線が絡む前
九尾の狐が封印の書を持って逃げた。
「もうじき帰ってくるじゃろ…」 里の長である火影の言葉によって。 「お疲れさん、イルカ」 「よくやったな、イルカッ!」 太陽が完全に顔を出した頃――。 賞賛の声に迎えられ火影の家の前まで帰還した男をカカシは少し離れた所で見ていた。 カカシは下忍指導に当たる為、つい先頃任地より戻ってきたばかりだった。家に荷物を置くのもそこそこに火影の家まで集まるように召集が掛かったのだが、着いてみれば騒ぎは収まっていて拍子抜けの態で今回の功労者とやらを出迎えていた。 男は相当な傷を負っているのだろう、若干ふらつきながらも止まる事無く歩み続けている。男が歩く度に大腿や腕に開いている傷口から鮮血がにじみ出ていた。 (アララ、すごく辛そう。あの重そうな荷物のどっちかを誰かに任せればいいのに…て、無理か。すごく真面目そうな人だもんなぁ) 右脇にはひと抱えもある大きな巻物、左には金髪の子供――。 どう見ても怪我人には持て余すその荷物を男は決して手放そうとせず、ゆっくりとした歩調で前に進んで行く。おそらく奥で待っているであろう火影の御前に辿り着くまで。 周りを見渡す事無く硬い表情で。 ただひたすらに前を。 その不自然なまでの前への視線に、イルカと呼ばれた男を出迎えるべく集まっていた人垣が男を中心に船が波を割るように二つに分かれていった。 そして分かれた波は再び男の後ろで閉じる事はなかった。原因は男に抱きかかえられている金髪の子供であろう事は容易に知れる。 九尾の狐をその身に宿す―うずまきナルト。 今回の騒動の中心である子供は男の首根っこにしがみつき全身を男に預けたかのようにもたれかかっている。一見眠っているように見える。けれど男がカカシの前を通り過ぎ抱きかかえられたナルトの顔が見えた時――。 カカシはナルトが眠っていない事を知った。 ナルトは起きて自分を遠巻きに見ている大人達を睨み付けていた。 男を笑顔で出迎えた後、自分を畏怖や憎悪の眼差しで見送る大人達を――。 火影の遠眼鏡の術でナルトが自分の中に九尾の妖狐が宿っている事を知ったと、火影はその場にいた皆に報告していた。 事実を知ったナルトから九尾のチャクラが漏れ出した事も――。 しかし今のナルトからは九尾のチャクラはおろか、事実を知ったというショックすら感じられなかった。 ただ強い眼差しで遠ざかる前を見つめ続けていた。 ただひたすらに前を。 (……面白い) ナルトが男と同じ表情をしている。 お互い違うものを見ているというのに。 ――違う。 男がナルトと同じ表情をしているのだ。 おそらく男にはナルトが見ているものを気配で感じ取っているのだろう。 ナルトがギュッと男のベストを握ると宥めるように抱えている手でポンとナルトを叩く。 ふいにナルトが男の腕から飛び降りた。 「もういいってばよ、イルカ先生!」 「もういいって…お前チャクラの使いすぎで動けないだろう?」 確かにナルトはフラフラで足元すらおぼつかない様子だ。しかしナルトは二カッと笑って 「大丈夫だって! もう俺ってば木ノ葉の下忍なんだからよ、一人で歩けるってばよ!」 途端に、ザワッと周囲からざわめきが起きた。 里の大人達はナルトを忌み嫌い常にその存在から目を逸らし続けた。しかし、別の角度で見れば大人達の誰もがナルトの動向を注意深く見守っていた――無視するために。 それ故にナルトが今回もアカデミーの卒業試験に失敗した事を里中が知っていた。 なのに今、ナルトは額に木ノ葉の額当てを着けていた。対して男は額当てを身に着けていない。その事に思い至った周囲の空気が微妙なものに変わった。 どんな経緯があったのか火影の簡単な説明では分からないが、男がナルトに木ノ葉の忍びの証である自らの額当てを与えたのだろう。 (先生って呼ばれてるしね) おそらくアカデミーの教師なのだろう。でなけりゃナルトに卒業の許可を出せるはずも無い。それに「イルカ先生」という響きはひどくその男に似合っていた。 カカシは改めて「イルカ先生」を見た。 背は俺と同じくらい。体型も忍びらしくよく鍛えられていて俊敏に動けそうだ(ま、俺の方が上だろーけどね)。黒髪黒目、さして特徴も無い顔の真ん中を横切る一文字の傷。口許に寄る笑い皴が本来表情豊かである事を物語っている。 カカシはイルカの目が気に入った。その前しか見ない眼差しに魅かれた。 だってあれは――戦士の目だ。 敵を真正面から見据え挑む目だ。 それは自分やイルカの本来の属性である忍びが持つべき目ではなかった。 忍びは闇に隠れ、敵の背後に立つべき存在なのだから。 その忍びの性を生来の才のように持ち、上忍までに登り詰めたカカシだからだろうか。 本来忍びの里で育つはずの無いその目、その気性にカカシは興味を持った。 今もイルカは目の前にいるナルトだけを見ている。ナルトに卒業の許可を与えた事で周囲がイルカにも困惑と嫌悪の眼差しを向け始めたというのに、それを気にする風でなく。 「じゃ、先に火影のじっちゃんのトコに行ってるから!」 そう言って駆け出そうとしたナルトの襟をイルカはヒョイと掴み、さっきと同じように肩に抱え上げた。 「イルカ先生?」 「ダメだ。火影様の御前までは俺がお前を連れて行く。お前のせいでこんな大騒ぎになったんだからな。火影様の御前でしっかりとけじめをつけないとな!」 居心地悪そうに身じろぎしていたナルトはイルカの言葉に動きを止め、思いっきり顔をしかめた。 「…年寄りの冷や水だってばよ、イルカ先生」 「……うるさい」 「だってイルカ先生、怪我してるのに…」 確かにイルカの背中の真ん中には大きな傷がぱっくりと口を開けていた。腕や足の怪我などモノの数にも入らなくなるような傷からは、じわじわと確実な勢いで血が流れ出ていた。あれで今までナルトを担いで来たのだからその血の気の多さに感嘆する。 「…じっちゃんの説教が終わったら一楽のラーメンだかんね!」 「ああ、約束したからな」 気がつけば事態の収拾を確認した周囲の忍び達は解散を始めていた。もうイルカとナルトの遣り取りに目を向けている者はあまりいなかった。元よりイルカ達は周りなど気にも留めていない。 相変わらずその足取りは怪我のせいでふらついていたが、やっぱりイルカは前を見つめたまま。 たわいも無い会話をしながら徐々に遠ざかって行く二人を見送りながらカカシはひっそりと微笑んだ。 ナルトのイルカを信頼しきっている様子や、それに応えているイルカの様子を単純にいいな、と思ったのだ。 その中に含まれる微かな羨望。 その羨望ゆえの出会いの予感に心が浮き立つ――。 (イルカ、先生ね…) 何度かその響きを確認するように口の中で転がし、うっそりと笑う――悪くない。 「…狐憑きが」 何処からとなく吐き出された呟きに、少し気分を害されたが。 |