮かぶ。
少年達には、既に因果が含められている。
“手が着いた者は賜り者になる”――ここで景虎が選んだ小姓は、そのまま越降させ、越後の情報を逐一知らせるように…と命じられていた。人身御供を兼ねた間諜である。
「夜も更けたゆえ、寝所を設えた。今宵は泊まっていくがよい」
「いえ、それは…」と辞退の言葉を探す間に将軍は退出してしまい――
「ここで、頑なに辞退しては田舎者と誹られよう」間を取り持った武家伝奏の広橋大納言卿に諭されては承諾するしかない。
ぞろぞろと小姓に案内されて寝所に向かわねばならなくなった。
「太刀をこちらに」
「お着替えを…」
憮然とした表情のままの景虎であったが、一六人の美少年達は、このような次第には慣れているのか、淡々と直衣を脱がせ、綸子の夜衣に着替えさせ、御簾を上げた。
殊更に強い薫りが漂ってくる。
そこに、同じく白綸子を纏った少年が平伏していた。
「麝香?」それは、大変高価な香だ。
とてもではないが落日寸前の将軍家の小姓などでは身につける事は適わぬはず…。
「そなたは?」
「はい、御伽の御用を言いつかってござりまする」
「要らぬ。儂は毘沙門天に帰依し、不犯を誓っておる」
「さすれば、御添い寝番として警護を…」
「それも不要。儂は越後でも寝所に人は置かぬ」
「成る程…あれほどに強ければ、他人の加護など求めぬか…」
「なに?」
小姓の声音が変わった。
「其の方等は下がれ」
案内の小姓達は、その声に気圧されたように、怯えた一礼を送ると、そそくさと寝所から消えた。
「昨日の今日ゆえ、まだこのように手が腫れておる」
そろり…と袖が上がった。
そこには赤い痣が――
「そなた…まさか…」景虎は思わず一歩引いた。
「逃げてはならぬ。弾正少弼…」伏せていた顔が上がる。
そこには昨日、立ち会ったばかりの少年が、朱雀と評した燃える双眸を煌めかせて端座していた。
「何ゆえこのようなところに…」
「将軍家とは従兄弟…我がここに居ても異な事はあるまい」
とんでもない!深夜…それも従五位の身分の者の寝所に寝間着で潜んでいる右大臣など奇異の極みである。
「されば、こちらにも大臣(おとど)の御部屋がございましょう?そちらに…」
「いやじゃ。我は今宵、其方(そなた)と共に居る」
「昨日のご無礼のお詫びならば、また日を改めて参じまするによって、今宵はご容赦を…」
「誰が詫びに出向け…と言うた?仰々しく詫びを入れ、事の子細を顕わにして、我に恥をかかせるつもりか?」
「そのような…では今宵は何用あって、かような…」
「先ほど申したではないか…我は其方と伽を…」
「さすれば、わたくしも申しました。生涯不犯を誓うておる…と」
「ほう?その出で立ちは、まさに渇食(かつじき)ではないか?口でどう取り繕うとも寺の稚児の成れの果て…」
「そのような者では御座らぬ」景虎は、その言葉を遮った。
「確かに、わたくしは幼き折に禅寺に居りましたが、名は虎千代のまま…稚児では御座いませぬ。髪を束ねるは飯綱の修法にて髪を切るは法力の衰えの要因と言われる故にござる。また狩衣は源平の時代より武士の正装にて、復古の志を外に示さんと常時着用いたしておりまする。されば、我が家臣には戦場(いくさば)にても鎧の上に狩衣を羽織りて参陣致す者も居り申す」
黙って聞いていた晴嗣の眼が輝いた。
「いま、復古の志と申したか?」
「はい」
「其方の目指す復古とは何じゃ?」
「将軍家を助け参らせ、天子様に政事(まつりごと)を司って頂く…王政復古にございまする」
「なんと…武家の…守護代の家に生まれし其の身で王政復古とは…」
「なんの、武家に生まれついても大楠公の如く、後醍醐帝にお味方致した者も居り申す」
「…そのように南朝を語るは足利将軍家にも天子様にもはばかりあるが…その言わんとする旨はよう解る」
「はい。良き時代の有り様に戻したいと…それだけにございまする」
晴嗣はスッと立ち上がった。
「邪魔をしたな。我は自室に戻るゆえ、ゆるりと休まれよ」顔を背けたまま、それだけを言うと踵を返した。
「権大納言様?」
「その名で呼ぶな…我は今、深く恥じ入っておるのじゃ。その名で呼ばれると羞恥の炎で焼かれる思いがする」
「………」景虎は顔を上げて、晴嗣を見た。
その背が震えている。
“まさか…泣いておられるのか?”
