第100歩兵大隊、442連隊
アメリカの軍隊で人種別に編成された戦闘部隊は、バッファロー部隊と呼ばれた黒人部隊(最近では、Africa
American 呼ぶ)、情報戦に使われたインディアン部隊(最近はでは、Native
American と呼ぶ)、それに Japanese American 第100歩兵大隊・442連隊しかないと聞く。 その中で特筆すべき戦歴を残したのが左の隊旗を持つ2つの日系部隊である。
当方は戦争反対論者である。 どのような戦果を挙げようとも、戦争を美化するつもりはない。 しかし、彼らもアメリカの中にあってアメリカと戦っていたのだ。 人種差別という得体の知れない代物と。
上の写真は、ロス近郊ボイルハイツの日本人墓地にある第100大隊と442連隊の殉国の碑である。 学生のころこの隣に住んでいたので、前を良く通りかかったが、中に入ったことはなかった。 この碑の左側にはDwight
B Eisenhouwer元大統領(当時は元帥)と右側にはMark Clark司令官の哀悼のメッセージが刻まれている。
そこには
THOSE WHO LIE HERE GAVE THEIR LIVES TAHT THIS COUNTRY BESET BY ITS ENEMIES,
MIGHT WIN OUT OF THEIR SACRIFICE, VICTORY AND PEACE. WE, WHO ARE IN THEIR
DEBT, SALUTE THEM. DWIGHT B EISENHOUSER, GENERAL OF THE ARMY
,USA.
THE SOLDIERS WHO LIE HERE SYMBOLIZE THE LOYALTY AND COURAGE OF NISEI TROOPS
UNDER MY WARTIME COMMAND IN ITALY. I SALUTE THEM. MAY THEY
REST IN HONORED PEACE. MARK CLARK, GENERAL USA
と記されている。
確かにSALUTEである。 彼らが失ったものは大きかったが、後に残された者が得たものも大きかった。
この日系人部隊で、私が感動を覚え、このサイトを作ろうと思いたったことがある。 それは、この2つの部隊が出来てからずっと任務を果たした連隊長である。 ヤング・オーク・キムという韓国系アメリカ人だ。 彼は率先して連隊長の任務を負い、終戦まで隊長を務めた。 幸い、何度も重症を追ったが無事生還し、2000年を迎えた。 彼の部下だった日系兵士に慕われ尊敬され、彼の指揮下にいると死ぬ気がしなかったと振り返っている。 今も日系二世の働きを忘れないでほしいといい続けている。
「Go For Broken 記念碑」の除幕式で「軍隊の隊長とは、部下の安全を第一に考えるものだ」、「この原則を全く分からない馬鹿な司令官が沢山いた事に心が痛む」というスピーチを述べている。 孤立したテキサスの125人の部隊を442連隊が救出したが、そのための代償に800人に登る犠牲者を出した。 このときの悔しさを言いたかったのだろう。




