巻之参
「オツヒコ様、大~のお渡りにござる…」
耳元近くで囁かれる甘い声音─
しんと静まりかえった宮殿奥の寝所に囁きを送ったモノの気配はすでにない。
青白い光沢を放つ白布から半身を起し、竜宮の主はしなやかに伸びをした。
あの夜砕かれた脚も切り落とされた腕も、すっかり元に戻っている。
ただ…
開いた指を見つめ、彼は想う…これは俺の腕であろうか─と。
背の君は雅王と契ったあと、“どの腕でも勝手に使ってよい”と言った。
さらに人であった時のままに脚の自由も返してくれた。
冥界、深海の眷属はただならぬ寵愛の深さに震撼、動揺したが、当の雅王、いやオツヒコはそのような周囲の困惑は分からない。
それが大~の御力を自由に使える許しを得た事を意味する…などとは思いも寄らぬ。
というより、ヒトであった者が、いきなり竜にされたばかりか、この南洋を束ねる竜宮の王に据えられ困惑する身には、そのような事まで気を回す余裕が無いのだ。
浦島太郎が浦の嶋子と呼ばれた昔から日ノ本では竜宮の主は女王は乙比売(姫)、王は乙比古(彦)と呼び慣わす。
オツヒコとなっても人であった頃の慣習は、その身体を抜けきらない。
雅王の死体は、あの淵の底で丸太に括られたまま腐れているというのに…
“沙竭羅王(しゃからおう)息災か?”
背の君─頭の中に直接、声が聞こえる。
それだけで甘い疼きが身体の奥から沸き上がる。
これから自らに加えられる愛撫を想うと、肌が熱く燃える。
火照る顔を見られまいと深々と頭を下げて背の君(夫)を迎える。
漆黒の髪が華奢な背中を覆い虹を映す。
初々しい寵童の仕草に情欲をそそられた夫君は腕を伸ばすと抱き寄せた。
申し訳程度に巻き付けた白布が、はらりと床に落ちる。
「あっ…」
羞恥に身を捩る若き竜王の抗いは、かえって艶めかしく相手の欲望をたぎらせる。
寝台に押し倒され、唇が重なる。
蒼い瞳─蒼茫の眼がじっと身もだえる愛姓を見下ろす。
口中を蹂躙する舌に喘ぎ声もとぎれ、身体の奥に沸いた泉は一気にあふれ出していく。
身体の隅々をくまなくまさぐられ、我を忘れて達してしまう。
触れられる処、全てが悦楽を誘った。
幾度と無く達し、身体の芯がふやけ、精神がとろけ、身も世もなく縋り付く。
例え偽りの腕であろうとも、まやかしの肢であろうとも、今はあなた様だけが全て─
身体中が自らの放った従属の証にまみれたあと、淫らに蠢く竜王の裡に“神の気”が容赦なく打ち込まれる。
こうして大~と交わる度に僅かに残るヒトの部分は打ち砕かれ、人外のモノへと作り替えられていく─
神の気を吸った竜王は、そのいや増す霊力で海原を渡り、その身を祀る社殿を駆け、信者の祈りを浴び、さらに強大な神として力を備えていく。
「もっと─」
力が欲しい─とオツヒコは願う。
“気”を注いで欲しい─
だから…
「今一度お情けを…大~…」
散々に嬲られた腰をすり寄せ、大きく上下する胸を晒し、息も絶え絶えに睦言を囁く。
“此度の沙竭羅王は貧欲よな”
頭の中で大~の声が満足げに囁く。
「はい、俺は早く沙竭羅王と呼ばれるに相応しい力が欲しい、多くの民に明神様と崇められたい」
そうすれば…あなた様の側にずっといられるから。
そして自在に雨を降らし、風を起こし─少しでも漣の役に立てれば…
漣?
漣とは誰であった?
“れ…ん…”
心の片隅で幽かに呼んだ名が大~の耳に届いた。
深海を思わせる眼差しが怪しく光る。
再び始まった愛撫に身をくねらせる愛姓の身体にのし掛かると、腰を繋ぎ一気に抉った。
「ぎゃ!」
すでに幾度となく挿し入ったモノであっても、いきなり奥まで貫かれれば、まだ寵童として日の浅い身体には、裂かれるような痛みと衝撃が襲う。
「あふっ」
身体を震わせて耐える白い身体から今度は全てが引き抜かれた。
そして、再び根本まで楔が打ち込まれる。
「ひぃ…」
“カミとはヒトの祈りを受けるモノなり、崇め奉られるモノなり
カミよりヒトを思う事は決してあってはならぬ”
断末魔の快楽に身を委ねる心に、その声は広がった。
“忘れよ…そなたは身も心もすでに人外のモノぞ”
嗜虐の炎、大~の中に燃える紅蓮のオーラはオツヒコにはそう見えた。
あの淵の底で抱き取られ、根の国の底へ運ばれ、力ずくで犯されてから─
それでも訳も分からず抱かれる度に、教え込まれる快楽に、注がれる気に我を忘れ、今はこうして只“カミ”でありたいと、背の君の寵愛を受けている。
だから、オツヒコには分からなかった。
嗜虐のオーラと見えた中に嫉妬と慕情が交差していたのを…
なぜならば大~の正妻(みめ)こそ漣の裡に居ます大比売神なのだから。
巻之参 完