「御気分が優れませぬか?誰か人を…」立ち上がり人を呼ぼうとした途端――
「ならぬ!誰も呼んではならぬ!」
「!」身を翻して晴嗣が抱きついてきた。
「其方の本心を聞いたゆえ、我の本心も明かそう…我は其方に恥をかかせに来たのじゃ」
“やはり、そのような魂胆であったか”
綸子の夜着を通して、トクトクと高鳴る心臓の鼓動が伝わってくる。
思わず、腕を掴み、身を離そうとしたが、逆に晴嗣は景虎の背に腕を回して、余計にピッタリと身を寄せてきた。
強く押し返し、また傷でも負わせては…と一瞬、躊躇した隙を突かれ、自在に動かれて、ついにその腕の中に晴嗣を抱いた格好になってしまった。
「長旅の疲れと深酒…それに、この麝香に混ぜて焚きしめた媚薬の秘香の効力で、其方が我に触れた瞬間、大声で呼ばわり人を集め、其方を糾弾してやるつもりだった」
「…………」
こうして抱いてみると晴嗣の姿態は、まだ少年の柔らかさを残し、しなやかで華奢だ。
背は景虎より頭一つは低い。
少年は越後の国守の肩に頬を押し当てた。
「得心できぬか?確かにここは其方の寝所、忍んでおるのは我…騒げば、おかしな事にはなるな。しかし、ここは京の都。越後の田舎武者より右大臣の言い分が通る…たとえ、いかなる理不尽であろうとも」
晴嗣は顔を上げた。
「騒ぎを大きくしたくなくば…今一度、我と立ち会え…と脅すつもりで、ここに忍んだ」
景虎の目をまっすぐに見る。
だが、その眼に、さっきまであった挑むような殺気は消えていた。
「だが…それは本心ではなかった。昨日恥をかかされた…その腹いせに罠を仕掛けて貶めてやる…そう己に言い聞かせていただけだ」
「なんと…」
「我は…いま一度…其方に逢いたかった、声が聞きたかった…ただ、それだけなのじゃ」
「………」
「其方の覚悟を聞いてしまっては…もはや、おのれを偽る事はできぬ」
つい…と少年は身を離した。
「その王政復古の与力を我にさせては貰えまいか?同志になりたい」
「同志と仰せられても…これは武士としての心構えにて、天子様の御側におわす大臣(おとど)には…」
「では、我も武家になろう。其方の身内ならば同志としても依存なかろう?」
「そのような…」戯れとは思えぬ、真摯な態度ではあるが、次期関白が武士になるなど、どうしてできようか。
「義兄弟の契りを交わしたい」
「いかんせん、それは…」無理である。
「念者になりたい」
「?」いきなり、何を言い出すのか?
「…わたくしは不犯を誓って…」
「それは、先ほど納得した。故に心だけでよい」
“…心だけ?とは…いかなる次第か?”この少年の意図するところが、今ひとつ解らない。
確かに子供のごとき純真さは認めるが…この自由奔放な考えには着いて行けない。
「此上(このかみ)と呼びたいのじゃ。いや、呼ばせてくだされ。もし、受け入れて貰えるなら、我は弟として以後言葉を改め、終生兄に従う」
「…されば、一つお教え願いたい」
「なんじゃ?」
「何故に、そのように武士の真似を…わたくしの義兄弟になってまで武家になりたいと望まれる御心はいかなるものでござろう?」
晴嗣は一瞬、瞑目した。
意を決し、カッと眼を開く。
「我は…関白の家柄が嫌で堪らぬ。公家など何の力も無いというに、日々の糧にも窮しながら格式を追うことを止めぬ。御所に参内すれば、互いに相手を蹴落とす事ばかり画策しておる。愚かであろう?京の都はこのように荒れ果てて、天子様の御身すらが危ういと言うに…。」
眦(まなじり)を決した表情は硬くはあったが、頬は紅潮し、輝いて見えた。
「我は公家が大嫌いじゃ。ゆえに御所で後ろ指を指されようとも、構わずに公家の化粧を止め、武家言葉に改めた。装束も武家風で過ごし、剣の腕も磨いておる。乗馬もこなす。あとは鎧甲冑を身につけ、戦に出れば、まことの武士じゃ」
景虎が朱雀と評した、あの独特の…燃えるように炯々とした光が双眸に満ちている。
「我は兄の右腕となって軍を指揮し、戦場を駆け抜けるのじゃ。勿論、その為には兵法も軍略も学ぶ。必ずや武功を上げて見せようほどに戦場(いくさば)に伴うてくだされ」
“どう、往なしたものか…”景虎は考え込む。
少年特有の純粋な思いに打たれた。
有名無実な家に生まれた悲哀がひしひしと胸に迫る。
自分も末子ゆえに理不尽な扱いを受けた。
下克上で故郷の越後を混乱に陥れた張本人の子に生まれた我が身の血に、いまだにわだかまりを感じている。
何度、床下に潜り込み、刺客の刃を避けた事か…兄弟は、運拙く果てた。
それでも父は侵略を止めなかった。
そうして、幼い息子達さえ犠牲にして守護を追い落とし越後の実権を掌握したかに見えた父が病で身罷った時、景虎は、まだ幼なかった。
その身を甲冑で包まねば、危うくて葬儀に参列ができぬほどに越後は荒れていたのだ。
もし、兄がみな存命であったなら…自分は天室光育師の元で修業を重ね、衆生の救済を願いながら仏道に生きた事だろう…。
晴嗣の境遇が自分の過去と重なった。
愛しい…と思った。
故に言葉巧みにあしらう事だけはしたくなかった。
“いや…二人だけの密事なら義兄弟の契りを結んでも構わぬではないか…”
景虎は、この年まで、このように真摯に慕われた事はなかった。
家臣は長尾家存続の為の切り札としてしか自分を見なかった。
“応えてやりたい…この熱き思いに”景虎の意思は置かれた現実を打破した。
「されば、晴嗣…こちらへ参れ」景虎は敢えて少年の諱を呼んだ。
「おお、我の願いを…」
諱(いみな)はその読み通り“忌む名”である。
本名は霊的な人格を現すモノとして諱を避け、官職その他の役職の名を使って呼ぶ為に、親しい間柄でも本名を知らぬままに終わる事もある。
その人物の霊的人格の支配権を有したという証として、諱での呼びかけは親や主君等のみに許された行為だった。
「義兄弟となるにあたり、約定を取り交わす。よいか?」
「…仰せのままに…」ゾクリ…と身が震えた。
生まれてこの方、傅かれ、崇められてきた自分が、初めて下座に直り、言葉を改めているのだ。
「ひとつ…これは我ら二人のみの密議にして、他の一人ある時は、それぞれの身分に戻る」
「ひとつ…何事も儂の下知に従い、いささかも背くまじきこと」
「ひとつ…短慮、傲慢は武士の最も恥ずべき事。これよりは身を控え、武術の鍛錬も慎ましやかに行うべし」
「はっ」晴嗣は平伏した。
その手が取られた。
「此上?」
「契りの証として、御身に権現の秘めたる力を分けよう」
頤に指が添えられると、唇が触れた。
舌が絡む…息が途切れる。
やがて唇の裡に、小さな文言が響いてきた。
それは真言とも、呪法ともつかぬ…晴嗣は、うっとりと眼を閉じたまま口づけを交わした。
時に晴嗣17歳。景虎は23歳。
翌年の天文二三年三月、晴嗣は関白宣下と共に右大臣に返り咲いた。
さらに翌月には左大臣に転任し、官位の頂点を極める。
後奈良帝の晴嗣への信頼と寵愛の証であった。
二度目の上洛は、永禄二年四月…あれから六年の月日が経っていた。
天皇は後奈良帝の第二皇子が即位され、正親町(おおぎまち)天皇の御代になっていたが、禁裏と将軍家を取り巻く環境はさらに悪化していた。
時に24才…まさに匂い立つ公達に成長した晴嗣は従一位に昇叙し、関白左大臣となった機会に名を前嗣(さきつぐ)と改めていた。
三好長慶と一旦は和議を結び、近江朽木谷から、やっと都に戻った将軍義輝であったが、その衰退ぶりは誰の目にも明かであり、手当たり次第に全国の有力代名に助勢の書状を送りつけるが、応じる者はいなかった。
一人を除いては…。
景虎は、山内上杉家と関東管領の相続の上申を理由に、五千の兵を率いて再度上洛した。
稙家と前嗣は近江坂本まで出向いて、入京する景虎を迎えた。
その後、近衛家の後押しと、前回の上洛で得た将軍義輝の信頼で、滞りなく管領の待遇と、身分を現す品々の使用を許される。
これが俗に言う『上杉の七免許』で、かねてから許可されていた白傘袋、毛氈鞍覆に加えて、文の裏書、塗輿、菊桐の紋章、朱柄の傘、屋形号の使用を許された。
権威に弱い景虎にとっては、まさに身に余る光栄であり、正親町天皇から賜った天盃と御剣と共に天にも昇る心地であったろう。
さらに後ろ盾が欲しい義輝は、鉄砲と『鉄放薬之方并調合次第』を贈り機嫌を取った。
鉄砲を使用するのに幕府の許可など今更なのだが、火薬の入手を自在に…時には、この“お墨付き”に物を言わせて強引に得る…くらいの効力はあっただろう。
事実、幕府の存亡は6年前より、もっと危うくなっていて、世の乱れを愁う青年関白は、更に血気盛んになっていた。
かねてから“与力同然の覚悟で”景虎に力を貸していた前嗣であったが、決意の程も新たに景虎と一体となり、世の乱れを正さんと盟約を結んだ。
前嗣は武家の作法に則り、盟約にあたり誓紙を差し出した。
一、今後、長尾一筋に頼み入り遠国へ下向の事、いささかも偽りにあらず候事
二、少弼進退同然に成り申し別心あるべからざる候事
三、密事他言あるべからざる事
四、自然、在京中にも頼まるる事候わば、才覚の及ぶだけおば、一筋に疎意あるべからず、馳走せしむべき事
五、もしまた、のちのち中説など申す事候わば、不審せしむべき事は、その方の耳に入れ、承るべく候事
六、心中にさえ疎略なきにおいては、自然、不礼の段、遺恨あるべからざる事
「以上六条について一事でも嘘偽りがあった場合は喜んで神仏の罰を受けましょう。これが七番目の誓いです」
単なる誓紙ではない。
「これは血の…」さすがの景虎も絶句した。
全文が血でしたためられた文書は神文(しんもん)である。誓紙血判より格が高い。
人は欺せても自分の心に嘘はつけない…心の底でチラッとでも誓紙に背いた瞬間、様々な神の罰により、次々に体内が蝕まれ、苦しみながら死に至る…と信じられていた。
勿論、神や仏から下される罰であるから死後も地獄に落とされ、永遠に苦しみがつきる事はない。
並々ならぬ覚悟である。
景虎は血の誓紙を前に瞑目した。
“この思いを受け止める資格が…力量が己にあろうか?”
だが、自分は毘沙門天の化身である。
願われ、請われれば、受けねばならぬ…それは宿命(さだめ)と覚悟している。
「まことに儂で良いのか?」
「此上より他にこの身を託すお人はおらぬ。ましてや心をや…」
閨を共にしたのは、この時だ。
前嗣の懇願に負けたのか、それとも景虎から求めたのか…それは誰にも解らない。
近くに仕えた直江には、それとなく察せられたが、二人は念者となった事を秘していたから、他の近習達も、敢えて次第を詮索する事は無かった。
もっとも、興味を抱いたとしても、探るような畏れ多い事を為す者は一人もいなかった。
もし、景虎の逆鱗に触れたら…自分はもとより一族郎党にどのような粛正が降るか解らない。
景虎の処罰は、気まぐれであった。
何度も背いた国人衆を、人質も取らずに許したかと思えば、不敬があった…という理由で手討ちにされた家臣もいる。
だが、全ては毘沙門天のお告げに従っているのだから、間違いは無い。
所詮、人の意識では、この世の全てなど推し量れぬものなのだ。
神懸かりした“兄”に羨望の眼差しを向ける“弟”は、すぐに崇拝者に代わった。
「此上、我に今少し通力をお分けくだされ…」
高貴な身にして、美しく猛々しい信者を景虎は、心から愛でた。
殆ど、毎日のように前嗣は景虎の元に通い、御所の詳細から、将軍家の内情、近畿一帯に割拠する武将達の動向まで、事細かな情報を流した。
勿論、熱く語り合い、そのまま夜を明かすこともしばしば…これを知った将軍義輝はあからさまに顔をしかめたという。
四月に越後を発った景虎が、帰国したのは八月に入ってからだった。
衷情編 終
あとがき
久しぶりにリクエストを頂き、書き始めたwebnovelですが、リクは『ある日の春日山城の(家臣達の集う)風景』
「これのどこがリクなんだ〜?」と突っ込みが入る話に仕上がりました(謝)
だって〜、書きたかったんだもん、前久の話…。
【衷情】(ちゅうじょう)とは、嘘や偽りのない、本当の真心という意味です。
【このかみ】は“子の上”で一番上の子供。兄、もしくは年長者を現す言葉になりました。兄と書いて“このかみ”なのですが、ここでは“此上”を使いました。
景虎の呼び名は「御実城(おみじょう)様」ですが、ここは舞台を借りたNHK大河ドラマ風林火山に準じて「御屋形様」としました。
家臣を手打ちにしたり、諸将居並ぶ中で扇で打擲したり…(あと泊まった宿の主人を無礼討ちにして、宿に火を掛け、抗議した堺衆にもキレて、堺の町を全焼したとか…)これって景虎のキレっぷりを誇大に伝える逸話として、後世に創作されたエピです…けど、キレ安かったのは事実のようです。
癇癪持ちで、一旦怒ると前後の見境が無いタイプ。
激怒するか温厚か…ピンorキリで間が無い…これは家臣だけでなく領民も敵も、毘沙門天の憑依とでも解釈しなければ、理解できなかったんじゃないでしょうか?(でも信玄みたいに、いまでも一部地域では嫌われ、妬まれ、怨まれているような迫害圧政はしていません。よく謙信も信玄と同じように捕虜を人身売買した…という話を聞きますが、それってレベルが違います。この時代、捕虜は身内が身代金を払って引き取るのが慣例でした。越後の身代金は、わざわざ特記されるほど安くて、身代金が払えない引き取り手には、腰に付けていた手ぬぐいを金の代わりに認めた…というエピも残っています。高価な身代金を吹っ掛けて、身請けして貰えない捕虜は悉く金山の人夫にしたり、女郎に売った信玄とは違うんですよ)
なのでG氏が“狂気を纏ったカリスマ”と評した時「上手いこと言うなぁ」と感心しました。
自他とも認める“軍神”ですから、上手く活用すれば軍の士気高揚にも、内政の統一支配にも、これほど便利なトップはいない…どっかの国の政党に一人は欲しいキャラですね。
でも実際はしたたかで計算高くて、ちゃんと領土拡張もしてるし(ただし失敗率が高いのは事実)乱取りも許してるし…な武将。
城攻めより野戦が得意で、戦国武将きっての戦上手(経済力UPで軍備拡張、外交手腕もそれなりに…も含めて)なのは確かです。
という訳で舞台は大河ドラマ風林火山…なので、登場人物も若泉Pのキャスティングでお楽しみ頂ければ…と思います(勿論、それ以外でもお好きにどうぞ)
近衛前嗣(晴嗣)は大河ドラマには登場しません(将軍義輝もですが)から、キャスティングは皆様のお好みで。
所々に年齢を記しましたので、参考になさってください(笑)
でも、景虎より7才年上の上杉憲政役が67才の市川左團次さんなので…ついでに言うと高野山無量光院の清胤様も景虎より8才上なだけ…御年80才の佐藤慶さんが演じておられますから、特に実年齢は意識しなくてもOKかもしれません。
では、この後、しばらくお時間を頂いて後編の『哀情(あいじょう)編』に続きます。
参考文献:谷口研語著『流浪の戦国貴族 近衛前久 ―天下統一に翻弄された生涯―』中央公論社刊
書・U・記/拝